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「人の苦しみが分かるがゆえに苦しい」という気持ちは普通は理解されないものですか?
人の苦しみを察してしまうことの苦しみって普通は理解されないものなのですか? 乱雑な私の質問ですが、 質問の意味だけでも分かってもらえる方いらっしゃいますか? 『人の苦しみが分かるがゆえに悩み苦しむ人たちへの救いはあるのですか?』 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5298007.html
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私が昔考えた苦痛回避論という考え方の中に、まさに合致する内容がある質問なのでちょっと驚きました。まさかあんな虚無な考えでも(部分的には)役に立つ日が来るとは・・・ 他者の苦痛を察する能力による苦痛(以下、共感苦痛)は地球上のあらゆる生物の中で、人間だけに許された感識能力(共感能力)による苦痛だと考えています(一部の高等生物のなかにはその萌芽が芽生えているようですが)。そして、それは人類の全てに備わった能力であると思います(ただその能力を重宝して発揮するか、無視して利己主義に走るかは別です)。 だから共感苦痛そのものを理解出来ない人間は居ないのではないかと思います。それを根拠に行動するか無視するかは別ですが。 ですが、個別的な事例に対して、“ある人間(例えば質問者様という)”が共感苦痛を抱いていることを、また「別の他者」が理解するかどうかは別です。「別の他者」がその個別的な事例に対して共感苦痛を抱く精神性を発達させているかどうかによって、その「別の他者」の共感苦痛が働くか否かが決まり、それと同時に、その“ある人間”が共感苦痛を抱いていることを理解するか否かも決まると思います。 つまり、個別的には理解される事例とされない事例があると思います。 救いについて。 共感苦痛を取り去るには共感苦痛を受けている原因を解決させるしかありません。それが可能ならそれに向かってとことん努力すべきです。解決出来ない場合は諦念が肝心です。忘れ去るということも時には必要です。どっぷりつかり過ぎると自殺に追い込まれます。共感苦痛を受けた原因である{人}は、“ある人間”がそこまで苦しむことを望んだでしょうか。逆に、自分のせいで“ある人間”を苦しませてしまったと、苦痛を覚える筈です。 苦痛回避は生命原理です。私は苦痛は回避されるべきであるという考えですから、自分が受ける事も他者に与える事も避けるべきものだと思います。 どっぷりつかり過ぎるとすれば“ある人間”はもはや高等な共感能力というよりも、自分勝手な思いを増幅させている事になると思います。 そんな時の心の態度としては、どんなに共感苦痛を受けようとも、冷静に考える事が出来るべきだと思います。共感苦痛さえも第三者的に見つめるのです。それが出来て初めて愛他的精神が発揮できるのではないでしょうか。結局は共感苦痛も自分の勝手な思いなのです。それをよく認識しておくべきだと思います。
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- tanuchi
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人の苦しみが分るってエンパシーってこと? 他人の苦しみが自分の身に起っているように感じるタイプの人の事。 だったら「エンパシー」ていう本があるから読んでみれば。エンパシーブロックのやり方も出ていたと思った。なんかよく分らないから読むの諦めちゃったけど。 私はエンパシーではなく別なタイプでシンクロする。だから“自分のごとく”というキャッチの仕方はしない。それやるとまじ苦しくなるからね。 本に出ていたタイプで近いので言えば、たぶんスピリチュアル・エンパシーに近いタイプ。 でもやり方次第で防げるよ。自分じゃないって自覚して、一歩離れちゃえばいいの。心を今いる所から一歩後に下がる。それだけで自分からちゃんと離れるよ。あとは第三者の目で見る。これだけで他人の苦しみに自分が苦しむことはないんだって自覚できる。 あと“オーラ・ブロック”をする。何か嫌なものが近づいてきたと感じた時オーラを発する。意識するっていうよりオーラがあってそれを全身から強烈に放射するように発する。オーラは常にあるって思えばただ心の中で“フル・パワー!!”って念じればいい。くっついちゃうと苦しむけど、来る前だったらふっ飛ぶよ。 本に出ていたけど、日本人は結構エンパシー多いんだって。だから自分だけじゃないんだって思って平気だよ。精神に異常があるわけでもないし、ある意味そういう体質なんだって思えばいい。
お礼
エンパシーという言葉は初めて知りました。 共感力=人の気持ちを無意識に受け取ってしまう感覚、能力ということらしいですね。 >心を今いる所から一歩後に下がる。 参考になります。 しかし、連鎖してきたエンパシーを受け取らずに回避すべきかは疑問に思います。 それに、それでも受け取ってしまった感情はありのままを受け入れるしかないのかもしれないと。 しかし、ここでの質問の答え、その感覚の正体はこれだったのかと感じました。 回答ありがとうございました。
