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皆さんにとって、自由とは何ですか?
皆さんにとって、自由とは何ですか? 今、皆さんは自由ですか? 不自由な方がかえって都合がいいことってありますか? 自由の定義はお任せします。
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質問者が選んだベストアンサー
高校がかなり自由な校風でした。(現在大学生です。) 自由は自分次第でどんどん自分を磨くこともできれば、すぐ落ちぶれることもでき、自由をナめていると本当に怖いことになります。 上に行くのも下に行くのも限りがない。 好きなことばかり、自分のことばかり考えるのが自由ではありません。 自由と自己責任はセットだと思います。 「不自由」は何かから束縛される代わりに、それに従って生きていれば安心・安全…みたいな、何かしらの保障がある気がします。 自由は保障がありませんから、すべて自分次第です。 社会人ではないので社会のことはわかりませんが、学校にいた中で感じた『自由』は以上です。 私の場合、家でも学校でも不自由だったことがほとんどないので、不自由を知らないのかもしれません。
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- lile
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自由がないと生き辛いし、自由すぎても少なくとも今現在の世界では生き辛いと思います。 自由とは僕自身。頭の中と言うのが一番近い表現の仕方かも。 >不自由な方がかえって都合がいいことってありますか? あります。 例えば何かカッコイイデザインをしてと言われるよりも ある程度制限を設けられ「こんなのが欲しい」と言われる方がデザインがしやすい事もあります。
お礼
何か抑制される方が、自由に対する発想が広がりますね。 自由と不自由のバランスが大事ですね。 回答を頂き、ありがとうございました。
- naoagu
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私にとっての自由は、“空気”です。 生きるためになくてはならないもの、私個人としては、お金よりも友達よりも1番必要で欠かせないものです。 自由をこよなく愛する自由な自分が、自由であることに生きがいを感じます。 自由=あるがままに、自然であること 自由=嘘・偽りと距離があること 自由=表現(動作・言葉)が生きること 空気のような自由をある一定の責任感をもって感じることが、幸せのベースだと思っています。。。
お礼
回答を頂き、ありがとうございます。 なるほど、言い得て妙ですね。 単純に、呼吸の空気ではないんですね。距離感というのもよく分かります。 ありがとうございました。
- IXTYS
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こんにちは。 私は間もなく古稀(♂) 『サンデー毎日』おじさんです。 妻と外国旅行もします。 海外事業とODAの仕事で世界約50ヶ国を回りました。 その時、忙しい仕事の合間を縫って休日に近くの観光地を回ったものでした。 パックの海外旅行と比べると、何かが違うのです。 パックツアーは一日24時間が観光目的。 これって意外とつまらない。 何をやっても自由なのに、意外とつまらない。 それより、仕事の帰り途中でショッピングモールに立ち寄って買い物をした昔の方が面白かった。 忙しい中で時間をやり繰りしての観光が今思うと楽しかった。 『自由とは与えられるものではなく、勝ち取るものだ。』 こんな言葉を聞いたのはいつのことでしたか。 年金生活者となって、一日24時間が私のもの。 これって意外とつまらないものです。 制限された環境の中で、何とかやり繰りして自分の時間を作る。 自由時間とは作り出すものなんですね。
お礼
回答を頂き、ありがとうございます。 >制限された環境の中で、何とかやり繰りして自分の時間を作る。自由時間とは作り出すものなんですね そうなんですね、不自由があるから自由があるんですね。 確かに完全フリー旅行というのは、かえって辛いですね。 ありがとうございました。
- tips
- ベストアンサー率14% (829/5762)
こんにちは。 常識的な範囲で、自分で何でも選択し行動できる状態。 いまは、自由です。 子供の頃は、やらなくてはいけないことや 逃げられない環境や守らなくてはならない約束があり、 言動の範囲が不自由でした。 宿題も門限も家事の手伝いも家族行事への参加など。
