作家と創作作品中の人物の関係。
よろしくお願いします。
質問の主題は、
小説等文学作品中の「書き手に依って生み出された人物」は、
書き手である作家にとっては「完全に理解可能、支配可能」な存在か否か?
「現実に存在している人間」は、誰にとっても(おそらく本人にとっても)
「不完全理解、支配不可能」な存在と思われます。
書き手にとって作品中の人物はどんな存在なのでしょう。。。
よく(かどうか、は分かりませんが。汗)創作について、
「人物が勝手に私の頭の中を行動して、私はそれを書き留めるだけ」と言うような言い方もあります。
この表現を見ると、
作家にとって作品中の人物は、現実世界の人間と同様、
「不完全理解、支配不可能な存在」となると思えるのですが、どうなのでしょう。。。
以前、と言うには隔たり過ぎた?中学生の頃、
ふと「物語の読み方に戸惑った」時期がありました。
読み手の私は、この人(=作品中の人物)をちゃんと理解しているだろうか?
文中には全ての行動が描かれているのだろうか?
描かれていない行動/時間があるとしたら、その「行動や時間」は存在しているのだろうか?していないのだろうか?
読み手もだけれど、書き手もこの人を完全に理解しているのだろうか?
この人の行動を全ての時間に置いて把握しているのだろうか?
そんな事が作品中とは言え、可能な事なのだろうか?。。。。
そんな事を悶々としばらく悩み、
結局「作品は作品世界の一側面に過ぎない」との視点に立って読む事に決着を見ました。
以来15年、読み手の「読み方」としては、間違っていない、と考えています。
では、書き手の立場ではどうなのだろう?とふと気になりました。
何かご存知の方、ご意見をお持ちの方、回答をお寄せ頂けると嬉しいです。
また、
このような課題を扱った論文、評論等ご存知の方もお教え下さると嬉しいです。
大学の文学部等では、このような講義もあるのかしら。。。
調べ方の糸口でも構いません。
よろしくお願いします!
補足
カテゴリは??いました:)