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ゴッドファーザーI 病院前のシーンの解釈について

最近DVDコレクションを購入し繰り返し見ています。 10代の頃に何とも言えない感銘を受けて以来、約15~20年ぶりの鑑賞です。 初回はストーリーに着いて行くのに多少集中力をそがれますが、2回目以降は見れば見る程細かく深い心理描写やストーリーの繋がりに気付いて、監督やスタッフの偉大さを再確認しました。 質問は、1作目で襲撃された父(ドン)の病院に見舞ったマイケルが、機転を利かせ護衛が到着するまで玄関前に陣取るシーンについてです。 冒頭で恩を売ったパン屋の息子(エンゾ)が見舞いに来たのを付き合わせて、二人で番に立つ場面です。 番に立って間もなく、敵と思われる車が一台やって来て去ります。まずこれをやり過ごせたので、マイケルはエンゾを労います。 震えるエンゾからライターを取り、マイケルがエンゾのタバコに火を付けてあげますが、その後マイケルが、ライターを見て何かに気付いた様子になり、訝しげに(?)エンゾとライターを見比べるようにするシーンが何秒か映されます。 無意味なはずは無いと思うので、この何秒間かの意味が気になっています。自分では、相当怖かっただろうに頑張ってくれたエンゾの緊張をほぐそうと、何かライターに関する話題でも考えていたのではないか、という想像に至りました。ボスの器の片鱗を示すシーン、という事で。 こういう細かい描写については、原作を読むと答えがあるのかもしれません。 ご存知の方、又推測に自信のある方、お願いします!

質問者が選んだベストアンサー

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  • kopiluwak
  • ベストアンサー率30% (103/334)
回答No.1

さっきDVDを観てみました 多分 「ドンが撃たれ何か緊迫した状態である」「病院玄関に立ちピストルを持っているような格好をさせられた」「ドンを確実に始末しに殺し屋が来るかもしれない」「現にそれっぽい車が現れ去っていった」 そんな状況に遭遇しガタガタ指が震えてライターを使えないパン屋さん つまり一般人 それに対しライターを持つ手が震えたりしないマイケル 「一般人とは違う」「ドンの血が流れている」と内心思っているのではないでしょうか 「ボスの器の片鱗を示すシーン」で合っていると私は思います 葬儀屋さんはもちろん覚えていますが観直したら冒頭ちゃんとパン屋さんも出てきていますね すっかり忘れていました このように私はストーリーをちゃんと把握するのが苦手なのであまり参考にはならない気がしますので悪しからず

aalext
質問者

お礼

参考にならないなんて、とんでもありません! ご回答、ありがとうございます。 恐らく、おっしゃる通りで正解ではないでしょうか?! 全く気付きませんでした。PartIIIまでのマイケルを知っているせいで、先入観が理解を邪魔したというか。 本来堅気のはずの自分なのに、あれ?って血を自覚した瞬間だったのかもしれませんね。あの事件で、めきめき頭角を現す事を予言させるシーンだったのに、そういうポイントを理解できなかった自分が残念です(^^;)

その他の回答 (1)

  • ucok
  • ベストアンサー率37% (4288/11421)
回答No.2

マイケルがライターを見つめる瞬間についてですね。改めて映像を観てみました。いろいろな解釈があるでしょうが、私はすなおに「安堵の間」だと感じました。 強い緊張を強いられた。その緊張の原因が一段落した。とりあえず隣人のタバコに火をつけてあげた。そこでやっと一息つけた。その「一息」だと思います。そういう時、とかく人は自分がその時に集中していた対象物に、ふと目をやったり、手の中のものをもてあそんだりします。この場合、それはライター。「見比べた」とは感じませんでしたが、エンゾを見たのは、「大丈夫かな」という気づかいだったのだと思います。 ただ、映画的には、あの一瞬のシーンがあるかないかでかなり違うと思います。エンゾは震える手で、とりあえずタバコを一服することができた。マイケルもホッとした。この束の間の安心感の直後に、警察が来て一騒ぎありますよね。その“ジェットコースター”の一部です。 また、「男は無口なほうがいい」といわんばかりのこのハードボイルド映画、アル・パチーノのあの大きな目で語らせているシーンが多いですよね。この直前にも、パチーノの片目だけがガラス越しに覗く中、エンゾが現れるというシーンがありました。あの片目が観客の緊張感をあおります。ライターをじっと見つめるあの瞳も、直前の出来事の重さと、束の間の平和を感じさせ、また、この不自然な間が「きっとこれから何かが起こる」という予感を観客にもたらしているのだと思います。 ちなみに、このパチーノの瞳、役のうえでも現実世界でも成熟し、スレていくパチーノと同様に、パートIIIに向かって変化していきますよね。この段階のシーンではむしろ、「町民や父に対する誠実な責任感に燃えながらも、ちょっとビビった若い末息子」を私は感じましたが。 余談ですが、町のパン屋の男が持ってくる小粋な花束、その花束が瞬間的に“拳銃”に変貌する様。善良と悪徳、美と醜が交互に絡み合うのがなんともスリリングな耽美派映画ですよね。

aalext
質問者

お礼

ありがとうございます^^ どの俳優さんの演技も素晴らしくて、ストーリーを追うと同時にいちいち感動してしまうのですが、当時無名のアル・パチーノに目を付け譲らず頑張った監督は本当にすごいです。 ケイを迎えに来たマイケルは、それまでとは明らかに別人の演技でしたね。あの、すっかりマフィアになった姿に、ついにファミリー・ビジネスに足を踏み入れ、兄を殺され、妻を殺された経緯が凝縮されているのを感じ、心が痛み、ぐっと来るのです。そしてその変貌はIIIまで加速して行き。。。 あの役には仰る通り、目力命!だと思います。 かなり話がそれましたが(^^;) 肝心の解釈については、私は最初に回答いただいた方に賛成です。勿論、あれが安堵の間である事に間違いはないのですが、火をつけてあげたのは、震えすぎでライターに火が着かないのを見かねての事ですしね。 再度見直したのですが、ガタガタ震える一般人の存在によって、「自分の肝の据わり具合に気付かされた」と捉えると大変自然で、また有意義です。自分だってその時点では堅気なのにね。ライターを持つ手が微塵も震えていない事に着目してましたね。 なるほど、その後の警察登場シーンを効果的にしているのには、気付きませんでした。言われてみれば絶妙なコントラストです! 見直して気付いたのですが、字幕だと”エンゾ”って表示無いですね。試しに吹き替えで見たら、ちゃんと言ってました。私は字幕で見てますが、たまたま音的に覚えてて自分の中で繋がってたみたいです(^^;) そして、冒頭のパン屋さんの陳情シーンで、背後にボケ気味で写っている”エンゾ”は、確かに後で出てきた俳優さんと同一人物でした。「This boy Enzo...」と言ってオジサンが彼を指す演技もありましたが、久しぶりに見た最初は注意を払っていませんでした。 ちなみに、陳情シーンでは彼らが”パン屋”である事を明言していませんが、感謝の印に「自分が作った立派なウェディングケーキを贈ります」と(英語では)言っており、暗に示しているのです。 なるほど~という感じで、一度では気付かないちっちゃな事を発見して、自己満足に浸っている私です(^^;) お付き合いさせてしまい、すみません。 耽美派映画、、、確かに! 昔映画ばかり見ていた頃、自分の耽美主義的な一面に気付いた事を思い出しました。

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