>「同性愛」について
身体的性の成熟と精神的性の成熟を考える上で、非常に面白い事例だと思います。
「同性愛」と一言で言っても、「男の体と男の心を持つ人が、同じく男の体と心を持つ人と愛し合う」場合もあれば、「男の体と女の心を持つ人が、男の体と心を持つ人と愛し合う」場合もあります。
体と心の組み合わせは多種多様で、通常の異性愛など、そのうちのたった一つの組み合わせにしかすぎません。
それに「男でも女でもない第三の性」「男と女の中間の性(どちらかに偏っている場合も)」「無性」等々、調べれば調べるほど、我々が普通だと思っている「心と体の性が一致したうえでの異性愛」が、いかに限定されたものであるかを思い知らされます。
集団遺伝学などの観点から、動物の同性愛を考えるのもおもしろいです。
動物界においても同性愛やペドフィリアは時たま見られるもので、「直接的生産ではない生産的現象」と考えられる事例もあります。
※「直接的生産ではない生産的現象」の最たる例の一つはアポトーシスです。
※マントヒヒのペドフィリア的行動が、繁殖競争において地味に有効だというのも驚きでした。
生命の本質は、いかに自己の遺伝子を後世に残すかであって、子供を大量に生産すればそれでいいってわけでもありません。
「生産調整が必要である、しかし生殖行動と言う生命の本質を簡単にオンオフするわけにもいかない」という葛藤の果ての妥協点の一つが同性愛だと考えると、そこに生命の神秘を感じます。