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出版社が漫画家を「先生」と呼ぶことに違和感
出版社が漫画家を「先生」と呼ぶことに違和感 読者が、好きな漫画家を「先生」と呼ぶのはいいんですけど。 読者からすれば、出版社と漫画家は身内なわけで。 店員が、お客さんに対して「○○店長さんは今いらっしゃいません」とか 官僚が国民を前に「○○議員先生のおかげで・・・」とか言うのと同じ感じがします。 まぁ、出版社にとっては漫画家は完全な身内でなく、大事にしなければいけない存在なのはわかりますが、漫画雑誌の紙面上で、読者に向かって「○○先生」と使うのは違和感があります。 長年の慣習ですかね。時代遅れのような、間違った敬語の使い方のような、変な感じがします。 皆さんは、どう思われますか?
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特に違和感ありません。 漫画家に限ったことではなく、小説家や画家など作家の方に「先生」という敬称は一般的だと思っています。 出版社と作家(漫画家)の関係は例に出されたような身内関係とは異なります。それぞれ独立した会社と個人事業主です。 漫画以外で考えましょう。 例えば山田という医者が、雑誌にコラムを連載したとして、編集者から読者に質問を募るとき 「山田先生に質問をお寄せください」 などと書かれますよね。それと一緒です。 まぁ、ただ・・・。 これは漫画家に限らず世間全体に言えますが、「先生」と呼ばれることで妙な勘違いをしてしまう人間も多いですから、あまり乱用したくない敬称ではありますよね。 最後の文は蛇足ですが、私の個人的意見です。
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- qzec
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まず、「先生」というのは敬称です 外部の人の前で同じ会社内の人に敬称は使いません が、漫画家は出版社の社員ではありません 故に、出版社が漫画家に敬称を付けないのは礼を欠く行為です 「読者からすれば」なんてのは関係ありません 読者の前だから先生への礼を欠いていいなんて事はないし 読者の前で敬語使うと何か問題がある訳でもない 結論として、 「出版社と漫画家は身内ではない」のですから 「身内に敬語を使うのは間違いだ」というあなたの勘違いが違和感を生んでいるんですよ
お礼
書き方がまずくてすみません。「身内」という表現を不正確に使ってしまいました。 出版社と漫画家が独立した存在であることはわかっています。 けれど、No.2様のお礼に書いたとおり、 出版社+漫画家=作品創造側、読者=作品受取り側ですから、出版社と漫画家は読者からすれば、ともに作品を提供するという点で「協働」していることになりますよね。 漫画家は漫画を描くのが仕事であり、それを世の中に出すのが出版社の仕事ですから、お互いさまの対等な関係であり、「○○先生」じゃなくて「○○さん」「○○氏」という敬称(尊敬語でなく丁寧語)で十分だと思うんです。 だから、読者に対して、出版社が漫画家に尊敬の意を示す表現をすることが納得いかなかったんです。 出版社と漫画家は対等な関係ではなく、漫画家>出版社ということなんでしょうね。 ご回答ありがとうございました。
- sotom
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ここ数年、雑誌担当者と漫画家の間でいざこざが目立ち、なかには、 それが原因で移籍した者もいます。身内ならばこんな問題は起きません。 読者、作者、出版社は、三権分立のようなバランスであるべきなのです。 メディアが増長しているために、このような誤認識が起きるのでしょう。 作品のクオリティによって、「先生」なんて呼ぶべきじゃないだろうと 思わされる漫画家がいる事は確かです。木田康昭とかね。 個人的印象ですが、「先生」という損傷に違和感を覚えるのは、寧ろ議員の方です。
お礼
確かに、読者、作者、出版社はそれぞれ独立した立場ですが、 作者と出版社はともに作品を提供する側であることから、 作り手=作者+出版社 受け手=読者 という構図だと思ったんです。 そういう意味で、作者は出版社の社員じゃないことは理解していましたが、 同じ作品提供者であるため、敬称をつけることに違和感を感じたのです。 >作品のクオリティによって、「先生」なんて呼ぶべきじゃない 同感です。 ご回答ありがとうございました。
