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老いは我々に何を教えてくれるのか?
タイトル通りです、思い出を一つあげると、昔は、皆、銭湯でした 刺青をした老人の絵柄はしわとたるみで見られたものでは無かったです 老いは嫌な物ですが、何かを教えてくれるとも思っています 皆さんの意見を教えて下さい、お願いします
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哲学的なご質問ですね。 わたしも、子供の頃、同じように思いました。 年をとっても、ずっとかわらない「何か」がある。 それに気づくのです。 そのとき、それこそが「自分」だと分かります。 若いうちは、体=自分 と思っているものです。 ちょっと年を取り始めると、心=自分 と思いがちです。 しかし、自分というのは、存在であり、魂です。 年をとっても、手足を失っても、自分という絶対的な存在は変わりません。 ガーデニング好きな年輩の方は、よく「人間と植物は似ている」とおっしゃいます。 わたしもそう感じます。 辛い病気をしたためか、体が思うようににならなくなって、 自分という存在に気づき始めました。 それからは、日々、自分は死すべき存在であることを意識して生きています。(死生観、といいます) 明日があることも、何事も、当然だとは思いたくないのです。 老いにしても、病にしても、今まで持っていたものを失うことによって初めて、本当に大切なものが見えてきます。 それは、まるで、ガラクタを処分するかのようで、人生で大切なものの方向が定まり、生き方がシンプルになります。 たくさん持っている人の方が、失うことを怖れているものです。 ですが、真実に大切なものが、幸福や、心の平安であれば、本当に失うものは何一つありません。 美、力、名誉などの欲に執着するのをやめられないでいると、本当の幸せはありません。
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- uriboutama
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人それぞれだと思います。信念を持って生きてきたか?違うのか?それによって変わると想いますから,一概には言えません。強いて言えば過去の自分の姿だと思いますが?
お礼
人間は、背中が見えないようになっています、鏡や他人でしか 分りません、なかなか自信を持って人生歩めないですけどね 返事有難うございました
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お礼
ちょっとうろ覚えですが、植物も、胎児も芽(目)から出きるとか 聞いたことが有りますね、確かかどうか、ググって見て下さい 重みのある言葉ですね、天命を知る事が出来るのなら、最高ですね 返事有難うございました