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大衆の意見・常識が、全く当てにならないことを示す例を挙げてください。
大衆の意見・常識が、全く当てにならないことを示す例を挙げてください。 私は、世間一般の常識(とされるもの)や、多数者の意見を 経験的にあまり信頼していません。 一般人は偏見に満ちていて、しばしば間違った結論、都合のいい結論を出すと考えているからです。 今世間で常識としてまかり通っているものも、誤りが多いと思います。 ただ、「じゃあ具体的に多数の意見が間違っている例を挙げてよ」と言われたとき、私は何も言うことが出来ませんでした。。 そこで、多数者の意見・認識・常識が誤っている例を挙げてください。 できれば、専門的な分野のものでなく、一般的なもので、致命的な誤りの例が望ましいです。
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バブル崩壊までは、土地をもっていれば値上がりして当然と考えられていたのではないですか 一千万で買った土地付家が10年後には二千万で売れたようです バブル時代には土地を買えば一等当選の宝くじと同じと、テレビで言ったいた、ニュース番組の司会をしていた芸能人もいました 銀行でさえ、値上がりする前提で担保にして融資をしていたと思います 戦後からバブル期までは土地が値下がりすると言っても信じなかったと思います 今から考えると永遠に値上がりしたら誰も買えなくなって値下がりしますよね
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- pokoaruki
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>私は、世間一般の常識(とされるもの)や、多数者の意見を >経験的にあまり信頼していません。 >一般人は偏見に満ちていて、しばしば間違った結論、都合のいい結論を出すと考えているからです。 正しいことも間違っていることも両方ありますね。 正しいときは、経験に基づいていること。 まあ、その経験がすべてに通じるとは限らないけど、思い込みで判断している場合よりは、よほど正しい確率が高いでしょう。 大人が子供に「ちゃんと勉強したほうがいい」というのは、勉強が足りなくて苦労した経験から言ってるのだから、正しい(笑) 間違っているときは、ステレオタイプで物事を判断している場合が多いような気がします。 母子家庭だからとか、障害者だからとか、何々国の人間だから、政治家だから、官僚だから、男(女)だから、貧乏人(金持ち)だから… 例えば、政治家といっても政党によって考え方は違うし、派閥でも違うし、でも聞いてると個々人が別々の考えを持っている。 いろいろな要素がからみあって個性が成り立っているのだから、一律に考えようとするのが、無理がありすぎです。 国民という言葉もステレオタイプでよく使われますね。 「民意」だの「国民の目線」だの、言ってる人の都合に合わせて使われてます。 マスコミも政治家も、まやかしに過ぎないこの言葉を使うのやめて欲しいです。 でもマスコミも、刺激的な手法を使わないと視聴者が離れてしまうと思ってるんじゃないでしょうか。 多くの皆さんがなんだかんだ言いつつ偏向報道を信じてることがよくあります。 自分がたまたま分かる分野でそれが起こってるので、そう思います。 視聴者は偏向報道を好んでいる。 視聴率が下がれば、スポンサーから怒られるしね。 あれ、それなら、番組の内容を問わず視聴率を要求するスポンサーが一番悪い? …っていうふうに、悪者探しをしてもきりが無いなあと思います。 政治家や官僚やマスコミが一方的に悪いのではなく、企業や国民も含めてすべての人間に責任があるということを 理解していないのが一番の致命的な誤りと思います。 また、現在起こっている問題にも、仕方の無い事情がある場合があり、それを認めようとしないのも誤りです。 具体的な内容でなくてすみません。 過去の大多数の人間の誤りで言えば、地動説や進化論があらわれたときに否定したことでしょうか。 自分が低くなるのは嫌だという心理かと思います。
お礼