- am2007
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>人の苦しみを察してしまうことの苦しみって普通は理解されないものなのですか? はい。ほとんど理解されないと思います。 通常、人の苦しみが理解出来ても、理解した方が同じように悩み苦しむことはないと思います。でも、中には、稀にそういう方がいらっしゃるのは事実です。それは、過去、同じような体験をされた方か、もしくは、人の悩みが自分の悩みだという強い感情(感情移入)をお持ちの方ではないでしょうか。 >質問の意味だけでも分かってもらえる方いらっしゃいますか? 上記の回答であっていますか。あっていなければ、私には分かりません。 >人の苦しみが分かるがゆえに悩み苦しむ人たちへの救いはあるのですか? あります。但し、大幅な意識改革をしなくてはならないでしょう。 過去、私は、そこに苦しむ人がいれば、「自分が犠牲になってもいい」というぐらいの気持ちがありましたが、後に、それは間違いだということに気が付きました。悩み苦しむ人を助けたければ、まず、自分が健康でなければならないということです。ですから、感情移入してはいけないということです。感情移入しない体質を作り上げなければならないということです。自分が健康であるからこそ、人は、その姿を見て、「こういう人になりたい」と思うのではないでしょうか。 例えば、見るからに不健康そうな人が先生という立場で治療をやっていたとします。あなたは、こういう方を見て尊敬できますか。自分の健康を、見るからに不健康そうな方に、自分のすべてを託すことが出来ますか。私には出来ませんでした。以後、気持ちを切り替えて、現在に至ります。
お礼
普通は理解されないということ。 分かったような気がします。 しかし、人の悩みを抱え込んで既に取り返しのつかなくなった人たちはたくさんいます。 「人の苦しみが分かる」という人たちがずっと健康でいられたらよかったのですが、そんな共感苦痛という激しい感情を抱きながらずっと冷静さを保って健康でいられただろうかと思います。 人を助けるなら自分が健康でなければならないというのはよく分かります。 ただ、先の質問を分かって頂き、的確な回答ありがとうございました。
- ryona_s
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回答ではありません、あなたへの疑問です。 「人の苦しみを理解する人」というのは貴方のことも含まれているのですよね? ならば人の苦しみを理解する人が、何故人から得た回答に答えもせず、次々と 挑むような内容の質問を立ち上げるのでしょうか? 貴方の投げかけた質問に真摯に向き合ってくれた方の回答を無視して、 回答者が苦しむとは考えないのですか? 貴方は「気付く人」と「気付かない人」を真っ二つに別けているようですが 誰が何に心を痛めているのか、把握していると言うのでしょうか。 ひとつの事柄についてなら言えるでしょうが、すべてのことに心を痛めている人などいません。 「気付く人」である自分が苦しむことを理不尽に感じ、「気付かない人」を 見下すような扱いをするから苦しいのだと私は思います。 >普通は理解されないものなのですか? 少なくとも私は理解します。 それを信じるかどうかは相手に委ねるしかないのです。
お礼
ただ、 >少なくとも私は理解します。 のひと言に救われます。 回答ありがとうございました。
補足
そのように感じさせてしまっているのなら申し訳なく思います。 しかし私にとって問題はあまりにもとらえようがなく、 先の質問の意味を分かって頂いた方にほど お礼の言葉もまとまらないまま考えさせてもらっています。 先の質問では「回答」を求めて質問をしました。 しかしこちらの質問は”私の疑問自体が普通ではないのだろうか”という疑問であって、 先の質問とは違うつもりだったのですが、不快感を与えてしまったのなら それは私の不徳の致すところかもしれません。 様々なことに「気付く人」と「気付かない人」がいます。 なんでも簡単に真っ二つに別けることなどできないことはお察しの通りだと思います。 しかし、人には「知らないで済む人にはできるだけ知らせないで心配かけたくない」という気持ちもあります。 「クイズの答えを知っているか」というような単純なことではないのですから。 それでもなかには「気付かない人」を見下す人もいるかもしれません。 しかし、私が言いたいのは「見下すか見下さないか」以前に、そんな判断や行動以前に ただ「気付た」ことでの苦しみは?ということです。
人の苦しみを察することの苦しみ、すみません、私はわかりません。 なにしろ、私にはそういうことはできないからです。 こういうことでしんどいだろうな、という想像はします。 しかし、相手のことを「わかった」と勝手に思うことほど思い上がったことはないと思っているので、私は、自分が勝手に相手の気持ちを想像してしんごい気持ちに自分がなったとしても、「自分は勝手にしんどくなっている、これは自分の勝手な気持ちだ」としか思えないからです。 >普通は理解されないものなのですか? 理解しない理由はいろいろあると思いますが、あまり理解されることではないかもしれませんね。
お礼
