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脳死判定された男性の臓器移植と改正臓器移植法の実態について
- 改正臓器移植法適用二例目で脳死判定された若い男性の心臓、肺、肝臓、腎臓、膵臓、眼球が移植されましたが、生前の意思表示が書面による形でなかったため、ご家族の判断で移植が行われました。
- 一方、男性が生前に移植を望まないという発言があるとの情報もあり、真相は確かめられません。
- 多くの人々が移植臓器を待っている中、このような一連の経緯から、改正臓器移植法の実態や真実について疑問が生じています。
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質問者が選んだベストアンサー
>0.1%生きる可能性があるのなら、 脳死から復帰できる可能性は0%ですよ。 99.9%死んでいるというのは見た目の話です。 現代の医療では脳死から復活させる技術はありません。 一応世界中の報告例含めれば0.0000001%ぐらいは可能性ありますが、 そんな確率まで含めるのなら心停止や肺停止も復活する可能性がゼロとは言えなくなります。 心停止して葬儀時に生き返ったなんて例もあるぐらいですから。 そんな例まで可能性として含めるのなら、どんな状況でも生きているという判断しか出来ません。 さきほど挙げたような「頭部の無い人間」も生きてることになってしまいます。 しかし法律上ではそれは死亡したものとみなされています。 結局は、法律上で線引きを作るしか無いんですから、 意思表示が出来ず自主的に内臓機能が動かない状態で復活する可能性が99.99999999%無いものは「ほぼ死亡」とみなさざるを得ないということです。 それに、医療業界もそこまで低い可能性のものまで治療を続けてたら 今度は助かる可能性の高い人達を助けられなくなりますよね。 実際には殺すわけじゃなくて「延命医療の停止」ですから、 99.99999999%助からない人への治療のために99%助からない人を見捨てるべきか という問題も発生するでしょう。
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NO.3です。補足します。 問題になっている脳死とは、「臨床的脳死」といわれるものです。決して、脳細胞が壊死している状態ではありません。脳機能が停止しており、現代医学では回復不可能と判定される場合です。ですから、現代医学以外の治療法で回復することがありえないとはいえない。臓器移植法というのは、現代医学が科学的に正しいという前提のもとに成り立っているのです。現代医学とは異なる治療理論を研究してきたので、その立場から言えば、蘇生可能な場合があり、他方、移植が必要ではなくなる場合があるといいたいのです。極端に低い、というのではなく、双方共に相当数が可能であろうと思われる。 殺人行為であるか、ということにコメントするつもりはありません。どうぞ御自由に、というだけです。しかし、私や家族などには、提供も、提供されることもさせるつもりはありません。私が研究してきた治療法を行うほうが、はるかに効果があると思っています。医学はパラダイム転換させる必要がある、ということだけは忘れないでいただきたい。医学理論上の見地からの意見です。
私は、ある物理療法を研究していました。遺伝子異常や奇形、手術の対象など一部を除く多くの病気は、一つの理論と方法で治療が出来ると考えています。現代医学は科学的に正しい医学ではありません。広義の意味で、森羅万象は、すべて最終的には物理法則に従っているのです。それならば、物理的に治療が出来ることに不思議はないでしょう。例えば、うつ病・喘息・肝炎・神経痛・関節炎などは薬を使わずとも、物理的作用を加えると一日で完治します。(馬鹿にされますが、これは事実です) 脳死とされているのは、脳の機能が停止し、現代医学では治療不可能と判定される場合です。これは、脳細胞が壊死していることを意味していません。脳細胞の機能が一時停止しているだけであれば、物理的に治療を行うと簡単に機能を回復することは十分可能であると考えられる。薬と手術による現代医学では治療が出来ない、ということにすぎません。 一方、現代医学によって臓器移植が必要とされている患者も、物理的に治療を施すことによって大部分はその必要がなくなるでしょう。蘇生可能な患者から臓器を摘出し、移植を受ける必要がない患者に移植をする。双方の半数以上がこの様な状態であると思われる。 このサイト内で他のコメントもあります。当面は履歴表示可の設定にしておくつもりなので、左上のIDをクリックし、お読みいただければと思います。それ以外のコメントは、文中の語句を手がかりに芋づる式に検索していただければ。
- kumap2010
