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幼少時のトラウマ

小学校低学年の頃に言われた、母親の言葉が忘れられずにいます。 30年も前のことで、言った母本人は覚えていません。 私は3人姉妹ですが、祖母が「3人も娘がいたら、この子が一番可愛いとかあるんじゃない?」母に言い、母が「二番目の子が一番可愛い、次は一番下かな」と言いました。ちなみに私は長女で、最下位でした。 母親と口げんかした時もあんたのこと、産みたくてうんだわけじゃないと言われた事があります。 病気の時以外は厳しい母でした。食事、掃除などは完璧にこなしていましたが、とにかく甘えた記憶がありません。 私は長女なので、特に厳しくされたのかもしれません。遊びに行く前にはトイレとお風呂の掃除をしていくよう言われましたが、二人の妹に対しては手伝いは命じませんでした。妹たちには何時手伝いをさせるのかと聞いても、あなたはお姉ちゃんだから、妹達も大きくなったらさせるということでしたが、結局いくつになっても妹は手伝いをさせられることはありませんでした。 母も財布からお金がなくなった時、真っ先にうたがわれたのは私でした。本当は母の勘違いでした。疑われたのがすごく悲しかったのを覚えています。小さなことですが、他にも私自身母親に信用されてないとか、私の事を理解してくれてない、と感じる事が多くて、母親に悩みを打ち明けるとか、何かを相談するとか、一切ないまま心を閉ざしていて、コミュニケーションを殆どとってこなかったように思います。 常に妹達と平等ではない、という思いがあって、それは幼少の頃に言われた言葉から「姉妹の中で私が一番可愛がられてないから」なんだと考えてしまいます。 それでも病気の時は優しいし、虐待を受けたわけでもないし、食事は毎日作ってくれるし、感謝してる部分もあり、それは母の愛情だと自分に言い聞かせているのですが、妹たちが実家近くに住んでいるのもあって、母親が頻繁に惣菜を届けたり、孫の世話に行ったりしてるのを聞くと、私のところに来ないのは、私に愛情がないから、と、つい思ってしまいます。私の家は実家から車で1時間です。 距離があるので、妹たちのように頻繁にきてもらえないのはわかっているのです。でも、来れない距離ではないよね、とも思ってしまいます。 私の子供の運動会に「遠いから、それに、先約があるから」と来てもらえなかった時も、孫が可愛ければ何はさておき、見に来てくれるはずだし、車でこれない距離ではないのに来てくれないのは、私の孫だから?と考え、悲しくなって泣いてしまいました。 子供には誕生日、クリスマス、正月などおもちゃを買ってくれたり、実家に行けば可愛がってくれている、孫も可愛がってくれるのをちゃんとわかっているはずなのに、時々、幼少の頃のトラウマがひょっこり現れるのです。 私はこのまま、何年経ってもこのトラウマから抜け出せないのでしょうか。妹に対してもひがみ根性まるだしで、まるで子供だなと、自分が嫌になります。 できれば、母親の愛情を認めたいのです。昔の発言に振り回されることなく過ごしたいのですが、それが出来るのか気になります。

みんなの回答

回答No.2

私もトラウマになっている母の言葉があります。 「あなたには良い所が無い」と言われた事です。 私も質問者さんと同じく長女ですが弟が二人います。母いわく「男の子は特別可愛い」とも私に平然と言っておりました。 私的な解釈なのですが母親にとって長女とはライバルなのではないかと思ったりします。一番最初の子供なので当然母も歳は若くまだ未熟だったと思います。その頃の感覚がいまだに残っている気がします。 やっぱり下になる程、子育てに慣れ、気持ちに余裕が出た分可愛く思えるんじゃないでしょうか? なので私は母が私をライバル視している…と解釈して勝手に納得しています。私自身は女の子二人ですがどちらが…って事は無いですね。半面教師でカッとなったにせよ酷い事を言うと心の傷になりますのでいい勉強したくらいで流しています。(本当はかなり傷ついていますが)

windmind
質問者

お礼

返事が大変遅くなって申し訳ありません。 回答者様も、母親からきつい言葉を浴びせられた経験がおありなんですね。お辛かったことでしょう。 ライバルですか。言われてみるとそうかもしれません。私の場合ですと、私の事は娘ではなく、母親と対等だと思われていたのかもしれません。 母親のサポート役という感じなのかも。・・・と、ご回答を拝読し、思い当たる節があることに気付きました。 確かに1人目の子育てと、2人目、3人目とは気持ちの余裕に差があるかもしれませんし、下2人に手がかかる分(妹2人は2つ違い、私は真ん中の妹と5つ離れています)私に期待する部分もあったのかもしれません。そう思うと納得できました。ありがとうございました。