すばらしい。抽象レベルでまとめてくれましたね。 そう思います。悪い人はいないのです。みんな、それぞれに事情があるものです。 最終的に何に行き着くかというと、システム・制度が悪いことになる。でも、システムは絶対にそういう欠陥を出すものですしね。 そして、システムが悪いと言っても、誰かが強引に罪を被って、裁かれなければならんのです。そうでなければ、アイヒマンを戦犯として裁くことはできなかったはずです。 人はシステムによって悪いことをしてしまいますが、それで裁かれるのはシステムではなく、それに関わった人の方です。 民衆も、スポンサーも、さんざ煽った挙げ句、問題が起きると、マスコミを非難し、マスコミは、誰か一人が全責任を負って辞職し、それでシステムは依然として維持されるのでしょう。全ての人間の責任は、一人の人間に集約され、それを犠牲にすることで、罪が赦される。近いうちにまた、このような光景が見られると思います。 大衆の認識が全て間違っているとは思っていません。むしろ、大衆の認識全体の8割以上は、正しいか、あるいは、妥当なものであると、考えています。大衆はまず、何度も何年も入念な検証が行われて、確実に正しいと言われることから信じるからです。このように、情報が充実していることについては大衆の意見は信用に足るでしょう。 しかし、自分達になじみのないこと、判断を下すに足る情報が不足しているときには、印象や感情で行動するものだと思います。それが、認識の間違いを生むのでしょう。 しかしながら、具体例を示すというのは、案外難しいものですね。 回答ありがとうございました。
- demio
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調子にのってもうひとつ 一国狂信で思い出しました、 ソビエト連邦崩壊のころ、もちろん崩壊もまさかのまさかでしたが、冗談半分で(思いつきで言っただけですが) 「次は中国がソビエトに代わって共産国の中心国家になる」と言ったところ誰も「そんな馬鹿な、中国はいつまでたっても、いまの中国のままだ共産主義は崩壊だ」と言われました しかし、現代の中国は当時のソ連よりも経済力をつけ政治は共産主義で外交もソ連がしていたような傲慢さ、ある面ではソ連よりもやりにくい国のような気がしますね
お礼
大衆の未来予想は当てにできない例ですね。 かといって経済や政治のことについては、専門家の未来予想もあてにならないのですが。 比較的、当てにできるのは証券や国際情勢に最前線で関わっている現場の人たちだけですね。 ちなみに、中国は、共産主義以前からずっと、外交はあの姿勢でした。 単に中心に据えていた教義が、儒教から共産主義に置き換わっただけで、本質は中華思想のままなのです。 だからこそ、長続きしているのでしょう。 回答ありがとうございました。
No.6です。 前述では単なるマスコミ批判になってしまいましたが、 真面目に答えれば、たとえば以前「優しさとは」との質問がありました。 1つ1つは間違っているとは思いませんが、どうしても日本では「親切にする」側が優先権を持ってしまいます。 しかし子供の教育でも、時には黙って見守ることが親切な場合もあるでしょう(失敗から学ぶもの)、そして大ケガをしないようにそばで見守るとかしながら。 しかし大抵は、ガミガミ言い過ぎても「愛情があるからこそ」と正当化できてしまいます。 大抵の場合は、親切のやりすぎに対する正当化の言葉は用意されているのがほとんどです。 最近も生活苦で自分の孫を殺した事件がありましたが、これも愛情があればこそと言えば、情状酌量の措置が執られるようです。
お礼
行為を親切でやっていると主張している側は、 実は、相手の為じゃなく、自分のエゴのために、それをしていることが多いですよね。 今も日本中で、不幸な子どもが大勢作られているのでしょう。 親切・愛・平和・秩序・共存・啓蒙・発展・正義・エコ・未来など、聞こえのいい価値観・スローガンを利用して、 世界では様々な詭弁が作られていますよね。 おそらく、それらの価値観を使えば、いくらでも自分を正当化することは出来ると思います。 そして、それが対立を生み、新たな争いの火種になるのでしょう。 悲しいことです。 回答ありがとうございました。
