≪駐屯クンニ≫は、もともとクリトリスへの愛撫の一手法です。
その愛撫が口唇を利用するだけに、手のような敏捷さに欠けます。
そこで、どうしても次善の策を弄することになるんですね。
本来なら・・・
■ 隆起したクリトリス本体(亀頭)をしゃぶる→駐(チューと吸う)
■ すかさず舌で本体を突き上げる →屯(トンと本体を叩く)
このような操作を間断なく行うのですが、たいていは成功しません。
そこで、前述の項目の一つをしばらく続けてから、次の項目に移ること
で先の行為の代用としているのが実情です。
そこで、なぜこのような難儀な≪駐屯クンニ≫に拘るのか、と言います
とフェラをこの≪駐屯クンニ≫に似せて行って欲しい、という男性側の
願望のもとに考案されたテクニックだからなのですね。
これは女性の生体の機能を無視した男性側のかつてな憶測のもとに行っ
ているテクニックでもあるのです。
だいたいクリトリス本体が露出していなければ、このテクニックは無意
味な行為になります。
しかし感度が鋭くなるにつれてクリトリス本体は不随意的に包皮に隠れ
ようとします。これは、男性のペニスの亀頭とは全然違う防衛機能があ
るからなのです。男性の場合には、着衣に触れたペニスの亀頭は、その
摩擦に鈍磨されて次第に刺激に鈍くなるのですが、女性のクリトリスは
そのような構造にはなっていません!
クリトリスの自己防衛とは≪これ以上刺激を欲しくない!≫というシグ
ナルでもあるのです。これを漫然と行うこととは、暴力の何物でもあり
ません。クリトリスを愛するものとして、この女性の生理を知っておく
ことを強調したいと思っています。
クンニの醍醐味は、そんな行為にあるのではありません。
女性がなぜ【性交では感じなくとも、愛を感じるのか?】を思い出して
欲しいものです。愛する男女が【一体感になりたいという切実さ】を全
うできるのは、ペニスによる膣内の挿入にこそあるのです。
決して男性が思っているようなピストン運動にあるのではないのです。
だからこそ女性は性交でオーガズムを得られなくとも、愛する人の一部
を包摂することで、自らの存在を際立させらるのであり、そこに「幸福
感」を体得しようとするのです。
クンニの奥義は、「こんなところまで舐めてくるなんて、とても幸せ」
と思う女性の気持ちに応えているかどうかにあるのです。
女性の「幸せ」とは、男性の献身的な行為に感動することにあります。
その為には、第一にクリトリスではなく、まさしく【小陰唇】にこそ、
その行為の重点を置くべきなのです。
女性がみずからの【小陰唇】をどのように思っているでしょうか?
この肉体の一部に彼女達は、男性が思うように「神秘的できれいな」も
のとして感受してはいません!
≪醜いあひるの子≫のように、この醜悪さに辟易して悩んでいるもので
す。
そんな部分に臆せずして「舐めている」行為は、自己犠牲的なものとし
て彼女達に映るんですね。「こんなところまで・・・」という彼女達の
感慨は、まさしく≪醜いあひるの子≫である小陰唇に、かくも絶大なる
愛撫を施されて【幸せな感情】を鼓舞せずにはおかない感謝の気持ちで
もあるのです。
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