第二次世界大戦終了時までは(アメリカを中心とする占領軍が日本を支配する前)公立の国民学校(当時は小学校から国民学校に改称しております)には二宮金次郎の像(石像?)は必須だったと思います。私立でキリスト教系ではどうっだたのでしょうか。東京などではおそらくほぼ全ての学校で撤去されたと思います。何しろ占領軍は日本人に対して何をやるか、怖かった筈です。それと、GHQの教育担当の部署は”徹底して半欧米のシンボル”を抹殺しようとしていたと思います。旧学区制も減殺の6.3.3.制はアメリカの方式だとして、従来の制度を変えました。しかし、これは、大きな嘘で、担当責任者が大田舎の教育担当者で、自分の知っている制度(ごくごく少数派)に変えさせたのです。
そのようなトップの考えで、二宮金次郎を反米主義、日本軍国主義教育のシンボルと見なされたのだろう、と想像しております。ただし、占領軍の目の届きにくかった地方には残ったのだと思います。
二宮金次郎のことが、戦前何の教科で教えられたのか正確には知りませんが、おそらく”修身”だったのでは? 今教えるとすれば、”幕末の農政家”としてでしょうから、教科は何でしょうかね。少なくとも小学校ではちょっと無理かも。
ちなみに、小学校(小田原市内)に転校してから、遠足かな?二宮金次郎の生家(当時は空き地)跡へ行った記憶があります。確か、卒業した小学校には像が残っていたと思います。
お礼
詳しく歴史を紹介して下さり有難うございました。 東京では撤去されて、地方では残っている訳がわかりました。 頑張る象徴みたいな人だってイメージですね。子供が習う偉人も時代により変わりますね。