論文に書くのならば、このサイトでの私の回答のように(笑)「てにをは」が滅茶苦茶ではいけないと思います。ここでは最低限のことだけ触れますね。
>車という、人々の新しい移動手段としてこの世に登場したのは、
主語がありません。何が登場したのですか? 車ですか?移動手段ですか? あなたの文を最大限生かすように訂正するとすれば、「車という移動手段が」あるいは「車が新しい移動手段として」を基本に考えるべきですね。あと単語のつなぎ方が文意をわかりづらくしていますよ。“車という人々”、“この世に登場したのは1769年”、のいずれも文意とは異なるため、読んでてイライラする繋がり方です。
>人が「より速く移動する」という、最も簡素で、純粋な希望に答えるために、
ここの“人が”は、どの言葉にかかるのですか? “移動する”“答える”のどちら? もうひとつ。速く移動することは本当に最も簡素な希望なのでしょうか?もっと簡素な希望が沢山あると思いますよ。
>車は「速さ」を追求していった。
車は物ですよ。物に追求なんて出来ません。速さを追求するのは人間でしょ?
>その中でもひときわ速さを追求する、スポーツカーという分野はひときわ異彩を放っていた…。
句点の位置がおかしいです。そしてスポーツカーは物ですから速さを追求したりしません。“スポーツカーという分野”? おかしいです。“異彩を放つ”につなげたければ“分野”は変です。“存在”ではダメなのですか? 単に“スポーツカーの存在は異彩を放っていた”のほうがまだわかるかな。最後の … は何なのでしょうか?余計です。
最後に内容について気づいた多々の点の中からひとつだけ。速さを追求していったという文意を受けて次の文を考えた場合、スポーツカーの存在は別に特異でも何でも無く自然なのでは?「異彩」というのはおかしいですよ。スポーツカーは、速さの追求の結果生まれたものでしょ?
こんなサイトで質問するよりは、教官や先輩に見てもらったほうが良いですよ。