善悪で判断するから分からなくなる気がしますね。
例えば、悪さ加減を100としてそれを割り振るという行為自体(誰もがやりがちですが)に意味がない気がします。
結局、いじめられる側も、他者から「責められる」からこう言う話になるのだと思いますが、「責められる理由が異なる」事に気付くのも良いと思いますよ。
いじめる側は罰を受ける対象でしょう。それは間違いない。敢えて数値で言えば100%です。
しかし、いじめられる側は、ある意味、罪つくりな訳です。もし、いじめられたくないと思っているならば、責められるかどうかで言えばこれも100%です(状況にもよります)
もし、いじめられたいと思っていないなら全力で自己防衛(物理的にという意味ではない)するか、どなたかが言っているように強くなる事です。
当然、手に負えない場合の方が多いでしょうから、助けを求めるなり、逃げ切るなり(不登校も逃げの一つだと思いますし、転校でもいいでしょう。当然、いじめられる側がそのような対処をしなければならないのは、不当であり制度や周囲の怠慢でしょうが・・・)できる事をするべきでしょう。
話しが脱線しますが・・・。
ただ、頑張っていても助けが無かったり、主張が認められないなんて事はザラでしょう。周囲は周囲で自分の事で手一杯で、人を顧みる余裕(尺度は人による)が無かったりしますし。
ま、例え頑張りつつ責められたとしても、いじめに対して足掻き続ける事は将来強みになるでしょう。無責任な発言ですが、腐らず、凹まず、強くなってくださいと言いたいですね。