人の気持ちは分からないことだらけだと思います。 それでいて、人の苦しみの感情は知れば知ったでつらいだけのことも多いです。 率直な回答ありがとうございました。
- undergran
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>人の苦しみを察してしまうことの苦しみって普通は理解されないものなのですか? それは理解されにくい事だと思います。 基本的に人は自分の保身や利益や欲望を考える生き物ですから(政治家なんかをみていると自分勝手さがわかります。国のお金をめちゃくちゃなことに使ったり)、ひどいと他人を蹴落としてでもといった考え方もあるでしょうね。 私だって3大欲求を除いた欲望はあります。ただ、あまり欲を出しすぎてもよくありません。おそらくあなたにもそういった欲望はあると思いますが、その欲望を強く抑える力があるはずです。そして、欲を抑えることと欲があまりにないのはイコールではないです。 そして、欲にまかせず自分の事だけでなく相手も考えるため、私もある程度までならなんとなく人の苦しみ理解できていると思いますが、相手の性格によっても苦しみ方が変わってくるので知らない人だと大部分を理解しきることはできないでしょうね。 よく、自分がやられて嫌なことはやるななどといわれますが、それは主観で嫌なことであって、あなたは客観で相手の嫌なことをとらえていると思います。それに、自分にあてはめてというのは誰でもできますが、そんなことどうでもいいと思う人がかなりいます。自分優先ですし。 あなたの苦しみを理解できるという力は、どちらかというと特異なものでありますが、人として大切な物でもあると思います。 それに、このサイトのように活字だけで回答をもらうサイトでは、その人が本当にどう思っているか、というのを察することはできないと思います。あくまであなたは、洞察力があるわけで相手の表情や状態から理解しているはずだからです。だから、本当の意味でのあなたの回答が見つかるかもわかりません。 ただ、私はそう考えてしまうなら救える範囲で人を救える方法を探すのがいいと思いますよ。しかし、自己犠牲というものはしてはいけません。それは他人を助けるためと思いつつ、ただひたすらに自分を苦しめ続けるだけです。逆に心配をかけて、他人を苦しめることにもなります。それに、自分のやりたいことでも、少しでも助かる人がいるならいいんじゃないでしょうか。所詮一人の人間で、数十億の人間を救うなんてことは、無理なことです。 わかりやすい考え方として、医者は人を命の危機や苦しみから助けています。しかし、エンジニアだって医療機器をつくって間接的であるにしろ人を助けています。そういった繋がりでどんなものも、連鎖しているので、あなたのできることをすることで人が助かると考えて苦しみに立ち向かうのもいいと思います。 そこまで苦しみを理解できる人に言うのは最低かもしれませんが、意識しないことが重要です。あくまで苦しんでいる人を見たときに思い返してしまうのは悪いことではないですが、助けている・これから助けるなどの意識でどうにか立ち向かっていかなければ、あなたは精神的にまいってしまいます。 そして、人を苦しみから救う事が、あなたを苦しみから救うことになるんですから、自己犠牲でなく人を助けているといった意識をもって生きていくのもいいと思います。 救いがあるのかどうかというと、考えて自分の答えにたどりつけるかという事です。 あくまで哲学的なことになってしまうので、私は一つの考え方を書きましたが、あなたの求めるものでないかもしれません。 その場合は、下記のように考えていくしかないです。 例えば、苦しんでいる理由は「自分がその人だったら」という考え方や、「自分もこうやって苦しんでいたんだ」などちょっと表現が違うだけでもかなり違うものに感じられます。これは相手の立場で考えた場合ですが、表現だけでも今のあなたには大きいかもしれません。この二つは似ていても全く違う物ですから。 だから迷いながらも自分の答えへ立ち向かっていくしかないです。 苦しんだ人ほど、苦労した人ほど人として強くなれます。だから、苦しみから逃げずに、できれば他人に頼らずに自分の気持ちをしっかり考えて、根本的になぜ苦しんでいるのかについて考えてみるのもいいと思います。 最後に、私もたまたま老人が信号を渡っているのなどをみて、手伝うべきかと考えながら、時間がなかったり・窃盗犯と勘違いされたり・恥ずかしいという理由なんかで助けなかったときは、なんで助けないんだ、ちょっとの勇気をだすだけでいいことなのに、と自分をせめる時もあります。 原因は簡単なことで、例えば、電車なんかで老人に席を譲ること程度もしない人はかなりいます。それどころか優先席でも堂々と座って譲らない人はいます。 世が世なだけに、助けたり手伝ったりしにくいということです。 だからあなたも悩むんじゃないでしょうか。 こういった問題は難しいです。 だからしかたなく間接的にでも助けるという考え方か、勇気を出して小さなことでもやるかということです。 自分の答えを探し当てることが救いだと思いますよ。 ただリンクの質問文にある、苦しみその末自殺してしまうのは間違いです。苦しみに立ち向かえず、苦しみに負けて自殺するのは勝手ですが、その自殺で苦しむ人もいます。苦しみを減らしたいはずなのに、苦しみを増やしてしまうのはどう考えても間違いです。 自分や他の環境に負けずに立ち向かう事が、苦しみに打ち勝つことですよ。 長々とすいません。心理学を習ってるわけでも習ってたわけでもないので、正確に不安や苦しみを取り除けるとは思えませんが、参考程度にしてください
