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無数の動植物を毎日食べているのに動物虐待に心が痛む矛盾

こんにちは。1さいの男の子の父親です。 立派な一人前の男にするために 子育てが色々楽しみな日々です。 そこで一つだけ頭を悩ませているのが 「それはお父さんにもわからない」という 答えがありなのかどうかです。 例えば無数の動植物を毎日食べているのに動物虐待に心が痛む矛盾を 子どもが「なんで100000匹殺して食べるのは良くて、 一匹矢を刺すのは非難されるの?」とか聞かれた場合 そもそうだねーとしか答えられません。 例えば私は鳥を食べるのは全然OKですが、蹴ることはできません。 この人間であるがゆえの内的矛盾を理解し得ぬまま大人になることに 少し無責任な印象を感じるんです。子どもに対しては 一度ごまかすときりがないので、せめて「自分なりに考えなさい」 が精一杯です。ご意見頂けると嬉しいです。よろしくお願い致します。

みんなの回答

noname#129811
noname#129811
回答No.3

うちは娘は3歳の娘がいます。 難しいですね。 むやみやたらと殺しているのではなく動植物にもそれぞれの役割があって、人間が食べる動植物は『私たちが生きる為の食べ物として育てられている物』。 食事の時『いただきます』『ごちそうさまでした』とその命に感謝する。 人間の心を癒し家族の役割のベットや庭の植物や観葉植物。 自然の動植物は小さい生き物が大きい生き物に食べられたりしなが自然を守る役割をしている。 だから “食べられる為に育てられている動植物”を殺す事と自然をったり家族の一員として生きている動植物を面白半分に命を奪う事は意味が違うんだよ。 。。。。。今思いついたのはこんな感じですかねぇ。 あまり考えた事がことがなかったので突っ込みどころが沢山ある回答になってしまったかもしれませんが^^; 親だからって回答出来なくてもいいんじゃないかな?と思います。 子供と“一緒に”考える事が大事かな?と。

nananana74
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 完璧ではな世の中で 完璧な回答は無いとは思いますが 子どもの反応を見ながら 生きることの素晴らしさを 分かち合いたいと思います。

noname#107527
noname#107527
回答No.2

食べる為に殺す事と 苛める・なぶり殺す・虐待する事は全く次元の違う事です。 そこの所を踏まえて お子さんとディスカッションしてみて下さい。 命をつなぐ為に捕食されて死んでいった動植物を無駄にしない様に、好き嫌いはしたら駄目だよ! と、友人は子供に言っています。 それを聞いて 好き嫌いが多い私は、心が痛いです。

nananana74
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 それは違うと思います。 人間側に最も都合の良いポピュラーな逃げ道です。 はっきり言い切らせてもらいますが それはまったく同じことです。 命をつなぐために食べてる人はいません。私欲を満たすために 食べたいだけ食べる(殺すだけ殺す)のがほとんどの人です。 生きるための最低限の食料の数百倍の殺しをするのは すべてのほ乳類の中で人間だけです。

noname#107562
noname#107562
回答No.1

「自分なりに考えなさい」ではなく、「一緒に考えよう」でいいのではないでしょうか。一緒に考えてみて、自然と「それはお父さんにもわからない」「誰にもわからない」「絶対的に正しい事なんてこの世にはないんだ」ということがわかったら、その方がずっといいのではないでしょうか。 そんなあやふやな世の中だからこそ、「自分の考え」を持つことが大事なのだと教えられたら素晴らしいと思います。 それにしても、スーパー一歳児ですね。 子供の質問攻めに耐えられるスーパーお父さんになってください。 私の父はスーパーお父さんになれませんでした(笑)

nananana74
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 一緒に考えるというのは 個人的にはあまりベストとは思えないんです。 私は父として子供にとっては絶対的な愛の象徴で ありたいと考えております。ダメな所も失敗した所も 美しく見えるような。なので良い意味での同じ目線での 会話は率先しますが、父親は威厳がなくてはと思ってます。 古い考えですが。喜んで命を捧げます。 それこそが虐殺王である人類のプラスのバランス となる愛だと思います。

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