- lions-123
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>出版社が漫画家を「先生」と呼ぶことに違和感 ↓ 私は特に違和感を感じません。 「敬称・尊称・肩書きの代用だと思います」 そこに、絶対評価としての技量・業界での肩書き・経験や、相対評価としての人気とか受賞作家とかの名声で、対象作家毎に自然に感じる場合と違和感が感じられる場合があるのだと思います。 また、本人の意向は別として、出版会社と漫画家は需要と供給の関係、連帯責任や運命共同体でもあり、時には収益源か扶養的な雇用関係になるケースもある。 大切に思う心、畏敬の念、ご機嫌取りやお愛想の面もあり、相手ごとに貢献度合いで格差を付けたり、不安定な人気に左右された敬称の使い分けは難しく、その呼称による印象や受け止め方で無用の軋轢や混乱を避ける無難な接遇だという友好関係維持への知恵の面もある。 「先生」の語源や類似語から素直に言えば、一芸に秀でている、また高きレベルを目指している人への畏敬と期待の表れの呼称・対応だと思います。 ※先生の語源に近い「師匠・先達」の意味から抜粋 『師説』 訓読 〔第一段〕 古の学ぶ者は、必ず師有り 。師は道を伝へ業を授け惑ひを解く所以なり 。人は生まれながらにして之を知る者に非ず 。孰か能く惑ひ無からん。惑ひて師に従はざれば、其の惑ひたるや、終に解けざらん。吾が前に生まれて、其の道を聞くや、固より吾より先ならば、吾従ひて之を師とせん。吾が後に生まれて、其の道を聞くや、亦吾より先ならば、吾従ひて之を師とせん。吾は道を師とするなり。夫れ庸ぞ其の年の吾より先後生なるを知らんや。是の故に貴と無く賎と無く、長 と無く少と無く、道の存すると所は、師の存する所な り。 〔第二段〕 嗟乎、師道の伝はらざるや、久 し。人の惑ひ無からんと欲するや、難し。古の聖人は、其の人に出づるや、遠し。 猶ほ且つ師に従ひて問へり。今の衆人は、其の聖人を去るや、亦遠し。而るに師に学ぶを恥づ。是の故に聖は益〃聖にして、愚は益〃愚 なり。聖人の聖たる所以、愚人の愚たる所以 は、其れ皆此に出づるか。 〔第三 段〕 其の子を愛しては、師を択びて之に教へしむるも、其の身に於けるや、則ち師とするを恥づ。惑へり。彼の童子の師は 、之に書を授けて其の句読を習はしむる者なり。吾が所謂其の道を伝へ其の惑ひを解く者に非ざるなり。句読の知らざる、惑ひの解けざる、或るいは師とし、或るいはせず。小は 学びて大は遺る。吾未だ其の明なるを見ざるなり。巫医、楽師・百工の人は、相師とするを恥ぢず。士大夫の族は、曰はく師、曰はく弟子と云ふ者には、則ち群衆して之を笑ふ。之を問へば則ち曰はく、「彼と彼とは年相若けり、道相似たり。」と。位卑ければ則ち羞づるに足り、官盛んなれば則ち諛ふに近しとす。 嗚呼、師道の復せざること、知るべし。巫医・楽師・百工の人は、君子之を鄙む。今其の智は、乃ち反つて及ぶ能ばず。怪しむべきかな。 〔第四段〕 聖人は常の師無し。萇弘・師襄・老タン・タン子の徒は、其の賢孔子に及ばず。孔子日はく、「三 人行へば、則ち必ず我が師有り。」と。故に弟子は必ずしも師に如かずんばあらず。師は必 ずしも弟子より賢ならず。道を聞くに先後有り、術業に専攻あり、斯くのごときのみ。 〔第五段〕 李氏の 子蟠、年十七。古文を好み、六芸の経伝、 皆之に通習せり。時に拘らずして、余に学ばんことを請ふ。余其の能く古道を行ふを嘉みし、師の説を作りて、以て之に貽る。
お礼
>出版会社と漫画家は需要と供給の関係、連帯責任や運命共同体でもあり 需要と供給の関係は、場合によっては入れ替わることもあると思います。 連帯責任や運命共同体であるなら、外部の人間である読者に対して発する表現としては、なおさら「先生」という敬称はふさわしくないと思うのですが・・・。 貢献度や人気で敬称に格差を付けられないことは理解します。 でしたら、駆け出しの漫画家も大作家も、どちらも「○○さん」「○○氏」で良いのではと思うんです。 やはり回答者様がおっしゃるとおり、大切に思う心、畏敬の念、ご機嫌取りやお愛想の面なんでしょうね。 大作家は大切な存在だから「先生」と呼ぶ。 同じ漫画家に対して格差はつけられないから、全員「先生」と呼ぼうということですね。 その気持ちは、分かる気がします(^^) ご回答ありがとうございました。
お礼
医者の例え、とてもわかりやすくて納得しました。 どうもありがとうございました。