人の人生を背負うということについて
私には唯一無二のかけがえのない親友がいます。
これ以上の友人はいないし、寧ろいらないとまで初めて思うほど「尊敬できる大切な人」です。
もしも、その友人が事故かなんかで体が動けなくなったり、障害が残るようなことがあれば
私は彼女の手となり、足となり、彼女を一生涯支えるつづける!と考える間もなく断言出来ます。
そして、その時、私が結婚することになったら
私は彼女も一緒に受け入れてくれる人でなければ結婚しないと思います。
彼女(親友)の人生ならば、背負うことが出来る。
と私は思っていますが、
親友はそうではないと言います。
「友人の人生は背負えないけれど、恋人の人生は背負える。」
その意味を聞くと
恋人はいずれ結婚して家族を作る人だから生涯を共にする
ということで、恋人の人生は背負えるとのことでした。
それも理解できますが、
そしたら友人の人生は背負えないのか?
という疑問が私の心の中に湧きました。
私の中での彼女の存在は
親友や恋人という総称で例えるよりも
まず「とても大切な人」という言葉がふさわしいと思っています。
今のところまだいませんが、
これから先に出会う「結婚相手=人生を共にし、人生を背負える相手」
も彼女と同じ「とても大切な人」の枠の中に入ると思います。
もし将来の結婚相手が「友人の人生までは背負えないよ」
(前記のもしもの話の続きで)
と言ったら私はその人と結婚はしないと思います。
二人とも「大切な人」である。
しかし、たまたま先に出会ったのは友人だった。
だからです。
私は
「とてつもなく大切な人ならば、友人の人生も、恋人の人生も共に背負う。」
というのが私の考えで、それを説明しましたが理解はしてもらえませんでした。
彼女が言う意味もわかります。
比較するものではないし、天秤にかけることはできないという意味も入っていると思っています。
一般的には彼女の意見の方が正しいのかもしれません。
しかし
「友人の人生は背負えないけれど、恋人の人生は背負える」
と言われる度に「まだ見ぬ恋人>私」なんだ。
と思うと、本当に悲しくなりました。
それは
恋人が出来たら捨てられてしまうのではないか、
だとしたら私はいったい何なんだろう。
元々は恋人も、私も、家族でもなければなんでもなくて
出所は他人で一緒なのに、
恋人とは結婚するから彼の人生は背負います。
だからあなたの人生はもう背負えません。
って、どうしてなんだろう。
と、すごく悩んでいます。
彼女に出会えたことはとても感謝していますし、本当に大切な存在です。
彼女の見解も正しいのだとは思いますが、
何度説明してもわかってもらえず、すごい寂しさ、孤独感でいっぱいです。
悩みすぎて、
もしかしたら私はレズなんじゃないか?依存症なのかな?
とまで考えてしまう程です。
皆さんは、
大切な人の人生を背負うことについてどう思われますか?
やはり恋人の人生だけしか背負えませんか?
私がこう思うことはおかしなことなのでしょうか?
長文でたくさん書いてしまいましたが、最後まで読んで頂いた方ありがとうございます。
どなたか、教えてください。
よろしくお願いします。
お礼
手遅れがあるんですね。逆風も背負うしかない。参考になります。ありがとうございました。 犯罪というところにまで話が行ってしまったので質問し直させて頂きました。