- ベストアンサー
映画「スパイダーマン3」で理解できなかったこと
- (1)ハリー=オズボーンは、サンドマンに敗れた際に死んでしまったのか、取り留めているのかわからない
- (2)ハリー=オズボーンが死んだ場合、サンドマンが彼に攻撃を加えた理由がわからない
- (3)なぜサンドマンはベノムの提案に同意し、スパイダーマンを殺そうとしたのかがわからない
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
見てからかなり時間が経ったので定かではありませんが、私の印象では、サンドマンになった段階で人間らしい心の大半が失われたのではないかと思います。彼を突き動かしているのは混乱した憤りであり、娘の命を救うという執念のため、盲目的な野獣と化していたのではないでしょうか。 理性とともに知性や感情も低下していたのだと思います。サンドマンとなって復活するシーンからは、粉々になった自分の肉体をどうにかしてかき集め、この世でやり残したことをやり遂げるまでは死ぬに死ねない、という怨念を感じました(一種の亡霊ですね)。
その他の回答 (1)
劇場で見ただけなのでうろ覚えですが、 1)死んだ。 2)サンドマンじゃなくてベノムにやられたんじゃかなったかな? 直接殺そうとしたと言うより、どっちかと言うと事故死的なものにも見えた。 3)邪魔だから。まー 娘>>>スパイダーマンの排除 映画であんまし気にしちゃいけない領域な気がする。 4)スパイダー感覚?アメコミ読んだらわかる設定でしょうか? 映画観ただけの私には解らない知識です。 でもまぁ、映画であんまし気にしちゃいけない領域な気がする。
お礼
御回答有り難う御座いました。
補足
御回答有り難う御座います。 >サンドマンじゃなくてベノムにやられたんじゃかなったかな? そうでしたか、どうやら私の記憶違いの様です。 >映画であんまし気にしちゃいけない領域な気がする。 う~ん、そういった所を気にしない方が良い作品であれば、それなりの演出方法にした方が良いと思えたから、生まれた疑問点なのですが・・・・・ もし、映画のスパイダーマンシリーズが、悪の怪人退治をするヒーローの戦闘シーンのみを主題とした単純明快な作品であれば、先述の様な事は気にならないと思います。 例えば、サンドマンは根っからの悪人で、良心なぞ持ち合わせず、自分の目的を邪魔する者は平気で殺す様であれば、スパイダーマンを殺そうとする事には納得がいきます。 しかしそうなると、最後にサンドマンがスパイダーマンに対して真実を告白するシーンは、全くの余計な演出という事になると思いますし、只の悪人という扱いのサンドマンには相応しくない行動という事になり、作品の整合性が取れないと思います。 又、スパイダーマンシリーズが単純な悪人退治ものであるとしたならば、1のゴブリンや2のオクトパスが、最後に正気を取り戻すシーンもまた、同様に余計な演出だという事になり、彼等は最初から悪人であり、死んで当然の相手だとした方が、整合性があると思います。 しかし、それでは苦悩するヒーローの姿を映したスパイダーマンシリーズの面白さが無くなってしまうと思います。 私は、敵方が根っからの悪人ではない事も、スパイダーマンシリーズの良い所だと考えているが故に、サンドマンの行動が不可解に感じたのです。
お礼
御回答有り難う御座いました。
補足
御回答有り難う御座います。 成る程!変身後の超人ハルク(←購読・視聴はしていませんが)の様な状態という事ですか、それならば合点がいきます。 そうしますと、現金輸送車を襲った際に、殺人を回避しようとするセリフが、彼の善良さを現している、という解釈も出来ますね。 残る疑問点は、(5)だけになります。