  • JP002086
  • ベストアンサー率34% (1535/4403)
回答No.1

私の母と似た境遇ですので、こんな母も居るという事で書いておきますね。 私の母も3姉妹の長女で苗字を継承しています。 私の母は、団塊の世代で私の母が産まれた時は、父親(私からみると祖父)が徴兵され戦争に行っていた時に産まれました。 父親が戦争から帰ってきて、父親に四六時中言われていたのが「俺の娘ではない」「木の下に捨てられていたのを拾ってやった」と言われていたそうです。 一番可愛がっていたのは、私と10歳違いの三女でした。 私が小学校4年生まで、私の両親は祖父母の言いつけを守り私を夏休みになると、祖父母宅に預けられていました。 その後、年明けに親戚回りをしても祖父母は、次女の子供や三女の子供にお年玉を渡しても私にお年玉をくれた覚えがありませんし、何かにつけ戦地での自分の英雄伝的な話をしてくるので、私からして嫌っていました。(将来は、家長なのに) 私が高校を卒業する直前に、三女が結婚しその旦那と祖父が自宅までみえて祖父の財産を三女の旦那に売り渡す事について承諾して欲しいと言い出しました。 ちなみに、祖父の住んでいた所は自然には恵まれていても、過疎化や交通の利便性それと、祖父が今までやってきた事への怒りもありましたので、中学を卒業と同時に、家庭裁判所へ書面にて財産放棄の手続きをしていましたので、承諾して欲しいと言われるよりも私的には、無関係状態なので二つ返事で承諾でした。 問題は、私が就職し祖母が亡くなりその1年後に祖父が亡くなった時に問題がおきました。 世間で言う“墓守”です。 この墓守問題で、3姉妹の姉妹喧嘩が勃発し祖父の葬式にも出席できない状態になったのです。 その日から、15年が経ち私の母よりも元気だった次女が重い病に掛かり、今更ではありますが次女と次女の娘から連絡が入るようになって来ました。 三女とは疎遠のままです。 私の住所等も知らせてはありますが、年賀状の1枚も着ていません。 母は病弱なので、症状を詳しく聞いて専門医を探し予約を入れてあげて通院をしているのですが、66歳と言う年齢と私が直ぐ行ける距離に居ない事もあってか、合間に日曜礼拝みたいな集まりに参加をしながら今までの事を飲込んで、話を出来るようになりました。 両親に対して“何故?”なんて考えるのは止して、「時間が解決してくれる」「こんなので悩んでいるよりも、自分自身の心を豊かにしよう」と色々学ぶ事で、「なんてちっぽけな事で悩んでいたんだろう」と思う日が来るはずです。 日曜礼拝は、信者でなければ参加できないと言う物ではありませんので、キッカケとして参加し色々な話を聞く所から始めては如何ですか? ご参考にどうぞ

windmind
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 お母さま、回答者様のご苦労、お察しいたします。 お母さまの年齢は、私の母と同じです。そして母の母(祖母)は継母で、母と血のつながりはありません。 今は両親健在ですが、いずれにせよ、相続、財産分与等の問題は避けて通れない事項です。3姉妹なであり、父は末っ子でもあるので、苗字の継承はありませんが、財産については両親の面倒をみたものに譲るというのは前々から言われています。 私の場合ですが、母親の愛情を感じる事が全くないわけでなく、素直に受け入れられない自分がいる、といった感じでしょうか。 でも、回答者様の言われるように、いつか時が解決してくれるかもしれません。 日曜礼拝は聞いた事がありますが、宗教的なものにはなるべく頼らず、読書などで自分を研鑚していきたいと思います。

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