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写真と額縁
油絵・水彩・写真等を比較した場合、額縁や枠の使い方に大きな違いがあるように思われますが、何故でしょうか。写真は枠か枠なしが多く、絵画は細枠や額なしでは締まりません。何か科学的な理由があるものなのでしょうか、お教え頂ければ幸いです。
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こちらのサイトをご覧になれたことはあるかと思いますが、 額縁の歴史を簡単に紹介しています。 http://www.gakunet.co.jp/dictionary/history.html 今だと心理学とかいろいろ研究した上で何か作られていそうですが、 これまではそうでは無く単純に好みや見た目の豪華さなどで作られていたのかもしれませんが・・・。 問題は写真はどうしてシンプルな額縁なのですが、 海外だと割りと賑やかな派手な額装もあるみたいですが 確かに日本ですとあまり使われていませんね。 もともと写真って大変に高価なもので 額に入れて飾れるほど大きな写真もありませんでした。 ガラスで出来ていたということも原因のひとつかと思いますが・・。 白黒での写真しかなかったので、派手な額装をしてしまうと そちらに目が行ってしまうからというのも 理由のひとつだったのではないでしょうか? また絵画に比べて写真という分野はとても歴史が短いのです。 額そのものもそうですが、何色でどの様なマット(写真の周囲の紙)を 使えばいいのかもまだ発展途上なのだと思います。 しかし日本では、まだ写真を売買するという流通もあやしい所に デジタルカメラの普及で更に後退してしまった感じで 写真用の額縁といえば、ご質問のような額しかないのも事実ですが、 文房具の専門店や額縁の専門店などに行けばオーダーメイドで 絵画と同じようなデザインの額縁を作ってくれます。 今はシンプルな額縁ですは、今後変わって行くのかもしれませんね。 ただ日本の写真界には額や写真の周囲は作品を阻害しないように シンプルにという考え方が通っているので換わらないかもしれませんが・・。 なので科学的にと言われれば科学的根拠があってのことでは無いと思います。 慣例としてシンプルなものとしているだけだと思います。 ちなみカラー写真が一般的になったのって昭和50年代になってからですよ。 40年代はまだ白黒が当たり前でカラーは高価でした・・。 なので私の小学生の頃の写真は白黒ばかりです。 私も疑問に思ったことはあるのですが 個展やグループ展では、一般的な黒の広縁の額ばかりですね・・・。
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- kuma-gorou
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言われてみれば、確かに絵画取分け油絵は豪華な額縁に対し、写真は額なしか額に入れる場合もシンプルですよね。 理由は分かりませんが、油絵は中世ヨーロッパ、ルネッサンスで開花し、教会や王侯貴族の館に飾られ、その流れが現在に引き継がれていると考えると建築様式とも関係するのではないかとも考えられます。 要するに、額縁も絵画の一部として扱われたのかなと推察します。 これに対し、水彩画や写真はそのものが主役で、額縁は脇役。脇役が目立っては作品が死んでしまうのではないかと考えます。
お礼
ご意見有難う御座いました。kumagorou様のご意見のように、確かに「額縁も絵画の一部」なのだと思います。ルオーなどその典型でしょうし、水彩画に自分で額縁を描くことは余りないようですね。 また絵と額縁の相性は、それを飾る部屋や壁の状態とも関わってくるのは貴兄のお考え通りだと思います。水彩画や写真を存在感の強い額縁で囲むと、「作品が死んでしまう」という理由は何なのか。実は先日、デパートの画廊で独特な赤富士の絵を2点鑑賞した帰り、目に付いたのが赤富士の写真だったのです。絵も写真も感動的だったのですが、まるで世界が違ったのです。歩いて入って行きたくなる風景と、圧倒的な自己主張を迫ってくる風景と。同じ切り取られた「富士」という自然を前にして、思わず考え込んでしまったのです、理屈を考えると難しいですね。 有難う御座いました。
お礼
ご意見有難う御座いました。確かにcutephoto様のご説明の通りだと思うのです。ただ、肉厚の額縁を付けたモノクロームの版画や、表装が大きな面積を占める書や日本画などは、どう考えるべきなのか考え込んでしまいます。 私のひとつの仮説は、 (1)絵は描く対象を如何に写実的に描こうとも、描かれた世界は描いた人間が切り取った「私」独自の世界であり現実そのものではないということ。 (2)写真は対象を如何に切り取ろうとも、切り取った世界はあくまで現実であり、太い枠で囲んでしまうと、それと繋がっている世界から孤立し生命感を欠いてしまうこと。 つまり写真に切り取られた世界は、生きている現実の世界の一部であるのに対し、絵の世界は「私の現実」であり、額はその世界の囲い込みなのではないかと思うのです。 何だか支離滅裂な考えを披露してしまいました。もっと考えなくてはいけませんね。有難う御座いました。