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安楽死施設
どうもよろしくお願いいたします。 突然ですが、安楽死施設が出来れば利用しますか? 私は真っ先に利用したいです。 日本は年間の自殺者数は毎年3万人を超えてますが、予備軍を含めたらもっといると思います。 昨今は勝ち組と負け組に何かと分けますが、 この生きにくい世の中、死ぬ権利を与えてもいいのではないでしょうか? 強い者だけが生き残る社会にすればいいと思います。もちろん生きたい人は生きればいいです。 鳩山兄弟を見ていると生きるのが馬鹿らしくなります。
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大賛成です。 生きる権利があるのなら、死ぬ権利があっても問題ないとは思います。 自殺は悪だという考え方は自分も好きじゃありません。 死はもっと肯定されていいように感じます。
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- juin21
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タイトルを見て思わず投稿を寄せたくなってしまった一人です。 夫は60代、私は50代の共に半ばです。 老夫婦が、どちらかの面倒を看ているという介護の切実な実態をドキュメンタリー番組で見るにつけ、私達もそう遠くない日にこのケースになることを考え始めています。自分らが介護状態に陥る、又は不治の病の激しい苦痛に本人が耐えかねている。或いは、もう意思の疎通さえ、はかれない状態になってしまった時には、安楽死を希望したいという意向を持っています。 「姥捨て山」のお話が、ここへきて現実味を帯びて感じられるような年齢に、二人して差し掛かってきたのだという気がしています。 意思の疎通がはかれなくなっても体だけが生きている。こんなにつらいことはありません。でも、ある方は言います。 「それは、自分自身が元気な地点から考えているだけのこと。例えそうなろうとも、人間の本能の内側に秘められた生きようとする力は、決して失せるものではない。」 生れてくることを人は選べずに、この世に生まれ出でます。であるなら、撤退する際には、その時期を選べても良いのではないか?そうした思いが私の中に近年芽生え始めています。「栄誉ある撤退をしたい」、とは聞こえが良すぎますが…(苦笑) 苦しんでいる(若しくは生命維持装置によって生かされているだけの状態に陥った場合)肉親を前にした場合に、「それでも尚、生きよ!」というのが本当の家族なのか。「もう、幕を降ろさせてあげよう。」と出来るのが本当の家族なのか。そこでひじょうに揺れ動いているのも確かです。 医学の発展と共に救える命と共に一方では、痛みもなく安楽死に導ける手段も開発されているようですが。これを行える施設の配備(医師を含め)に淘汰出来るまでには、まだ乗り越えなければならない様々な難関もありますね。人としての倫理観、モラルを超えて安楽死が合法化する社会が現実のものとなった時、そこに生れ出る命の過酷さが忍ばれます。 「SF:安楽死施設」は在ってほしくもあり、本当は、在ってはならないのかもしれません。。。。。。 難しいタイトルに回答にはなりませんでした。どうか悪しからずご容赦下さいませ。
お礼
回答ありがとうございました。 かなり深く考えてらっしゃいますね。 もう少し議論が必要のようです。
賛成です。
お礼
回答ありがとうございました。
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お礼
回答ありがとうございました。 本当にそう感じます。