> 大衆の意見・常識が、全く当てにならない まさに、これこそが正解ではないでしょうか。 つまり、実は人はいろいろな意見を持っています。 しかし、マスコミはそれが過半数以上であると、それだけをピックアップして国民の意見と決めつけます。 また、コメンテーターがメチャクチャな自己主張をする時には決まって「多くの国民はこう思っている」など、さも自分がみんなの意見を代弁しているかのようにして言います。 つまり、マスコミが国民の意見と言っているのもほとんどがどちらの方向に向けたいかの意思表示であって、所詮は国民の声の一部でしかないのです。 今の報道でも、局によって若干の違いはあってもほとんどの国民が「民主党支持」しているかのように報じられています。 しかし、今まで、ほとんど自民党が政権を担当し、今回だけ民主党に政権を与えるだけの何かがあるとは到底思えません。 たぶん、結局は民主党が政権を取れないでしょうし、マスコミが情報操作することも、そろそろ広く知れ渡ってきたため、もしかしたら逆に自民党が圧勝するのではないかとも思ってしまいます。 つまり、マスコミが「大衆の意見」などと言うものは、大してあてにならないと思います。
お礼
自分で言うのも何ですが、この質問は、自己矛盾しているということは、薄々感づいていました。 とはいえ、私は、 「普通の人は、そう考えるよ」 とか、 「みんな言ってる」「多数者の意見は、絶対正しい」「おまえは変だよ。なおしたほうがいい」「みんなに従うのが一番」 とか、 しゃあしゃあのたまう知人に、返しの一撃を喰らわせたいのです。 そして、マスコミがプロパガンダを行っていることも・・ あれ? マスコミのプロパガンダの話でしたか。 > 大衆の意見・常識が、全く当てにならない の部分まで読んで、この質問の矛盾点を指摘されたのかと思って、焦っちゃいました(汗) 今のは忘れてください。 マスコミが情報を曲げて伝えるのは腹が立ちますね。 しかも最近、それがエスカレートしていないですか? 私にはそう感じられますが。 回答ありがとうございました。
- debukuro
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事実だと主張できる根拠もないのに常識は当てにならないなんてよく言えますね その例を教えてくれなんてそういうのを「他人の褌で相撲を取る」というのですよ 世間では地動説は正しいとされていますが事実ではありません 事実はすべての天体は24時間の周期で地球の周囲を回っているのです 赤ん坊は女性の体内から生まれると信じられていますが事実はコウノトリが運んでくるのです これすべて本当です
お礼
なるほど。 私自身、世間の常識に染まっていました。 私は今の今まで地動説が正しいと信じていましたが、実は天動説が正しかったのですね。 私が結婚したら、私にも、コウノトリさんが子どもを運んでくるところが見られるでしょうか。 こういうのも、新しい発見です。 ありがとうございました。
- akio3355
- ベストアンサー率46% (83/178)
どんな答えを求めているのか、今一理解が及ばないのですが…… 常識は多数の意見で作られるもので、国や地域、時代によって変わります。 ですから、基本的に多数の常識が間違っていると言う事は表現的に違ってますね。 常識と言うか、多くの人が間違った知識を持つ事はあり得ます。 例えば、苺の旬は冬だと思ってる人が多いとか、子持ち昆布は人工的に作ってるものだとか…… 苺はハウス物が冬に多くなる事から、特に路地ものを目にする事がない都会ではそう思われている事が多くなりました。 子持ち昆布も、本物は自然にニシンが卵を生み付けたものですが、加工されたものが多く出回った結果、本物は忘れられてしまいました。 大きな意味で、大衆は時として間違った選択をする事の例として、アドルフヒトラーの事をあげる人は多いですね。 ヒトラーは民衆に選挙で選ばれたリーダーです。
お礼
質問の方向がわかりにくくて申し訳ありません。 「多数者の意見は正しいからそれに従え」という知人の言葉に対する反例を示したかっただけなのです。 常識は確かに、時代や地域で、全く異なりますよね。 範囲は、現在、地域は日本と限定しましょうか。 大昔になると、天動説などの間違った学説や、呪術や迷信が正しいとされていたわけですし。 昆布や苺の話をされても、たぶんその知人は子持ち昆布や苺の旬についてよく知らないと思います。 ヒトラーは、いい例でしょう。 結局大衆は、よくわからないまま煽動されて、その場限りの選択をするものだと思います。 ありがとうございました。
