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1945年~1960年生まれの方に質問します。
1945年~1960年生まれの方に質問します。 1.1960年代は自身にとってどんな年ですか? 2.1960年代の社会の雰囲気を一言で表してください。 3.現代と1960年代とで、大きく変化したと思うことはなんですか? 以上です。 平成生まれの大学生です。授業の課題をするのにあたり、1960年代のことを調べています。 あの時代を実感した先輩方から、生の声を聞きたいと思い、質問しました。 お時間ありましたら、回答よろしくお願いします。
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- satoshilove2
- ベストアンサー率16% (999/5904)
1957年生まれのオバちゃんです。 1、田舎の小学校で過ごしていました。子供の数が減ってきている時期だったと思います。野山や川で遊んでいました。 2、東京オリンピック、堀江さんの太平洋ヨット単独渡航と大阪万博のプレ期間って感じ。 「よしのぶちゃん事件」多分営利誘拐という事件が初めて?起こり「知らない人についていってはいけない」という今では常識のようなことが言われ始めた。 3、大人が、大人でなくなった様に思います。
- gungnir7
- ベストアンサー率43% (1124/2579)
質問1 これから社会が発展していくぞという気概に溢れていました。 中学生は金の卵といわれ、労働力の担い手として期待されました。 質問2 貧しい中からの脱却でしょうか。 ともかく集団上京があったり(一種の逆疎開のようなもんです)、 みんなギラギラとしてハングリー精神はあったと思います。 質問3 1985年のプラザ合意までは右肩上がり、皆が幸福を実感できた時代でした。 1980年代になって一億総中流という言葉も出始めます。 今の若い世代向けに言うと1960~1970年代の漫画は貧乏がほぼ必ずテーマにあがっていました。 ところが1980年代になると、貧乏といったテーマが消失してしまうのですね。 これは国が保護主義政策(一般には護送船団方式といわれています)を取ったためで 限りなく未来に発展していく感じでした。 物質的には今の方が豊かになりましたが、果たしてそれで幸せなのか? プラザ合意は日本的には嵌められた感の強い合意です。 以後、アメリカにゆすられ続け、バブルもその崩壊もアメリカに誘導されたものです。 日本の転換点としては非常に重要な項目なので興味があれば調べてみて下さい。
- yotani0425
- ベストアンサー率30% (1185/3898)
52年生まれ男です。 1.小学校中・高学年,中学,高校と、ま、一番多感な時期を過ごしました。いまだにクラス会,同期会などが盛んに開催されており、結束が強く残っており一番思い出深い年代です。 2.「高度成長時代真っ盛り」でしたね。テレビの普及・新幹線開業・東京オリンピック・ベトナム戦争・大学紛争など等、中学時代の生徒会長候補演説には「私は嘘は申しません」(所得倍増計画の池田総理大臣言)などが引用され喝采を浴びたものです。 3.物価(73年で初任給税込み4万の記憶あり)。情報伝達手段の多様化と過多、また情報自体の過度の氾濫(当時は電話・電報・新聞・テレビ・ラジオくらい、FAXも無かったはず)。子供に対しての規制過剰(事前に約束しておかないと放課後遊べないというのですよ!一人で公園にも行けない!)。家庭環境の変化(例えば共稼ぎ家庭の増加)。分譲マンションの登場(60年代後半でも分譲マンションなどまだ珍しかった)。自家用乗用車の普及(当時サラリーマンにとってはまだ高嶺の花の部類でした)などでしょうか。 ご参考にでもなれば幸いです。
- hunaskin
- ベストアンサー率30% (1854/6060)
1.小学校高学年のころ、自我の形成にあたってこのころに知り合った大人たちから相当影響を受けました。 まあ、主にサッカーや登山をやるサークルのリーダーの若い人たちですけど。 それと、鉄腕アトムとビートルズとウルトラQ。 2.なんというか「熱」があったと思います。とくに学生たちに。 TVでもドキュメンタリーのみならずドラマなんかでも今では放送できないだろうテーマが扱われたり。 3.なんと言っても情報量の増大ですね。受信についてももちろんそうなんですが、発信できる量が特に。つまりインターネットの話なんですけどね。 ただ、情報量の増大に応じてリテラシーも上がったかと言うとそれがやや怪しい。探せば自分が受け入れられやすい・とびつきたい情報が見つかってしまいますからそれを検証せずに受け入れてしまう事も多くなっているんじゃないでしょうか。 あと、公衆道徳や社会的弱者・障害者への配慮についてはかなり良くなっていると思います。 60年代にはたばこの吸い殻投げ捨てとか立ち小便とかそれなりにきちんとした大人でも平気でやっていました。 点字ブロックや車いす用のスロープなんてありませんでしたし、セクハラ・パワハラなんて概念は影も形もありませんでした。 民度が上がったかどうかはわかりませんが、とりあえず社会構造としては良くなっている部分だと思います。 私は東京なんですが、子供のころのゴミや猫の死体が浮かんでいたようなヘドロ野流れるドブ川が今では魚や鴨、サギなんかが棲めるようになっている、というのも目に見える大きな進歩ですね。 60年代を振り返って、特にあれはひでえよなあと思うのは、なんといっても公害関連ですね。市民が企業と戦うのが本当に大変だったし、なんたって高度成長の為には少々の(全然、少々じゃないんですが)目をつぶれ、という風潮もあったような気がします。
当時と比べ、「重箱の隅をつつくような」と思うのが現代です。 1960年代が良いとも思えませんが、今の社会には疑問が残ります。 行過ぎた個人情報保護、それをしなければいけないほどに複雑になった情報社会。 利便さを追求して振り回されているのが現代だと思います。 先日、小学校から連絡網が回ってきました。 「児童が見知らぬ男性に声をかけられた。児童がすぐに逃げたため何事もなかった。注意してください。」 って、「何じゃそりゃ?」って。 小学生には道も聞けないのかよって思いました。 電車の中でタバコを吸う人たち、それが当たり前。 ある意味、理不尽な忍耐を強いられる時代だったかもしれません。 何かの歌の歌詞ではないですが。 「信じられないと人を疑い自分を守ることに躍起になっているのが現代」 「人を信じて裏切られても仕方がない、と思うのが当時」 昔のことなんで美化しすぎているかもしれませんが、なんとなくそんな気がします。 孫といえるほどの歳の小学生を持つ、1960年代生まれ(回答権がありますか?)のおじさんです。