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バッシングを受けたときどうするか。

バッシングを受けたときどうするか。 過去に自分の行いや考え方が間違っていると 複数の人から猛烈な批判やバッシングを受けました。 確かに私にも多少の非があり 一見するとその批判の方が正しく聞こえるのですが、 私はそれでもなお 自分の考え方のほうが正しいとおもってしまい反省したくてもできずにいます。 バッシングを受けたこと自体が理不尽だとすらおもっています。 こんなとき気持ちをどう整理をしますか?反省する方法はありますか? またバッシングをしてきた人たちをどのように思いどのように決着をつけますか? 抽象的で難しい質問ですが暇があればよろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.1

>>こんなとき気持ちをどう整理をしますか? → ・「自分の意見」「○○さんの意見」と思わず、「意見A」「意見B」と客観視する ・意見や価値観の違いが起こった背景についてじっくり考察してみる ・可能であれば、上記の考察をもとに「意見C」を構築してみる >>反省する方法はありますか? → ・意見の食い違いそのものを反省する必要はありません ・意見の応酬になった折に、反省すべき言動があったかどうかを冷静に思い起こす必要はあり >>バッシングをしてきた人たちをどのように思いどのように決着をつけますか? → ・・・「決着」、とは、心のなかでのことでしょうか?対面でしょうか? 1)心の中での決着:気持ちの整理、に同じ 2)対面での決着 :特に必須ではない  「意見A」と「意見B」の比較や対決という意味であれば、むしろやってはいけない。   「意見A」「意見B」にこういう背景があったとか、考察の結果「意見C」「意見D」が生まれた、とかいう新しい内容を提示することによる歩み寄りであれば、場合によっては可です。ただし、相手の方々がその場を設定する価値があるとみなした場合に限る。 

bossa12
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >「自分の意見」「○○さんの意見」と思わず、「意見A」「意見B」と客観視する これははじめてききました。 >意見や価値観の違いが起こった背景についてじっくり考察してみる 一番の原因は性差だとおもっています。 女性とそれを支持する男性からバッシングがメインで その女性やそれを支持する男性に批判的な人からは少しの支持がありました。 >可能であれば、上記の考察をもとに「意見C」を構築してみる 自分の中では構築できた気がします。 >2)対面での決着 :特に必須ではない 反省できなかったので反省しなかったら バッシングがますます酷くなりました。 途中からバッシングしてくる人間自体に憎しみすら覚えました。 自分の中でCやDは生まれましたが 相手は意見Bを変えようとしません。 そしてそれでダメージを受けるのは私です。 ようは反省を強要されるイメージでしょうか。 参考になりました。

bossa12
質問者

補足

みなさまの回答を読ませていただいて 私の結論は ・バッシングの理由はいろいろで内容は当てにならない。 ・相手を理解して反省できるところはする。 ・反省できないところは一生平行線でいい。 これにプラスして私の考えですが ・無益なバッシングをしてきた奴はじこってしんでしまえ。 ということになりました。 >「自分の意見」「○○さんの意見」と思わず、「意見A」「意見B」と客観視する > 意見の食い違いそのものを反省する必要はありません この2つの考え方と最初に回答していただいたことを考慮いたしましてcrivelli45さんを BAに選ばせていただきます。 みなさま長文をありがとうございました。

その他の回答 (5)

回答No.6

質問者さまの性格によると思います。 想像で申し訳ないのですが、質問者さまは日ごろから「自分こそ正しい!」的な良くいえば正義感とか理想論とかを周りに対して振りまいているタイプではないですか? 悪い事ではないと思いますが、そういう時、周りの人は結構疲れてしまいます。 バッシングを受けやすい人って確実にいて、そういうタイプも多いですね。 逆に日ごろから常に低姿勢で謙虚で人の意見をちょっと自分と違う、と思ってもちゃんと聞いてあげるタイプの人はいざと言う時もバッシングは受けないです。 でも性格を変えるのは難しいですから、相手が何を言っても「そうは言うけど私が正しい!」って思っているうちは反省は無理ですし、バッシングをしてきた人に対してもどこまでも敵対姿勢でいるしかないと思います。 バッシングを受けない方法→性格を変える。 受けた時の気持ちの整理→相手がバカだと切り捨てる。 反省する方法→元々自分には非がないと思ってることに反省は無意味・・というか不可能。 こんなとこかな。

bossa12
質問者

お礼

>質問者さまは日ごろから「自分こそ正しい!」的な 確かにそういうところもあります、振りまいてはないですけどね。 どちらかというと相手の方が正しさを押し付けていました。 性格をかえるのは難しいです。 >受けた時の気持ちの整理→相手がバカだと切り捨てる。 反省する方法→元々自分には非がないと思ってることに反省は無意味・・というか不可能。 この2つは参考にさせてもらいます。 ありがとうございました。

noname#132831
noname#132831
回答No.5

 40代の男性です。  ■ 問題化しない    http://www.shiawasehp.net/mondai/  ■ 感情と理屈    http://www.h5.dion.ne.jp/~takata/20/7.html  ■ 議論をさける    http://www.kitami.tv/subnote/2007/05/post_201.html  ■ ノン・バーバル    http://park6.wakwak.com/~psychol/communicate/cbase/babal.html  ■ 原因帰属理論    http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/deai/013kizoku.html    人間というのは、正しいか正しくないかを求めているのではありません。「自己肯定感」や「自己重要感」さえあれば満足する生き物なのです。相手の言い分を聞く姿勢を見せれば、バッシングにまで至らないでしょう。「あぁ、この人は私の話を真剣に理解しようと努力している」と思わせれば、話はすぐ終わります。反発すればするほど、「この人は何も分かっていない、もっと言ってやろう」と思うものです。  また逆に、ある人の「行動」を否定したい場合は、「人格そのもの」を肯定した上で話せば、受け入れられやすいでしょう。    http://www2s.biglobe.ne.jp/~musimusi/coach18.html    http://www.roy.hi-ho.ne.jp/hanasi/ih3-hyougenn.htm  『君は人のせいにばかりする。責任を人に押し付けている』と責めるより、『僕も悪かったよ。忙しさにかまけて、君にまかせっきりにしてごめんね』と言う方が「責任を押し付けてはいけない」と思わせる効果があるのではないかと思います(相手にもよりますが)、ハイ。    http://www.geocities.jp/kidseq04/poemeq.html

