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自殺願望ではないですが

自殺願望ではないですが わたしは幼い頃から、誰かに誘拐されてヒドいことされたり、殺されたりすることに惹かれています。 また拷問されたり地獄に行きたいと思うこともあります。 だけど痛いことが好きなわけでもなく、不幸になりたいと思っているわけでもありません。 自殺したいとか自傷したいと思ってるわけでもありません。 でも、苦しんだり悲惨な目にあうことを想像すると、自然に安堵感や心地よさを感じてしまいます。 最初にそのように感じたのは幼稚園の時です。 赤ずきんのはなしを聞いたときに、赤ずきんは猟師に助けられず、オオカミに食べられて死んでしまえば良いと思いました。 みんなが可哀想といったけど、わたしは可哀想と思えず、むしろいいことだと思えたんです。 それでも、大人になるにつれて、普通の人は可哀想だと思うんだと、徐々にわかってきました。 だけど頭ではわかっていてもその実感が持てないから、ヒドい目に遭っている人のことを可哀想と思えないし、逆に羨ましいなんて思ってしまいます。 でもそんなのっておかしいですよね? おかしいってわかっていもどうしようもなくて、周囲の誰にも言うことができないし、友達とかには悟られないように悲しむ振りをしています。 そして悲しいフリするたび、そういう自分に罪悪感を感じてしまいます。 こんな自分がイヤでイヤでしょうがないです。 やっぱりこれは病気でしょうか? ※ちなみに記憶にある限り虐待をされたこともないし、今現在このことを除いては、不安もなく比較的充実した生活をしています。  依存症とかもないし、他に精神的に病んでたりとかはないはずです

みんなの回答

回答No.3

自分で気がつかないレベルで虐待されていた可能性があります。 その感覚はよくわかります。 死ねばよかったのに、もっと苦しんで地獄に行けばいいのに 私は幼稚園の頃、ウルトラマン物語というもので、ヒッポリト星人によって 苦しみながら石にされたウルトラ兄弟を見て勃起していました。 つい最近まで気付かなかったんですが、過干渉と、性的暴力を受けて育ちました。 にもかかわらず、最近までその記憶が全くありませんでした。自分の都合の悪いことや辛いことを忘れようとする自己防衛本能らしいですが、精神科にかかる事で思い出しました。 本当に、記憶喪失から突然回復したらこんなのかな?っていうくらい唐突に思い出します。 そういうことがあると、質問者様のように正確がネジ曲がる可能性があります。 本当にそういうことがなかったとすると、生まれつきの性分かもしれません。 サラっと話を流した感じだと、破滅願望じゃないかなって思いますが。 別に普通である必要なないと思いますが、別におかしくないと思います。

  • LTCM1998
  • ベストアンサー率31% (238/746)
回答No.2

いつもそればっかり考えている,あるいはそのことで不安が強くて困っている,なら別ですが,「思うことがある」程度なら,そんなにおかしいとは思いません。 何と言うか,誤解を恐れずに言うならば,「悲劇のヒーロー・ヒロイン願望」ではないでしょうか。 人間は死を考えることができる唯一の生物なので,予想して死を怖れるのと同時に,どうやって最期を迎えるか?も想像することができます。 そして,ごくありふれた日常のなかにいて,非日常があったらいいなあと願望をもつのも自然なことです。 実際に非日常が襲ってくるのは嫌でも,せめて空想の中では「他の人と違う私」をイメージしたくなるのも理解できます。 だからこそスパイ映画やアクション映画が男性に流行り,絶対実現しなさそうなラブロマンス映画が女性に流行り,そしてパニック映画やホラー映画が男女とも一定のファンを獲得するのだと思います。 (余談ですが,アメリカのホラー映画は,女性が立ち上がって戦うことが多いですね) ハッピーエンドのヒーロー・ヒロインになりたい気持ちもあれば,世界を救うために自分を犠牲にするタイプのヒーロー・ヒロインにあこがれるのもあると思います。 ちょっと古いですが,映画『原子力潜水艦浮上せず』などはそういうニーズにこたえる作品でしょう。 もちろん程度問題ではありますが,たまにそういうことを思うことがある,ぐらいならあまり気にしなくても良いと思います。 むしろそれを気にするあまり不安になってしまうほうが良くないのではと思います。まあそんなことも人間考えることがあるんだな,と思いながら,いくつか映画やドラマをご覧になって改めて考えてみてはいかがでしょうか。

