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こういう池田先生を見たい
創価学会の池田先生が、シナノ企画のビデオで紹介されていたのですが、海外の大学・教授から賞賛を受け、表彰され、名誉博士号を貰っているようです。特に中国とのパイプが強いらしく、政治家・指導者とも会談をしてるようです。 もし仮に、この宗教がさまざま理不尽や生まれてきた環境・経済格差を乗り越えて、人が前向きに生きれる人間のバイブルとも言える宗教であるならば、民族対立・紛争を何十年も続けている、場所に赴きそれを行っている指導者と会談して、信心を勧めることはできないのでしょうか? そういった布教活動をして人のねじまがった心を直すという活動をしてもらえれば、創価学会が世界的に認められるし、宗教があらゆる人間の心に必要なものであることも証明できると思うのですが、それは不可能でしょうか?
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> もし仮に、この宗教がさまざま理不尽や生まれてきた環境・経済格差を乗り越えて・・・ 別に「この宗教」(創価学会)じゃなくても良いですね。 欧米なら、ローマ法王の方が、政財界とのパイプが太く、更に宗教上の指導力も発揮出来ます。 あるいは国内でも蛇蝎の如く嫌われる部分があり、一部の国ではカルト指定されている様な宗教団体が、国家や民族レベルの対立を解消する道具に成り得るならば、既に三大宗教がソレを実現していたでしょう。 むしろ、仮に創価学会において、対立を解消し得る道具となる可能性がある優れた教義と自負するならば、即時、自発的にアルカイダ等の指導者の元へ赴けば良く、また宗教的救済の立場から、実行すべきです。 彼ら自身に、その自負が無いから実行してないのでは? そもそも本来の信心は、勧めるものでは無く、自ら教義に帰依するものです。 従い仏教上でも、学会が行う「折伏」(相手の論などを打ち砕き教化する)は下策としています。 上策は「摂受」(相手を受け入れた上で教化する)です。 学会が道統と嘯く、日蓮上人の様な優れた宗教家であればこそ、「折伏」と言う教化が可能ですが、特に中国の様な排他的利己主義に対し、とうてい通用する手法では有り得ません。 学会が構築したバイプは、金で買ったものであり、「迎合」により得たものだし、安全で絨毯を敷いて歓迎してくれる様な所にのみ赴き、賞賛されて喜んでる団体です。 中国でも海外の大学でも、利害が一致する間は賞賛しますが、利害が対立した瞬間に、相手にしなくなりますよ。 特に国家間や宗教に起因する対立において、為政者にとって宗教は毒であり、宗教的指導者にとっては邪教です。 これは、現実として宗教が対立の原因になった例は多数有る一方で、解決の道具になった例は殆ど無い点からも明らか。 キリストやブッダの如き、偉大な宗教家が創始した優れた宗教でさえ、未だ世界の万人から受け入れられる宗教とは成り得ておらず、更に時を経て、その宗教が利権構造化し、逆に対立の原因になっています。 ハナから「折伏」(対立有き)を教義とする様な排他的な宗教が、対立問題を解消し得る道具となる可能性は皆無です。
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- ?橋 昌也(@fudousin)
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人類はそろそろ宗教から独り立ちして、幼年期を脱しなければなりません。
- nontro_08
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あなたのおっしゃることは、まるでスポーツやら演技やらを見る時に、外野席から飛ばす無責任な「ヤジ」のようですね。 創価学会は、闇雲にただ「折伏ありき」の教団ではありません。創価学会に入会はしないが、学会の理念に共鳴してもらい、理解者になってもらい、いわば「外野」から学会を讃えてくれる存在である「会友」づくりも、学会にとって重要な運動なのです。そういう意味では、世界には国家指導者、識者に「会友」がたくさんいることになります。 だいたい、民族対立・紛争といった外交上の問題に内政干渉がましく、「何が何でも折伏だ」などといった軽率な行為で臨めば、創価学会はかえって世界から反発を受け、それこそ「カルト」だのなんだのと非難を受け、世界に仏法を広めることができなくなってしまいます。日本政府も学会を非難するでしょう。 民族対立・紛争といっても、指導者の人間性の問題とは限りません。指導者自身は平和裏に解決したくても、強国や同盟国、あるいは国民世論などに縛られて思うに任せないこともあります。様々な要因が二重三重に絡んでいるものです。いずれにせよ、指導者に信心を勧めたところで解決するほど、単純なものではないのです。 質問者様の言い分は論理をすり替え、「創価学会は平和に無関心」との否定的なイメージを与える、単なる難癖の一つであると言わざるを得ません。
- suffre
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はっきり言って余計なお世話というものです。 どんなに賞賛されようが創価の汚いやり方にうんざりし、汚い言葉を吐き続ける池田大作など誰が信じますかね? 宗教家というものは大きな罪を作っているんですよ。少なくとも池田大作のせいで多くの人々が苦しむ結果になってますよね。それは事実なので否定できません。 人の信じる心を勝手に「改心」とかいう胡散臭い偽善心で語っていただきたくないです。人それぞれなんですから。 そういう狭い了見でしか見れないから世間から白い目で見られるのです。私がひねくれているのではなく、そういう目で見られるようなことをしていることに気づいてください。