bossa12
質問者

お礼

人間は理屈でなく感情の生き物ですよね。 このことは理屈では知ってます笑 >相手の言い分を聞く姿勢を見せれば、バッシングにまで至らないでしょう。 恋人や夫婦であればそれでいいかもしれませんが そとにはどうしょうもない女がたまにいます。 こちらが聞いても相手がききません。 ノンバーバルという言葉を借りれば ことばにはしないバッシングもあります(無視など) 私はバッシングをしてきた奴のほとんどが じこかなにかで痛い目にあってほしいとおもってます。 最近はおもってないけど。 加護ちゃんや酒井のりピーもほんとは 理不尽だなと感じていたんじゃないかとおもいます。 反省できるところはして できないところは一生平行線でいこうかとおもいました。 ありがとうございました。

回答No.4

バッシングの根拠は何か、そこだと思います。 根拠が無ければ、バッシングではなく、ただのストレス発散の的にされただけです。 根拠があるのであれば反省ができるし、次にも生かせます。

bossa12
質問者

お礼

>根拠が無ければ、バッシングではなく、ただのストレス発散の的にされただけです 根拠は一応あります。 しかしこちらのいいぶんを無視されたので こちらも無視したら バッシングが酷くなった体験があるのです。 ストレス発散の的にもなったのかなとおもいます。 回答ありがとうございました。

  • poyan-osa
  • ベストアンサー率12% (8/63)
回答No.3

ヒマじゃないけど回答しましょう。 考え方なんて、まったく同じ人なんて誰もいない。 ほとんどの人が人の受け売りだったり、孤立するのを嫌った周囲への同調だったりでしょ。 バッシングをうけるってのは、(もちろん中身にもよりますが・・^^;)あなたが独創的な発想を示したということの証明であり誇れることだと思いますよ。 ただし、他の人のいっていることにも、ちゃんと耳を傾けなければなりません。 決着をつけたいのなら、まずは先入観を捨てて人の話をちゃんと理解する努力をした上で聞くことです。 人の話を利かなければ、自分の話も聞いてもらえない。これは、物事の道理だと思います。 私はコンサルタントをやってますが、いつもこういったことに直面します。しかし、人の話をちゃんと聞くことで、多くの考えを認めていただきましたよ。

bossa12
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >ほとんどの人が人の受け売りだったり、孤立するのを嫌った周囲への同調だったりでしょ。 確かにそんな気もします。 私は男です、相手は女でその支持者は女がメインです。 >他の人のいっていることにも、ちゃんと耳を傾けなければなりません。 私は傾ける努力をかなりしました。 相手らは私に耳を全く傾けません。 それじゃ反省できないという結論になり そうするとバッシングが酷くなったというのが私の体験です。 >人の話をちゃんと聞くことで、多くの考えを認めていただきましたよ。 自分だけが相手の話をきいても相手にきく準備がないと ただ損しておわりな気がします。 ましてや相手に間違いがあった場合 反省したくてもできなくて困ってしまいます。 お忙しい中ありがとうございました。

  • tomban
  • ベストアンサー率26% (2616/9771)
回答No.2

そもそも「どれが正解」というのは、すごくあやふやだったり、立場で変わったり、時間経過でも変わったりするものです。 だから私は「未来の私」に答えは丸投げするようにしてますね。 それよりもまず考えないといけないのは「自分の意見に対する、他者の反応の理由について」です。 AさんとBさんでは同じバッシングでも「理由」が異なります。 奥深い考えか、浅薄なのか…いろいろな理由がそれぞれに存在しますが、その「議題」となっているのは自分の発言ですから、まずは自分の「話したこと」をよく反芻することです。 それによって初めて「ああ、こういうことか?」と気づけます。 自分の考えが正しいのだ、間違ってるのは彼らのほうだ…そういうことだと「自分の理由」を押し通していることになりますよね?。 そうすると、問題解決の糸口がずーっと遠くになってしまう。 解決を遠まわしにすることになってしまうのです。 だから反省するためには「他人の意見と自分の意見」を順序付けして、頭の中で整理することが必要になります。 これは自然にできるようになるものではなくて「訓練」で初めてできるようになるものなので、耐える力もいるし、自分が下がる決意も必要になりますが、その分ちゃんと「他人の理解」が進むわけですから、充分お釣りは来るというものです。 「決着」は「問題解決」で着けるべきですね。

bossa12
質問者

お礼

>AさんとBさんでは同じバッシングでも「理由」が異なります。 確かにそうかもしれません。 酒井法子麻薬事件でも スポンサーからのバッシングと 主婦やマスコミからのバッシングは 意味が違う気がします。 >「他人の理解」が進む 相手を理解できても 自分を理解してもらうことは難しいですよね。 >そもそも「どれが正解」というのは、すごくあやふや >時間経過でも変わったりするものです。 なんか答えは出たきがします。 「バッシングの内容は当てにならない。」 相手を理解した上で 自分ができる範囲の反省だけをする ってことでしょうかね。 やはり相手はどうしょうもないです。 どうしようもない相手だと決着はつかない。 回答ありがとうございました。