家族法は基本的人権よりも上位概念である
夫婦別姓を主張するために基本的人権を根拠にすることは困難だと考えます。なぜなら家族の一員であることに同意とすれば、基本的人権が大きく制約されることが当然だからです。夫婦は同居や相互扶助の義務・育児と教育の義務を負います。子供はまた投票権なく、納税の義務もありません。子供は家族が育てなければならないのです。社会は直接に個人の上に成り立つのでなく、家族の上に成り立っているのです。家族外の人と比較すれば「親という立場の人」の基本的人権が等しくありません。「親という立場の人」は家族を守り育てるために家族外の人よりも覚悟と努力が必要なのです。多分それなりの喜びが付随する努めなのでしょう。また相続権のメリットもあるでしょう。
また、家族の成立がなければ社会の成立は困難です。扶養や育児の義務を「親という立場の人」に担ってもらわなければならないのです。憲法11、97条で「侵すことのできない永久の権利」と定められておりますが、上のことから「家族法は基本的人権よりも上位概念である」ことが判ります。
家族法の改訂を考えるならば、できるだけ健全な家族を再生産し続けることの可能な範囲でなければなりません。Aさん家族は「苗字A」という旗印で社会に参加しているのです。この旗印を持つメンバーは共通の覚悟・義務・努力・死に場所(墓)を持つものと見なされて来ました。
ところで夫婦別姓法が成立するとなると、ある家族Aのメンバーは苗字Bあるいは苗字Cのお人かもしれない、あるいは苗字D,E,Fの混成かもしれない場合が生じるのです。家族共通の旗印「苗字A」が無くなるのです。このことは二つのことを意味します。一つはその家族構成員が他の人々からは明瞭に見えなくなること、もう一つには相続権が失われないことです。つまるところ夫婦別姓が成立することで、「家族としての覚悟・義務・努力を見え難くしておきながらも相続権だけは保っておきたい」との意図が読み取れます。そうして健全な家族を作り出す可能性が犠牲にされていくのです。
結局のところ、夫婦別姓を要求するということは基本的人権を誇大に主張して、家族制度を弱らせ、相続などの権利だけは確保したいとの主張のようです。真に基本的人権を求めるのであれば家族を作ることを避けるはずなのです。
夫婦別姓を主張なさる人々からのご説明をお待ちします。