お礼
>それは理解されにくい事だと思います。 やはりそうかなと感じます。 >相手の性格によっても苦しみ方が変わってくるので知らない人だと大部分を理解しきることはできないでしょうね。 その通りだと思います。 まだまだ私には分からない多くの苦しみがあるだろうことは感じています。 >救える範囲で人を救える方法を探すのがいいと思いますよ。 >しかし、自己犠牲というものはしてはいけません。 誰もがいつもそのような冷静さを保てたらいいなと思います。 しかし、往々にして人には体調や感情の変動があり、時には体力の過信もあります。 そこに無理が重なると心労で心の病、精神疾患にもなります。 おそらくそこから先は分かる人にしか分かりません。 リンク先の質問文で「或いは心病んで~」と書き及んだのは あくまでこのような苦しみのために心病んでしまった人についてのことであって、 精神を患った者が持つ希死念慮は病によるものだという医学的見地に基づく仮説です。 心病んで自らの命を絶った人の本当の気持ちは誰にも分かりません。 しかし現実に多くの人が心の病で苦しんでいます。 そして、元通りの能力まで回復できる人ばかりではありません。 そのことを本人は自分への偏見とともに知ります。 どれだけの人がこれを理解できるのでしょうか? もちろん私も人の気持ちを完全に知ることはできません。 しかし、なぜ苦しみに立ち向かおうとした善意の者が、たとえ自分の判断ミスであったとしても更に苦しまなければならないのか?という思いはなくなりません。 明確な答えなどないのかもしれません。 しかし、質問の意味だけでも理解してもらえたなら嬉しく思います。 ありがとうございました。
- fanelia
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前回の質問文を読んだだけで、回答の方には目を通していません。 >人の苦しみを察してしまうことの苦しみって普通は理解されないものなのですか? それを孤独と言うのではないでしょうか。 「世界ぜんたいが幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」 宮沢賢治 質問者様にはこの意味がわかりますか。 私は、世界の幸せを願って目の前にあることから行動していけば、 すこしずつ幸せに近づけるんだと思います。 苦しみを感じることができた心に感謝できたらいいですね。
お礼
>「世界ぜんたいが幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」 >質問者様にはこの意味がわかりますか。 この意味が分からない人がいるとでも言うのですか? 私も世界からみんなの苦しみがなくなったらいいなと思います。 自分にできることはほとんどありませんが理想です。いつも願っています。 回答ありがとうございました。
>普通は理解されないものなのですか? 理解する人もいるし、理解しない人もいるので、普通はどちらかとは言えないと思います。 いいえ、私は理解しますよ。みたいな答えをしても、それが普通かどうかは分かりませんから。 >質問の意味だけでも分かってもらえる方いらっしゃいますか? これが難しいんですけどね。 その苦しみが果たしてどこから来てるのか? 人の苦しみを察してしまうからなのか? それとも人の苦しみを分かる能力が他から理解されない故か? もし理解されれば苦しみから解放されるのか? どうしてもそこを考えてしまいますから。 また一方で人の苦しみを共感出来ない事で苦しんでいる人もいるでしょうから。 自分は他人の苦しみが分かるが、他人はそんな自分の苦しみを分かってくれない。という風に穿った見方もできます。 そうなると、私も質問の意味すら分からないで回答した事になってしまいますね。 哲学からアンケートに来るのは要注意なんですが、怖いもの見たさで回答しちゃいました。
お礼
ありがとうございます。 答えはないだろうという問題に対する理解ある回答と感じます。 そのような問題に対して、哲学カテでは哲学的な解釈と救いを求めて質問しました。 しかし私自身とらえようのない問題でお礼の言葉さえまとまらないまま質問は継続中です。 ただ、あちらの一部では質問自体も理解されない人がいたことについて 私の疑問自体がおかしいのだろうかという思いで一般的意見をお聞きしたく思いました。 こちらはアンケートなので答えはないだろう問題に対する答えは求めてはいません。 (哲学にとらわれない自然な意見が聞けるかもしれないという期待もありますが)
お礼
私にも抱いていた疑問は虚無な考えなのだろうかという思いがありましたが、 ここに疑問の正体もはっきりとし、その答えも見えたような気がしています。 共感苦痛ということと、それにたいする心の持ち方。 リンク先での質問で良回答へのお礼に 諦念という言葉を使ったのはこちらの回答により 考え至った心境です。 回答ありがとうございました。 また、障害のためお礼が遅くなって申し訳ありませんでした。