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私の兄は身内のメールでも本文に時候の挨拶を入れることにこだわります。
私の兄は身内のメールでも本文に時候の挨拶を入れることにこだわります。 頻繁にやり取りするメールにおいて時候の挨拶を入れる必要があるものでしょうか。 兄はメールの本文に「前略だ!」と入れて、怒りを表現したこともあります。 それは実に滑稽にも思えるのですが、みなさんはどう判断されますか。
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電子メールという媒体には時候の挨拶は一切不要とする考え方があります。わたしもそう思っています。もともと英語文化圏をルーツとする文化に無理矢理日本文化の時候の挨拶を組み込むことは正しいとは思えません。 http://jobhunt.seesaa.net/article/9716768.html をお兄様におみせになってみてください。 メール作成の心構えとしては、失礼がない限りは「簡素に」が基本だと思っています。これはビジネスだろうがプライベートだろうが関係ないでしょう。
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- osahune
- ベストアンサー率47% (288/609)
No.6です。 間違いがありましたので補足させてください。 >受ける側としても「こんにちは」でも違和感を感じることはありません。↓ 受ける側としても「こんにちは」でも「なにも無くても」違和感を感じることはありません。 >少ない無いと思います。←まちがい 少なく無いと思います。
お礼
誤字・脱字等よくあることです。 私も自分のメールや発言の間違いに気付いた場合には躊躇することなく訂正しています。 しかし、私の兄はなかなかその誤りを認めようとしません。何とかしてごまかそうとします。全く困ってしまいます。 御丁寧に訂正いただきましてありがとうございました。
- osahune
- ベストアンサー率47% (288/609)
メールで「時候の挨拶」。 わたしも結構やってます^^; と言っても・・ ○○(自分の名前)です。 暑いよねぇー。 電気止められちゃって(な訳ないっ)、クーラーは休業状態(付いてないのよ)。 この猛暑、、団扇だけで生きていかなきゃならないなんて><うぅ。。 ・・くらいのものですが・・。 家族や兄妹と離れて暮らしているし、頻繁に帰れるわけではないので、どんな生活をしているのかちょっとだけ伝わるようなことで書きますね。 ただし相手に強制する気持ちはまったくありませんし、受ける側としても「こんにちは」でも違和感を感じることはありません。 メールの書き方は、人それぞれの個性ではないでしょうか? 強制されたくはないですが、すこしくらいなら合わせてあげるのも「やさしさ」かもしれません。 無理に合わせる必要もありませんが・・。 まじめな人ほど周りの行動や言動が気になるものです。 まじめであることが当たり前になるため、外れている、不まじめとも思える行動や言動が気になります。 しかし、外している、不まじめ・・と(お兄さんに)思われている人は、「外れている、不まじめ」という認識はないのです。 人は「自分の物差し」で「他人」を見てしまうことがあります。 それがすべて間違いであるとは言えませんし、あながち的はずれでないことも少ない無いと思います。 お互いが持つ「物差し」を近づけ修正していくこともコミュニケーションの大切な要素かもしれません。 「お兄さんはお兄さん、私はわたし、強制しないでよ・・」くらいの事を書いて、すこしずつこちらの個性をわかってもらうようにしたらいいんじゃないでしょうか?
