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詳しい方教えてください

詳しい方教えてください ベトナム戦争は南が北に負けましたが、南には戦力が北をかなり上回っていたしアメリカもいたのにどうして負けたんですか? 気になったのでお願いします

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  • trajaa
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回答No.1

戦車や戦闘機など近代兵器が勢揃いでも、それを乗りこなす乗員の練度が低ければ宝の持ち腐れ。 また、ベトナムではジャングル戦が主体でした、ヨーロッパの様な平原地帯であれば、射程の長い戦車砲も空からの射爆撃も有効に機能しますが、密林地帯では敵味方の識別が困難だったり、樹木や泥濘によって銃弾砲弾の威力がそがれるなど様々な面で有効に機能しませんでした。 またそれまでの戦闘形態である、敵味方が戦線を形成して、きちんと軍服を着用した正規兵同士の戦闘出はなく ゲリラ戦として普通の住民と同じような身なりをした民兵や変装した正規兵が、突如目の前に現れて攻撃を仕掛け、反撃体制に入る前にサッと姿をくらませたり・・・・ そして何より大きかったのが、南側の様々な階層や組織の中に北側にシンパシーを感じる人々が多数存在したこと そもそも最初から北側から送り込まれた工作員の様な人々も多数いて、中には軍や政府の高官だった人も居る。 そんな人々から様々な情報が流れる状況では、南側の攻撃意図も逆に弱点も丸わかり。 これじゃいくら最新兵器を揃えても、勝てる見込みは少ない。 まあベトナム戦について述べられた書籍は星の数ほどあるので、エピソードには事欠きません。

abc1029
質問者

お礼

よくわかりました、ありがとうございます。 やはり一番早く回答をいただいたあなたに差し上げます これで歴史への興味が一段と沸きました また宜しくお願い致します

その他の回答 (3)

  • 207eden
  • ベストアンサー率26% (24/92)
回答No.4

代理戦争ということで、北にはソビエトの支援があったこと。南はアメリカの軍事介入が、米国の予算の関係で削減し、最後は軍事物資のみの援助となり縮小したので、バランスが変化したことがあります。 アメリカは国内の反戦ムードが高まり、政権交代の危機があるため、収益性の低いヴェトナム戦争から手を引きたく考えていました。 キッシンジャーの訪中などで、アジアのパワーバランスを確認した後に、東南アジアの傀儡国家への軍事援助を次第に縮小しました。 南ヴェトナムは政権奪取のためのクーデターが多く、内政が安定していない国家でした。それなりに愛国心も深く、反共という観点でも統一されていたと思いますが、政府レベルから民間レベルまで国力をつけて外敵に備えるということが出来なかったように思います。 反共の旗印のもとに、多くの国で代理戦争が繰り広げられましたが、冷戦時期が到来し、ドンパチの戦争が金喰い虫になったこと、またアメリカ国内で戦争の整合性が保てなくなったこがあり、アメリカの介入がなくなります。 しかし当事者の南ヴェトナムは戦争を維持するしか方法はなく、骨抜きになった状態でも戦争を継続せざるえない状態だったように思います。 北ヴェトナムの望みが、適当な講和条約締結で、南北の融和でなく、あくまでも統一ということで、総力戦の形式になったことも南北の向き合い方の特徴です。 戦争当時の人口比較では、北ヴェトナムのほうが人口が多く、そういう意味でも国家の体力が勝っていたのかもしれません。 この場合は、攻める側の北ヴェトナムに利点があるのではないかと。

abc1029
質問者

お礼

なるほど、とても文章選びが高度で私の脳では若干(?)なところもありましたが、歴史は繋がっているので色々な側面から知る必要があるということですね。ありがとうございました

  • kcv86
  • ベストアンサー率0% (0/3)
回答No.3

皆さんのおっしゃる通りですが、ちょっとだけ追加で言わせてもらいますね。 やはりアメリカが撤退した事が一番大きいと思います。 何故撤退せざるを得なかったかというと、予想以上に損害が大きかった事、戦費がかさんだ事、情報戦で負けた事、国内外で反戦ムードが高まった事、兵士の士気が下がった事でしょうか。 民主主義国家ですから世論は無視できませんしね。 あと、中国との全面戦争を恐れて中途半端な戦争をしていたってのもあるんじゃないかと。 で、米軍が撤退すれば中国やソ連の後ろ盾が健在な北ベトナムが力負けするはずも無いと。

abc1029
質問者

お礼

なるほど。 よくわかりました。ありがとうございます

  • mtoyaji
  • ベストアンサー率42% (70/165)
回答No.2

1の方がかかれていることに追加すれば、 南ベトナム政府が腐敗しきっていたこと、があります。 それこそ、この時代の南ベトナム政府の腐敗についてはさまざまな話がありますが、 一度、サイゴンの旧大統領官邸と、ハノイの旧ホーチミン国家主席官邸とを見比べたらよくわかりますよ、実感として。 サイゴン(ホーチミン)の旧官邸を見て、旧市街を歩いたら、よくわかります。 こりゃぁ、負けるよって。搾取ってのは、こういうのを示すためにある言葉なんだよな、って。 大統領官邸というより、大統領宮殿です。王様です。 ホーチミン氏がどれほど立派な人なのかはわかりませんが、無言の説得力がありました。 あれだけ腐敗しきっていた政府のもとでは、どんなに近代兵器があろうとも、どんなに軍隊の兵員数が多くとも、そりゃ、戦争には勝てないでしょう。

abc1029
質問者

お礼

ホーチミン氏の話は幾つか読みましたが、とても暖かい人柄だったように見受けられました。 子供たちと楽しそうに写っている写真が印象的です 南の敗因は色々な要因が重なったということですね。ありがとうございます