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質問者

お礼

回答ありがとうございます。 悲劇のヒロイン願望とはちょっと違う気がします。 可哀想な自分が好きみたいな感じよりもう少し自然な感情な気がしますし、実際にヒドい目にあっても、それが可哀想だと感じないと思います。 確かに自己犠牲に惹かれるところがないわけではないですが、おそらくそれは苦痛等に対する正当な理由(アルマゲドンでブルース・ウィリスが爆破する為に一人惑星に残ったみたいな)がある為だと思います。 それに"実際に非日常が襲ってくるのは嫌でも"ということに関しても、わたしの場合実際にそのようなことが起きてもいいと思うんです。 「実際に痛いことや苦しい目に遭ってないからそう考えるのだろうか?」と考えて、試しにスタンガンを当ててみたこともありましたが、痛いだけで特に否定的な感情は出てこなかったです。 だけどLTCM1998の言う通り、いつもそればっかり考えているわけでもないし、あまり気にしないのが最良かもしれませんね。 気にしないというのは中々難しいことではありますが、もうすこし気楽に考えることが出来るようになれば良いなと思います。 ありがとうございましたm(_ _)m

  • chieno-wa
  • ベストアンサー率30% (67/218)
回答No.1

少しおかしいかもしれませんね。 でも、少しTVで見たことがあるのですが、恐怖も快楽も心臓がドキドキするから、恐怖でドキドキしているのを快楽でドキドキしていると錯覚してしまうことがあると言っていました。 小さい頃にそれを錯覚してしまったためにそういう考え方になってしまったのかもしれませんね。 こういうのが性的なものに向かったのがSMなんですかね? ちなみに吊り橋理論というのがあって・・・ ちょとコピペしますが 【吊り橋理論(つりばしりろん)は、カナダの心理学者、ダットンとアロンによって1974年に発表された「生理・認知説の吊り橋実験」によって実証されたとする学説。 「恋の吊り橋理論」とも呼ばれる。 実験は、18~35歳までの独身男性を集め、渓谷に架かる揺れる吊り橋と揺れない橋の2ヶ所で行われた。 男性にはそれぞれ橋を渡ってもらい、橋の中央で同じ若い女性が突然アンケートを求め話しかけた。 その際「結果などに関心があるなら後日電話を下さい」と電話番号を教えるという事を行った。 結果、吊り橋の方の男性からはほとんど電話があったのに対し揺れない橋の方からはわずか一割くらいであったというものである。】 これも恐怖と恋愛のドキドキの勘違いの結果だそうです。 凄く異常だということではないと思いますが、ホラー映画を見てドキドキするくらいにしといてくださいね・・・。 犯罪ダメですよ(+_+)

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質問者

お礼

早速の回答ありがとうございます。 確かに考えてみれば、ビックリすることはあるけど、怖いと思ったことはないです。 高い所に言っても怖いと思ったことないし、「もし落ちても死ぬだけだし」みたいに感じてしまうんですよね。 痛いことも死ぬことも怖いとはあまり思えないし、恐怖と快楽を錯覚したと言うのはちょっとあり得るのかもしれませんね。 今までそのようには考えたことなかったので、chieno-waさんの意見は参考になりました。 ホラーとか見てもあまりドキドキはしないですが、一応現状の生活に満足してるので犯罪なんてしません^^; 回答ありがとうございましたm(_ _)m

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