お礼
なるほど、子供→大人に行くに従って自由はどうなるんでしょうね。 親からの束縛はなくなりますが、社会的束縛が始まりますね。 捉え方次第かも知れませんね。 回答を頂き、ありがとうございました。
- kanna3225
- ベストアンサー率0% (0/2)
私にとって「自由」とは、哲学を学び自分の思想と生き方をきちんと確立することです。 今現在、哲学を勉強中の身で、自分自身の生き方も考え方も確立できていない今の自分は、「不自由である」と私は考えています。 哲学を学び、自分の思想と生き方を確立することは、物事を体系的に見ることができるようになり、また有機的な連携のもとに諸物の関係性を認識できるようになることから、そのような段階に至ることは「自由な認識」に至るのだと考えます。 不自由な認識の段階であっても、まったく不自由であるわけではなく一部は自由ですから、人によってはその段階であっても問題ないでしょう。あるいは満足できるでしょう。 それに満足しえない人は、哲学や他の分野において継続的な努力を重ねた結果として、真の自由に到達できる人もいると思います。(一部の人は挫折するでしょう)
お礼
回答を頂き、ありがとうございます。 なるほど、自由の解釈は人それぞれ面白いものですね。 学問を成就していない人や発展途上の人は、その過程でぶつかる諸課題に難渋することは確かに不自由ですね。 学問を武器に難問を解決することは、その人にとっては自由ということに結びつくのでしょうね。 ありがとうございました。
- cucumber-y
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昔、健常者だった頃には見えていなかった色々なことが右足がちょっと不自由になってから見えるようになったと思っています。 それから20年、健常者で身体能力如きに拘り、他人と競い、見下そうと躍起になっていた頃よりも、歩行者信号が点滅を始めそうなら足を止め、慌てて駆けて行く方々を見ている今の自分の心は自由になったと感じています。
お礼
回答を頂き、ありがとうございます。 社会的に追い立てられる呪縛から解放された状態かも知れませんね。 それはある意味羨ましいことかも知れません。 物理的ということもありますが、心から立ち止まる余裕を感じれるのは素晴らしいことだと思います。 ありがとうございました。
- Oruko000
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・私にとっての自由とは、「自由」を考えないことです。 自由について考え、また望む時、それはもう不自由だと思います。 ・今、とても自由です。 リバティではなく「フリーダム」です。 ・不自由で都合が良いと思うのは、仕事に関してです。 次の休みが楽しみで、1週間があっという間に過ぎていきます。 仕事で拘束される不自由な分、休みで開放される自由は格別です。 自由な内の不自由さは窮屈に感じますが、不自由な内の自由はなんて儚げで貴重なんだろうと思います。
お礼
>自由な内の不自由さは窮屈に感じますが、不自由な内の自由はなんて儚げで貴重なんだろう なるほど、その通りですね。 忙しい毎日だと週末が待ち遠しく感じますね。私もこの週末はいわゆる“自由”です。 回答を頂き、ありがとうございました。
- Nannette
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1. なにひとつ束縛が無い状態・・・ 2. より厳しい制約から解放された瞬間・・・ 3.自分も周囲の人もすべてが一定の規範にしたがって活動している状態・・・ 刹那的、ミクロ的には自由だと思います。また、その程度でとりあえず満足も出来るものです。ただ、もつと大きなククリでは、考えてみればさまざまな制約や束縛に支配されていることに気づきます。 自由、それはとても自分を開放的な気分にさせてくれる言葉ですが、でも、誰からも何も言われず、指図も無く、アドバイスすらもなく、自分の行動を妨げることもなく、自分の辛い努力とその成果を期待されもせず・・・、これじゃあなんだか無味乾燥で、たぶん生きていけないかもしれません。
お礼
なるほど、普通は1や2ですが、3という解釈も面白いですね。 言い得て妙だと思います。 回答を頂き、ありがとうございました。
お礼
そうですね、いい話です。 哲学的ですが、不自由というのは実は自由なんですね。 自由というのは、本当は怖いものかも知れません。 回答を頂き、ありがとうございました。