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ショパンの夜想曲9-2 ポリーニ氏が譜面と違う音を弾いてるみたいなんですが。これはどういうことなんでしょうか?
ポリーニ氏の弾いたショパンの夜想曲作品9-2、大変有名な曲ですが、これの7小節目(最初の8分音符は除く)のトリルの後の装飾音の最初の音がEフラットでナチュラルになっていません。同じところが同曲中にあと2カ所あるのですが、同じように弾いています。 譜面を確認してみたんですが(私が見たのは全音の)ナチュラルになっていますし、私が他に持っている同一曲の別のピアニストによる演奏を二つ聴いてみましたが、譜面通りナチュラルになっています。他にyoutubeでいろいろな人のを聴いてみましたが、全て譜面通りでした。次の0:43くらいの所です。 http://www.youtube.com/watch?v=n0OeCt0rKWU これはどういうことなんでしょうか?教えていただけたら幸いです。私が考えられるのは (1)クラシックでも、装飾音などは、演奏者の自由にまかされる場合もある。 (2)この作品の別バージョンが存在する。 (3)ただのポリーニ氏の記憶違い(まさか)。 何か勘違いしていますでしょうか?実に不思議なのでよくご存知の方に是非教えていただきたいです。
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こんにちは。 ショパンにも詳しくなければポリーニにも詳しくない(そもそも音楽にも詳しくない?)ドシロウトの単なる個人的な意見ですが、ポリーニともなれば「理由があって」そう弾いているのではないでしょうか。 というのは、数ヶ月前のフランスの音楽誌「ディアパゾン」のショパン特集で、ソナタ2番に対して感想(解説?)を求められたポリーニは、繰り返しのときにここの4小節を弾かないのは手書き譜を誤解した楽譜による誤った演奏である・・・云々と語った後で、最終楽章には一般に演奏されるのとは違う正しい音がいくつか存在すると語っているからです(例として、繰り返しの前のGナチュラルに代わるGフラット。ホロヴィッツも同じく「正しいヴァージョン」を再構築して録音しているそうです)。 ポリーニ曰く、「ショパンにはしばしば奇妙な和声、ほとんどオリエンタルともいえる和声がみられるが、これらは守らなくてはいけない。訂正してはいけないのだ」そうです(Diapason 2010年1月号参照) ちなみに隣のページではバドゥーラ=スコダが、ショパンの3番を弾くならショパン自身が自分の弟子達に教えるのに使ったイギリス/フランス出版社ヴァージョンを演奏すべきなのに、それを録音したのは私一人で、しかも廃盤になっています、と嘆息しています。 このレベルの演奏家になると確固とした意見が御有りなのですね。 ご参考になれば、と思って引用させていただきました。
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完ぺき主義者のポリーニに‘間違え’はないですよ^^ 楽譜には様々な版が存在します。 ショパンの楽譜にも、エキエル編ナショナルエディション、ウィーン原典版、ヘンレ版、コルトー版、パデレフスキ版、ペーター版(日本の全音の楽譜の元)などがあります。 ちなみに、東京芸大を出てウィーンに留学した友人は、あちらの教授に全音の楽譜は捨てるようにいわれたそうです^^; ピアニストは信念を持って楽譜を選択しているはずで、それにより音符などが違ってくることもあります。 (バッハやモーツアルトのトリルは即興性が高いのでピアニストによって、また同じピアニストでもその時の気分によって、違うトリルの弾き方をすることがあります。) 私もポリーニのノクターン9-2のトリル(聴き慣れたものより半音低い音があるんですよね・・)には気付き、友人に尋ねたのですが、上のどれかの版ではポリーニの弾く通りになっているそうで、人数は少ないもののその版で弾くピアニストもいるそうです。 ポリーニは、何しろこだわりのある完ぺき主義者なので、例えばシューマンの交響的練習曲の曲順など、他の多くのピアニストとは別の順番で弾いたり、、後の時代の解釈よりも作曲家本人の当初の意思を大切にするようです。 凡人にはその‘意思’がどこにあるかよくわからないのですが・・。 ちなみにこのポリーニのノクターン全集、私が好きな遺作のノクターン(映画「戦場のピアニスト」で弾かれていた曲)が含まれていません。 これもポリーニのこだわりで、ショパン自身が作品番号も付けず、発表しなかった曲なのに、死後に楽譜が発見され彼の意思に反して発表されたものだったから・・のようです。
お礼