- jeepter
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オウム事件のときの河野さんの報道。 ちょっと質問者さまの主旨と違うかもしれませんが。 冤罪は報道がつくるのでしょうかね。
お礼
マスメディアは本当に、無責任な情報を流すものですよね。 プロパガンダを意図しているところがありますものね。 芸能や政治でもそうですけれど、一般人に対しての冤罪はまことに許せません。 某局の明らかな情報操作には業を煮やします。 マスメディアが利権から無縁ではいられないことが原因でしょうが。 ありがとうございます。 マスメディア(マスコミ)の間違いや、それによって重大な問題が引き起こされた例は、大歓迎です。 私の母に、「テレビは正しい!」と断言されて悔しい思いをしていました。
「人を見かけで判断するな」 自分の恋人を選ぶ以外ではまかりとおっている意見・常識だと思います。 こういう意見そのものがいかに人が外見に左右されてるかを表してます。 たしか海外の裁判で試したところ、同じ罪を犯した人を裁くのに美人は無罪もしくは軽くすみ、見た目の悪い人は重罪になったとの話も聞きました。 他にもミスコンテストしかり。
お礼
見かけというのは、確かに当てにはなりませんが、一定の妥当性は持っていると思います。 昨日、ブック●フに行きましたが、立ち読み者に、無職かフリーターであろうと推測できる身なり・雰囲気の方々が多くいました。 彼らが本当に無職やフリーターであると確認していません。 ブックオフで長時間立ち読みをしているのは無職やフリーターであるというのも私の勝手な推測です。 しかしながら、無職やフリーターが身なりに無頓着になりがちというのは、人と会う機会が減って身なりを整える必要性が減少するということと、お金がないから安い衣類を買いがちという2つの条件から導き出される、ある種必然的なことではないでしょうか。 私は、身なりを整えたフリーター・ニートや、逆にみずぼらしい格好をした偉人が、どんどん増えてほしいと思っています。そうすれば、「人を見かけで判断してはいけない」という言葉が真実性を帯びてくるからです。 しかし、実際は、人の見かけは9割以上は正しいと、そう思います。 そういう傾向がある以上は、見かけでの判断は必ずしも正しいと言えずとも、妥当ではあると思います。 そのような妥当性すら見あたらない、明らかにおかしな常識というものはないのでしょうか。
- born1960
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1月1日のことを「元旦」と呼ぶ人が多いように思います。 正しくは「元日」です。 「元旦」とは「元日」の午前中だけ・・・厳しく言えば「旦」という字は水平線からお日様が上がった時の字なので、本当は日の出直後です。 また、「代替」という言葉も「だいたい」では通じないことが多いのでわざと「だいがえ」などと読みます。また「重複」も「ちょうふく」では通用しない場合が多いので「じゅうふく」とわざと間違います。 こういった言葉は間違いの方が多数を占めて、間違いも辞書に載り、言葉として認識されます。
お礼
言葉って難しいから、間違って使われている例が多くあるでしょうね。 むしろ厳密に使われている例が少ないかもしれません。 素人が使う学術用語は、間違いだらけですもんね。 ありがとうございました。 しかし、言葉の間違いは、あまりたいした問題ではないように感じます。 もう少し、大問題な間違い(←この言葉もおかしいですがw)をお願いできますか?
お礼
バブルは日本あげての狂気だったらしいですね。 いい回答です。このような大衆の狂信的な動きは、具体例として適しています。 群衆の狂信は怖いです。 特に、一国全員まるごと狂信者だと、手が付けられませんね。某国(複数)のことですが。 合衆国のどこかの州では、暴徒と化した群衆によって、土地が不当に奪われ、そのまま暴徒がそこに自分達の村を作ったという話を聞いたことがあります。 不正が群衆にかかれば正しいことにされてしまうのですね。 回答ありがとうございます。