質問者さんの境遇などがわからないので非常に無責任な言い方になるかもしれませんが。
まずは学校に行く努力が「人生の勉強」になるかもしれません。
今は「無理していく必要はない」ということが一般的のようですし、不登校を非難する話ではありません。
今現在の年齢では、現実社会との接点は学校がメインだと思います。
いやな先生、いやな同級生、自分が不当に扱われること・・・そういう中にいることが、まず「勉強」ともいえるかもしれません。
また、自分が、どういう事がいやか、言われるのがいやか、どういうことが好きか、などの「自分探し」の場でもあります。
尊敬できる人との出会い、友人関係、信頼関係の発見など、世の中に出ていないと築きずらいことです。
他人からの影響を受けるには、実社会に出るしかありません。
学問、なんてどうでもいいんです、勉強も才能ですから、できる人はそれで頑張ればいいだけです。
まあ、学校なら、卒業できる程度の学力は必要ですが。
世の中で必要なことは学力、知識よりも、「どう考える」かの能力です。
「かしこい」などとも言います。
学問、知識に考え方が加わって初めて、生きてきます。
考え方の無い知識なんて、単に記憶です。
記憶するだけなら機械の勝ちです。
いろんな考え方ができることが重要と思います。
物事に対していろんな考え方ができるようにするために、とりあえず学校に行きます。
そこで、いろんな経験、知識をつみます。
考え方の引き出しを増やすことが重要です。
同じ事に対して、考え方の幅が広がります。
いやな人がいたら「自分はそういう風にはなりたくない」「なぜ、いやな人なんだろう」「何考えているんだろう」などあります。
一人でいては思いつきません。
ただ、今現在、これからも集団生活をしないで生きていくなら、きわめて狭い範囲で深い知識、興味を持ち、つきすすんで行く、という方法もあると思います。
天才、などと言われた人や、すぐれた芸術家などはそうですね。
学校に行くことだけが方法だ、という話ではないですよ。
世間一般では行くのが普通で無難だから、無難な人生を送らせたいと思うのが親心です。
でも、そうでない選択をするなら、険しくても、自分で道を模索するしかない、ということです。
何かを始めるときは、全て「ひとまね」からスタートです。
自分が「こうありたい」と思うことや人をまねします。
職人、技術の習得などはまさにそうです。
勉強も、マネです、先人たちのチエをマネします。
なぜそうなのか、どういう考え方なのか、なども想像してマネします。
まずは自分に取り込んで習得してから、そうしているうちに「自分ならこう思う、こうする」とか、自分の考えと融合してきます。
新しいものが生まれたりします。
勉強は一人でもできることの一つですから、何かをするどく勉強することも考えられます。
無難な人よりも、少々偏っている、突き進んで行く人が世の中を変えたり、新発見したりして世の中の役にたつ例はたくさんあります。
若いうちに重要なことは「自分を知る」ことです。
自分を知らないと、何をやってもうまくいきません。
自分のことは自分が1番わかる、と言われますが、実はそうでないことも多いです、他人とのかかわり、他人からの見た目などのほうが「客観的」ですし、実態に近かったりもします。
普通なら、高校、18歳くらいまで、学生、という甘えられる環境を与えられていますので、その間に「自分さがし」あるいは「自分探しの土台」を身に付けるのが無難ではないか、ともいえます。
社会人になると、なかなか「甘える」ことが許されない状況が多いです。
質問者さんがどういう人なのかわからないので、~~するといい、とかの助言はできませんが、まず、自分という土台作りが無いと、上に築くことは難しいです。
人生に「正解」は無いです、間違っても自分の命を粗末にするようなことだけはしないでください。
気にさわるような内容だったらごめんなさい。
ヒントの一つ、引き出しの一つになれば幸いです。
お礼
早速の回答ありがとうございます。 いろんな可能性ですかー、 普通の中学生よりも自分のやりたい事に使える時間はたくさんあると思うので、やってみたい事や、趣味をゆっくり見つけていきたいと思います! neet7777さんの回答で何かに縛られていた自分が、少し楽になった気がします。ありがとうございます><