回答ありがとうございます。ショパンにこれほどいろいろ違う版があったのですね。ご指摘の通りウェブ上にもショパンの楽譜の話を見つけることができました。 http://homepage1.nifty.com/iberia/column_gakufuhikaku_chopin.htm http://oshiete1.goo.ne.jp/qa518017.html ポリーニの演奏のがどの版のものなのか分かったら知りたいものです。
補足
もう一つ、ショパンの別れの曲の楽譜選定の話で、いろいろな楽譜がありどれが原典だか分からない話がでていました。 http://www.asahi-net.or.jp/~qa8f-kik/article/Op10_3/1_index.html
ポリーニ流なのでしょうね・・・ 例えば、ほかの演奏家でも、自分流に楽曲に影響ない程度に変えて演奏していることもあります。 なんせ、超一流の演奏家ですからね・・・
お礼
回答ありがとうございます。さりげなく編曲ということですか。そういえば、ポリーニは同じショパンの革命練習曲でも、一カ所左手のリズムを変えているところがありました。これは大体皆やっているようなのですが。聞き慣れた物が正しいように聞こえてしまうのかもしれません。
- myeyesonly
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また失礼します。 もう一つのケース、写譜の間違え、がありえます。 印刷で出回るには沢山の写譜が行われますが、結構、市販の楽譜が間違えている事ってよくあります。 結局の所、音楽って、かなりルーズなモノのようです。
お礼
そうですね。本当は原典にあたるべきものでしょうね。
補足
こんなのを見つけました。これは明らかに「編曲」ですね。Performance using ornaments Chopin wrote for various students.とありますので、「寄せ集め」かもしれませんが、作曲家本人の編曲っぽいですね。気に入りました。 http://www.youtube.com/watch?v=L1biX1pLbPk そういえば、ショパンの曲って即興ぽいから、ちょっと変えてみたくなるのかもしれませんね。Godowskyとか。
- myeyesonly
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こんにちは。 可能性が高いのは、1、3でしょう。 練習した時に間違えて、それが先入観になってしまうと間違えたまま、その曲はそういう風になっていると信じてしまう事はよくあります。 私はフルートですが、バッハの管弦楽組曲第二番のポロネーズで一箇所、間違えて覚えてしまい、5年ほど前に気づいた今でもよほど気をつけても間違えてそのまま吹いてしまいます。(笑) こういうケースはたぶんにありえるでしょうね。 私が思うには、多分このケースだろうと思います。 ただ、楽譜と演奏は別物です。 楽譜を作るのが作曲家であり、演奏を作るのが指揮者であり演奏家です。 曲のテンポなどが楽団や人によって厳密に同じではないように、特に装飾はかなり自由に奏者に任されます。 楽譜というのはあくまでその曲全体のイメージを示したものであり、細部の表現を変えてしまう、というのは全く問題ないと考える人、厳密に楽譜どおり、作曲者の考えた事を追求して表現しようとする人、どちらもありです。 ただ、あまりにも自分用に変えてしまった場合には「変奏曲」として、意匠を拝借した自分の二次作品として発表するのが普通です。
お礼
大変ありがとうございます。私もこれは「覚え違い」にしか聞こえないのですが(素人の生意気発言ですが)、天下のポリーニ氏ですから何か深い訳があるのかと思ってお聞きしました。確かにテンポやちょっとしたリズムなどは解釈の内かと思いますが、音まで変えてしまうと(特にこういう易しいよく知られている曲だと)私は違和感があります。
お礼
大変参考になるお話ありがとうございました。私はポリーニのショパンと言えばやはり練習曲集で、全くの私見ですが「これが本当のショパンだ。サロン的なショパンは嘘だ。」と言っているかのような強い意志力を当時感じました。とにかく鋭角なショパンというか。この点からも上記の話はとても面白く拝読させて頂きました。ショパンが「変」と思われる和音を使い「直した」人がいるっていうことですよね。全くの素人の私ですが、問題の箇所の和音を調べたところドミナントセブン(V7)でそこで「ド」の音をメロディの装飾音に使ったことになるみたいなのです。ソシレファの和音に(おまけとはいえ)「ド」を使ったメロディを当てているんだと思います。だから、かなりぶつかって聞こえるんだと思います。これってどういう意味の「ド」なんでしょうねえ。まさか11度の和音?凡人には分かりませんが、考えるだけでも楽しいです。ありがとうございました。