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平等院の両翼は単なる飾りでしょうか?
- 平等院鳳凰堂の両翼廊は、中堂とつながっていません。両翼は、極楽をイメージさせる飾りなのでしょうか?
- 両翼の廊下で、踊りや器楽演奏をしたのでしょうか?(あの天井の高さから、実用性は無いと思いますが)
- 平等院の両翼は単なる飾りなのか、それとも何か特別な機能を持っているのか、教えてください。
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1052年。意外と新しいですね。(いい加減ですいません) でも建物の意匠はかなり古くて、京都と言うより奈良の建物に近いと考えています。 女性的なところが薬師寺の塔と良く似ています。 (細部の意匠は年月の隔たりなりの違いはありますが) 1日経って思ったのですが、 鳳凰堂はやはり両翼に回廊が付属した一体の建物としてデザインされていると思います。 そうでないとあの軒の高さが不自然です。 不必要と思われるものをあえて付けたことに意味があるのでは? 回廊がなければあの形にはしなかったと思います。 (通常の金堂のように2層の入母屋屋根にしたのでは?) 鳳凰堂は一見2層に見えますが1層目はモコシ(これ変換できません)のようです。 いや、でも昔のデザイナーには感服するものがありますね。 (今十円玉を見ながら書いています) 平等院は約10年前に行ったのが最後ですが、かなり痛みが激しくそろそろ大修理が 必要と感じました。残してほしいですね、こう言う遺産は。 (ミュージアムも行きましたよ) 清水の舞台も投稿しようと思いましたが先の回答以外思いつきません。 ------以上
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- PAPATIN329
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こんにちは。 若い頃読んだ本では、 法隆寺とか薬師寺とかの古い建築物は、<彫塑的建築>と言われています。 端的には外見重視の設計で内部空間のことは余り考えていません。 内部空間は仏像が据え付けることが出来て、他にメンテナンススペースが あれば良しとするぐらいで。 平等院は京都では東寺と同じぐらい古い建物ですね。 (もしかして平安遷都の前かもしれない、調べてください。) ですから法隆寺とか薬師寺とかの飛鳥白鳳時代の建物に近いです。 確かに両翼の回廊は伽藍配置においては金堂の左右に必ずあるもので、違和感は ありませんが、前出の本の中でも2階のスペースは機能的には何の意味もない、 と書いてありました。(人が立てない) ですからこれは外見重視による付加物と言えるでしょう。 (飾りと言うほど意味の薄いものではないと思いますが) 鳳凰堂の場合は一般的には絵画的建築と言われていますが、これは水面越しでしか 見ることが出来ないと言うことから付けられた形容かと考えます。 今は観光客は鳳凰堂の中まで入れますが昔はとんでもない話だったはずです。 この頃の金堂には人が入る、と言う発想はありません。生身の人間が入れる空間ではないのです。 人間は外から祭るのです。 (若いお坊さんが体を清めて掃除に入るぐらいかと) 遠くの極楽浄土を表現するため、 外見重視、で構えとして及び形式として回廊を設け、 手前に水面と言う結界を設け、 容易に到達し得ない世界を現したのだと思います。 ですから飾りと言うには軽いですが機能的な意味はない、 でも違う意味で必要だから設置した、と言うことかと。 踊り、器楽演奏等の二次的用途に使用したかどうかは解りません。 -------以上
補足
ありがとうございます。 ⇒回答がつかないかと心配していました。 調べました。 法隆寺 607年 薬師寺 680年 平安遷都794年 東寺 796年 平等院 1052年 です。正面から見て(水面に映るところも)、 昨年観光した「宮島の厳島神社に似てるなぁ」と思ってました。 で、厳島神社を調べると593年でした。 真正面から観て、「つながって無い」と気付いた時には何度もみてしまい(池があり遠目で確信が持てなかった)、 ミュージアム後、家族が「暑いし疲れたから南門から出よう」と言うのに、 「後ろ側からつながっているかを確認したいから」と後ろ側までいって垣根越しに覗いて「つながっていない」ことを確信しました。 間近なので、廊下の高さも不思議でした。 高校生の息子と「不思議な部分だねぇ」と話してました。 また、「平等」と言う概念が当時どのようなものだったのか?も、 資料をみてもわからないところです。 (大乗仏教的な考えでしょうかねぇ) そうそう、ご回答者様 > 若い頃読んだ本では とありますが、私は、もうすぐ50歳になるオヤジです。