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>事の真相は死人に口無しにより今となっては確かめようもありません。 「移植したくない」という書面が残ってない以上、言ってないとしか判断出来ません。 遺言でも「生前にAさんに全部渡したいって言ってた」って証言があっても 書面が無かったらそんなこと言ってないものと判断されるでしょう? >ご家族の方々が事実上承諾させられてしまっているというシーンも目に浮かびます。 それはまず無いので大丈夫です。 医療ミスで死亡した場合ですら、 遺族が「ありがとうございます」ってお礼を言いに来るのが終末期医療の世界です。 99.9%死んでるのと一緒なのに、 死なせることが出来ないのは家族にとっても苦痛なんですよ。 >命の終焉が左右されてよいのでしょうか。 質問者さんは命の終焉をどこだと思っていますか? 現代の医療技術は、やろうと思えば「命を終焉させないこと」も出来るんですよ。 極端な話、首から上が切断されて頭部が無くなっても、 血管をつなぎ合わせて心臓を人工的に収縮活動させ呼吸器を繋げば、 血液は酸素を全身に運び、すべての細胞は活動を続けます。 あなたはこの「頭部が無い人間」も生きているものと考えますか? (法的には頭部が無いものは死亡とみなされているため、現実にはこの措置は行われていません) 脳死というのはこれとほとんど同じことです。 脳が動いておらず、それ以外の器官を無理矢理動かしている状態なのですから。 心臓と肺は人工的に動かすことが出来るのに、 心臓停止や肺停止を死の定義にすることはおかしいと思いませんか? これらは医療技術が発達してない頃だったからこそ成立していた定義です。 臓器を動かせるようになった現代では、脳死こそが人の死であり命の終焉でしょう。
お礼
ありがとうございました。 「移植したい」という書面がある場合は移植し、ない場合は移植しないと見做すのが普通の人の感覚のような気がするのですが。 99.9%死んでいても、0.1%生きる可能性があるのなら、こちらに賭けるのが家族というものではないのでしょうか。 心停止せず脳の不動でもって死としてしまうのは、医学会が自ら進歩開発行為を放棄してしまったということにはならないのでしょうか。 すごく説得力のあるご回答ですが、何か引っ掛かってしまって心の底からは納得できないのです、すみません。
- oska
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>この改正臓器移植法の実態、真実を教えてください。 先ず、移植法が誕生した理由を理解すれば、自ずから真実が分かります。 移植法が誕生するまでは、移植をしなければ助からない命は「死亡」でした。 日本人の倫理観から「自分の臓器が働かなくなれば死を意味する」のが一般的でした。 ところが、医学の進歩に伴って「臓器は部品である」との考えが生まれます。 臓器=部品なんです。 心臓が悪いのなら、心臓を交換すれば良い。 肝臓が悪いのなら、肝臓を交換すれば良い。 ところが、困った事に「心臓は、一個しか無い臓器」ですよね。 腎臓とか肺などは、2個ありますから親族間で臓器移植が可能です。 肝臓も一個ですが、肝臓自体は部分移植が可能です。 では、一個しかない臓器確保はどうするのか? 当時の日本では、死体を傷つける行為は「刑法違反」として罪になります。 そこで、大金を持って(臓器移植を行っている)海外に臓器を買いに行く事になりました。 合法非合法を問わず、臓器売買が社会問題化しますよね。 合法的に移植手術を行っている病院・国では、「何故、自国民でなく外国人に臓器提供を行うのか?」との疑問・苦情が発生します。 アメリカ・EU諸国では「臓器移植は、自国民優先」という決まりが生まれます。 同時に、国際的に「臓器移植は、自国民で行う事を要求する」風潮が増えます。 部品供給の道を断たれた日本は「心臓が動いていても、呼吸をしていても、脳死は死である」という基準を設けて、国内での臓器供給を目指します。 ところが「本人の臓器提供の意思が必要」という条件が合ったので、期待した程の臓器が集まらなかったのです。 そこで法律を改正し「遺族の同意があれば、問題ない」事にしました。 臓器提供者本人が「臓器提供は拒否する」との意思表示を行っていない限り、臓器提供に同意したと看做されます。 運転免許証裏側に「臓器提供意思記載欄」がありますが、無記入の場合は「(本人の意思とは無関係に)同意した」と法的に看做されます。 まぁ、臓器移植は「関係者個々の倫理観」ですからね。 何が正しくて、何が間違っているのか? 誰にも、正解はありません。
お礼
ありがとうございました。 何か解ったような解らないような感じです。 どうもしっくりこないんです。
お礼
ありがとうございました。 現在のいわゆる脳死とされた場合でも、脳死状態から脱出させ、脳機能を回復させることができる可能性があるということですか。 その可能性が極端に低かったとしても、全くの0%でないのならば、脳死を人の死とし、その人から臓器等を摘出し、心停止させる行為は、これは殺人行為ではないのでしょうか。