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親子でも10年以上連絡をし合わない・・・ってどうなってるんでしょうか?
親子でも10年以上連絡をし合わない・・・ってどうなってるんでしょうか? 親は子供を(通常は)手塩にかけて育てるが、子供は親に答えない。 いや最近は、親も子供をないがしろにする。 そもそも親子のどうのこうの以前に、人とのつきあいをわずらわしく感じ、マイペースに生きたい人間が増えている。いや人とつきあいたくても、うまくつきあえない人間が増えている。・・・ など色々な意見がありますが、一体、日本という国はどうなってしまったのでしょうか? 或いはこれは日本だけでなく、世界的現象でしょうか? 原因はどこにあるのでしょうか? どうすればいいのでしょうか?
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度々、heppiriです、失礼します。 家族関係が希薄になるには理由があると思います。 例えば、しばらく前まで(江戸時代とか)、日本人のほとんどは農家でした。 当然、田植えや収穫期などは、家族・親戚中で仕事をしなければなりません。 毎日の家事にしても、井戸から水を汲み、薪から火をおこし・・・ 家族中が協力しなければ、生活が成り立たなかったわけです。 時代は変わり、便利になりました。 親の面倒は、老人ホームでやってくれるし、 困ったときの相談先は弁護士です(と、このサイト) やはり、家族関係は希薄にならざるを得ないかと思います。 しかし、人間は欲深いので、お金も欲しければ、家族関係も求めるでしょう。 例えば私の場合、自分の幸せのためには、家族の幸せが不可欠です。 もちろん、お金も友人も不可欠です。 家族関係が昔に比べ、希薄になったのは確かですが、 豊かに成れば成るほど、その重要度が増してくると思います。 (半分願いですが・・・。)
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- heppiri
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ということは、それ以上の行方不明者は、当然もう死んでいる、と見なされているのか、それとも皆どこかの時点で、長期失踪者=死亡として認定されているのか・・・? ウィキで調べてみると 現在の住民票の祖は、1898年の民法らしいですね ちょうど120年前! その時に生きていた方は、死亡されていない訳で、 もしかすると、生きていれば200歳もありえるかもしれませんね。 >問題は、昔から構造上こういうことはありえたのなら、つまり「今に始まったことではない」のなら、まあ、しかたがないのかな、と思いますが、最近急に浮上した問題だとしたら・・・やはり問題ではないでしょうか? 殺人や年金詐欺が絡んでいるかもしれないので 問題が無いわけではないのでしょうが、あくまで個人レベルの問題ですので 国を揺るがすほどの問題ではないと思いますが・・・。 No.3さんの >成人して社会に出て一人立ちしたのに、まだ親と連絡をとる。 または親のほうから連絡がくる。 そっちのほうが気持ち悪いです。 というのは、少しびっくりしました。 少なくとも、一般論でないことを祈ります。
お礼
再度回答を頂き、有難うございます。 私が抱いた疑問は、戦争などで、家族がバラバラになり、行方不明が多かった時代でも、必ずどこかで人の生死に区切りをつける作業(例えば遺骨がないままでの戦死の認定や一定期間以上失踪による死亡認定)が行われてきたのだろうに、なぜこの時代に、それが行われないのであろうか、ということです。 人間関係が多少希薄になるのならいざ知らず、家族関係が希薄とは、「世も末」であり、「国を揺るがす大問題」だと私は思います。なぜなら、我々が事を成すにあたってのエネルギーの源泉は家族や友人であり、全く孤独では生きていけないと思うからです。
- AmatsuMina
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成人して社会に出て一人立ちしたのに、まだ親と連絡をとる。 または親のほうから連絡がくる。 そっちのほうが気持ち悪いです。
お礼
成人して社会に出て一人立ちしたのだから、親に依存するのは、確かにおかしいのでしょうね。 では、親が頼ってきたら、突き放すのですか? 依存することと、対等の人間同士として共存することと、混同していませんか?
- kkk112
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うちの父の場合、 私が成人してから母と離婚しました。 再婚しては別れ再婚しては別れを繰り返し 今ではどこにいるのかもわかりません。 たまに(といっても5年ほど前)車ですれ違うことがあったので 同じ町にいることはいるのではないかと思います。 父の兄弟もどこにいるのかわからないそうです。 離婚後、金銭面でも兄弟に迷惑をかけたらしくそれ以来連絡がないそうです。 体の具合が悪いなどで本人から連絡がないかぎり音信不通です。 私は母側についたため、父の居場所を聞き出すこともできず、 会うことは母に後ろめたく現在に至ります。 離婚がもう少し早ければ小さいながらに会いたいとわがままもいえたかもしれませんね。 年金を詐取するつもりはありませんが 100歳以上になっていてどこにいますか?とたずねてこられても 10年以上音信不通ですといかいいようがありません。 このニュースを聞いて他人事ではないかもしれないなと思いました。
お礼
経験者としてのご回答有難うございました。 まあ確かに、今更連絡をつけにくいということはあるのでしょうね。 誰か行政などの仲介者がいればいい、とか、何か対応は考えにくいでしょうか?
- heppiri
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>どうなってるんでしょうか? 私は大して疑問に思いません 例えば、路上生活者の中には、突然家族を置いて失踪された方もいるでしょうし、 親子喧嘩や兄弟喧嘩でお互い疎遠になり、遠隔地に住んでいれば、 亡くなったとかの話も入ってこないかもしれません。 毎年数万人の自殺者が出る国ですから、 その中には、人付き合いも無く、亡骸が見つかっていない方もいるでしょうし にもかかわらず、全国で百人に満たないというのは、逆に少なくて不安になります。
お礼
確かに、おっしゃるような例を考えたら、これでも氷山の一角のような気もしますね。 でも、今一番高齢でも、せいぜい120歳止まりですよね。ということは、それ以上の行方不明者は、当然もう死んでいる、と見なされているのか、それとも皆どこかの時点で、長期失踪者=死亡として認定されているのか・・・? 問題は、昔から構造上こういうことはありえたのなら、つまり「今に始まったことではない」のなら、まあ、しかたがないのかな、と思いますが、最近急に浮上した問題だとしたら・・・やはり問題ではないでしょうか?
お礼
度々ご回答頂き、有難うございます。 現代は、農業はじめ家業の比率が低下し、皆ひとりひとり独立して仕事に就き、個人個人の興味と関心を追及する個人主義の時代ですので、よくも悪くも、個人が群れることを嫌う風潮にありますね。 しかし、次の私のモットーの通り、私は、たとえ仕事や興味と関心は別でも、家族はそれぞれをお互いに尊重しあい、仲良く助け合って生きていくのが理想と考えます。 私のモットー:君は君、我は我なり、されど仲良き。(武者小路実篤のことばより)