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ネットやテレビから情報を収集する生活について
- 私はネットやテレビを中心に政治・経済・エンタメ等のニュース、情報を収集する生活を5年以上続けています。年間2000以上の記事を読み、情報に接していますが、情報の取捨選択力が不十分で思い出せないことが多いです。
- 情報を頭に止めておくにはどうしたらいいか悩んでいます。復習するのは不可能に近く、離れることもできません。情報弱者感があるためやめることができません。皆さんは同じような経験はありますか?
- ご意見やアドバイスがあればお願いします。
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質問者が選んだベストアンサー
情報弱者というのは、ある必要な情報を手に入れられず最終的にそれ故に社会的に孤立することを意味しますが、過去にそういった困ったことがあったのでしょうか? 質問から察するに、それはないか、またはあったとしても生活に大きく影響を与えるものではなかったのではないでしょうか? たくさんの情報と接することと、物事を理解し心にとどめるのは似て非なるものです。有益な情報というのは決まった数を見て流すことではなく、その中から一つまたはいくつかを選択し、心にとどめたい話題や、歴史、現実といったものを記憶し場合によってはそれを活用することにあります。 質問を読む限りでは、質問者様の場合は記憶ではなく、すべてを記録(ブックマーク)として情報に接しているということでしょう。見ることがすべてであり、見ていないとイライラしたり、気になって仕方がない。逆に見ることで自分は見ているという落ち着きと、知ろうとしているという興奮を手にするのです。ただ、見れば心の平静につながりますから、それ何であっても心に留めることはないでしょう。言ってみれば、依存症の一種です。 多くの人は、自分が接してきたすべての過去の話題を取り出すことはできません。一部には特殊な人もいるかもしれませんが、それは特異な例です。物事を覚える心に留める上で、大事なことは、情報を思い出せるようになることではなく、情報の必要性を実感することです。 その情報が役立ち使えたときに、情報は力を発揮し、次の情報を得たいと思うようになります。単純にそれだけのことです。 たとえば、このサイトでご自身の読んだ内容やブックマークした内容を確認しながら、自分で自分なりに咀嚼し、誰かの回答の手助けをすることは本人にその気があれば、決して不可能ではないことです。喜びの次元が収集で終わっている間は、今の記憶できないジレンマに悩まされるでしょう。逆に、そこからより実践的な情報の使い方を考えれば、もう一つ新しい何かを見いだすかもしれません。 人は、物事を学習し慣れる生き物です。慣れるとこれまで得られていた興奮(快楽)が弱まり、矛盾などを感じやすくなります。そのときに、自分で考えその次に何をすれば社会的に、または自分にとってプラスの方向性と新しい興奮を得られるかを導き出す人は、どんどん物事をどん欲に吸収していきます。 逆に、そこで立ち止まってしまうといつまで立っても苦しみからは抜け出せません。質問者様の場合は、本当に情報に接することをやめるべきか、それともやめずに活用方法を探すのかを考えることが始まりではないかと思いますが、いかがでしょうか? 尚、時事ネタであるニュースの多くは、情報として記憶に留めても長く役立つことはほとんどありません。日々の生活で多くの人と接する営業職などは別ですけど、あまり人と接しない人は、忘れて当然かもしれません。
その他の回答 (1)
- aki2932
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情報弱者であるから、ニュースを見なければならない そう感じていられるのですね? それならばその気持ちを満たすことが 目的になっているので、あまり記憶に残らないのも自然なことだと思います 興味がある、問題意識を持っている事柄が ニュースでやっていたら、それに対しての感想や感情が持てて 記憶にとどまることになると思います それから毎日数時間ニュースを見ていて 情報が多すぎて脳が処理しきれない面もありますよね 例えばニュースの代わりににエッセイを 手当たり次第読んでも同じ結果になると思います 何を持って情報弱者と思われたのか またどんな不利なことがあったのかはわかりませんが 過去に不利だったこと、それだけをまずフォローすることから始めてみられてはいかがですか?
お礼
ご回答頂きありがとうございます。 過去に不利だったこと・・・まず情報収集(というか飽きるまで面白そうな話題を検索)自体膨大な時間が掛かってます。 それに上に書いたようにそのほとんどを思い出せません。 記憶力も大分悪くなりました。 興味がない情報を集めてるのは幾分かあると思います。 面白い=興味があると勘違いしてるせいか、興味があると思って見てるものの一部又は多くが、実際には関心はあっても、本当に興味があり自分の問題意識に沿ったものでない可能性は存分にあると思います。 ただ興味のない情報の中にも本当に有益な情報が多々ありますので、無闇に「面白い」を基準に探してるところはあると思います。 欲張ってあれにもこれにも手を伸ばして、結局何一つ身についていないという状況なのでしょう。 少し答えが見えてきたような気がします。
お礼
ご回答頂きありがとうございます。 目的を持たず無闇に情報収集してることに原因があるのは薄々感じています。 しかしまず何を目的とすべきか、検討があまりつかないです。 「面白い」が主に基準になってると思いますが、現実に今の自分に役に立ちそうな、ビジネス書に載ってそうな文言、経験談、生活のノウハウを集めてます。 しかし実践向けの情報を思い出すときは、断片化していて、なかなかすっと思い出せません。 「必要な情報」ではなく「役に立ちそう」で収集してるからでしょうか? 情報収集と言ってますが、実際には必要と思って検索を賭ける場合を除いて、ただ「個人的に今最も有益だと思える行動」としてテレビやネットに接しているだけだと思います。 >情報の必要性を実感 そういうときはどういうときか、考えてみましたが、おそらく特定の情報の欠落により現実的に不利益を被った場合だと思います。 いわゆる「痛い思い出」でしょうか。 そういう思い出を作らないために、先に情報を仕入れてるつもりでしたが、 言われるまでもなく自己の経験を持って、経験に勝る情報は少ないと感じています。 なのになぜわざわざ実践的に役に立たない情報を集めてるのか?と問われれば、ただ「情報不安だから」と答えます。 「ないよりはあった方が良い、それに超したことはない」がこうした生活がやめられない原因なのだと思います。 問題解決をネットなど既存の情報に丸投げしてるのも一つあると思います。 しかし、少なからず現実に役に立った経験はあるわけです。 事故や事件からも教訓を学ぶことはありますし、「完全に無意味な情報」というわけでもないので、そこを無理にシャットアウトすると、先に言う「情報不安」に陥ってしまいます。 検索をするだけの時間がある、暇だからそうした行動に走ってしまう、というのもあるのでしょう・・・。 >本当に情報に接することをやめるべきか、それともやめずに活用方法を探すのかを考えることが始まりではないかと思いますが、いかがでしょうか? 私は後者を選択すると思いますが、そのために考えるべき事が多々あると思います。 何が目的なのか?検索したり質問したいですが、回答者が私しかいないんですよね・・・。 あと、情報弱者についてですが、用いた意味が若干違ってました。 言いたかったのは、情報の欠落により他人より出遅れてる感がある、ということです。 少し自分が見えてきたような気がします。