お礼
「会話は言葉のキャッチボール」と言いますが、兄はとんでもないボールを投げ返して来ますのでまともなコミュニケーションが成立しません。 人の言うことはまともに聞こうともせずに自分の言いたいことは思う存分に言い放ちます。メールに時候の挨拶を入れるのは当然のマナーだと言うのもその一つです。 今度その考えの誤りに気付かせるためにこの相談サイトの回答を見せてみようかと思います。 回答ありがとうございました。
- ucok
- ベストアンサー率37% (4288/11421)
メールが普及しだしてからまだ約十年なので、きちんとしたマナーが確立されているのかどうかは疑問ですが、私は村上龍が2001年に著した『eメールの達人になる』(集英社)に概ね賛成です。村上氏によれば、eメールは簡潔さが美徳。したがって、できるだけ簡潔明瞭に要件を書くべきだとしています。 とはいえ、マナーというものは「相手を気持ちよくさせるための手段」です。とりわけ前eメール時代の方々(特にオジサン)の中には、その簡潔明瞭さをむしろ寂しい、あるいは冷たいと感じる向きがあり、現に彼らは(私に言わせれば)無駄に長いメールを書きたがります。 私はといえば、基本的に相手の調子に合わせるようにしています。つまり、相手が無駄の多い長いメールを寄こせば、こちらも無駄の多い長いメールを返し、相手が簡潔明瞭なメールを寄こせば、そのような返信を私もします。でも私自身の好みとしては、ビジネスでは「お世話になっております」、私信では「こんにちは」程度の挨拶で済ませたいですね。で、私信の場合は、それに続いて無駄に長く書いてしまうことが多々あるのですが。 「ビジネスならまだしも」というご意見もあるようですが、むしろビジネスでこそ挨拶は簡潔にするのがeメールの基本ではないかと思います(ちなみに、必ずしも「基本=最良」とは限りません)。で、まあ、「前略だ!」に関しては、紙版の手紙に置き換えたとしても滑稽ですよね。逆に言えば、ご本人がまったく滑稽さを意識していないなら、そのこと自体ゆえに面白いかただと感じます。ただし、それを「いまどき珍しい」で片づけてしまうのも、ちょっと前eメール時代の人々に対する配慮に欠けるのではないかとは感じますが。 以上、無駄に長くてすみません。
お礼
村上龍の『eメールの達人になる』はまだ読んでいません。今度ぜひ読んでみようと思います。 私は兄に対しては長文のメールを送っています。それは口で言ってもよく通じないからです。通じないのは私がうまくしゃべれないことが原因の一つです。 そこで私はメールや手紙でその思っていることを伝えているのですが、兄は私のメールが長いことが「読むのが苦痛」だと言って嫌がります。 よく読んでもらえばわかってもらえるように配慮してメールも手紙も書いているのですが、兄はそれをまともに読みもせずに返信しますのでコミュニケーションが成立しません。 兄が私が何度も長文のメールを送るため「前略だ!」となってしまいました。まさに滑稽以外の何物でもないと思います。 回答ありがとうございました。
- violet430
- ベストアンサー率36% (27472/75001)
私的なメールにおいて挨拶は好みの問題だと思います。 私は こんにちは 程度です。
お礼
メールの内容次第では挨拶は不要と言うよりも邪魔なケースもあるかと思います。 いきなり本題に入ったほうがいい場合もあるはずです。 回答ありがとうございました。
補足
確かに「今日は」程度なら問題ないと思います。
- zumichann
- ベストアンサー率39% (892/2250)
馬鹿みたい(失礼ながら)だと思います。 それはこだわりじゃなくて、時候の挨拶をいれないと体裁の整ったメールが自分が書けないだけでしょ、なくてもバランスのとれた文章が書ける国語力つけなさい!と、もし身内がそんなこと言い出したら言います。
お礼
書く能力の問題かも知れませんね。 回答ありがとうございました。
補足
「失礼」ではありません。全くその通りです。
- kyoromatu
- ベストアンサー率14% (746/5024)
>みなさんはどう判断されますか。 生真面目・・馬鹿真面目・・糞真面目・・のいずれかの 類に分類されかねないお方のような気がします。 いずれいまどき珍しいですね
お礼
兄がこの相談サイトを見てこの投稿が自分のことを言っていると知ったとしたら果たしてどういう反応を示すか、見てみたいものです。 回答ありがとうございました。
補足
いまどき珍しくて申し訳ありません。
- nine999
- ベストアンサー率44% (512/1140)
ビジネスメールならまだしも、個人的なメールには必要ないですね。 ビジネスメールにしても、これはビジネス文書のマナーを代用しているだけです。 では、身内に手紙を出すのに、時候の挨拶を書く人はそうはいないでしょう。 会話のレベルに近いもので良いと思います。会話もかしこまってやるんでしょうかね。 「前略、おはようございます」と挨拶すれば、やり過ぎに気づいてくれないものでしょうか。
お礼
回答ありがとうございました。 私もそう思います。 問題なのは兄がその誤りを他人にも押しつけようとしていることなのです。 兄が自分の好みで時候の挨拶を入れるのはいいと思うのですが、兄は自分の身内にもそうすることが正しいことだと思ってそれを押しつけようとしているのです。兄はプライドが高いため人の言うことを素直に聞こうとしません。まったく困ってしまいます。
お礼
私の思いを代弁していただいたような気がします。御教示いただいた記事を兄に見せてやりたいと思います。 毎日多くのメールを受け取っている人にとっては、時候の挨拶はないほうがよく何を言いたいかが大事だと私も思います。 メールの内容や相手によっては時候の挨拶が必要な場合もあろうかとは思いますが、どんな場合でも形式として時候の挨拶を入れるというのは勘違いも甚だしいと思います。 回答ありがとうございました。