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サッカーファンの方に聞きます。
中田英寿さんて、正直、世界的に見たら並みの選手で、日本国内でいわれていた程の選手ではないと思うのですが、客観的に見てどうなのでしょうか?
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ペルージャ時代のユベントス戦での2ゴールデビューやローマ時代のスクデットを決めたゴールなどインパクトはありますが、ローマ時代は外国人枠に悩まされ出場機会が少なかったですし、次に移籍したパルマでは監督と相性が会わず満足なプレーが出来ずませんでした。その後にボローニャ、プレミアのボルトンでプレーしましたが、パフォーマンスが良かったのはペルージャ時代の1年半とボローニャでプレーした時だけですね。共にチームの中心としていられたときです。ボルトン時代はプレミアのスタイルに慣れないまま引退してしまいました。 長年にわたって海外で活躍した奥寺氏の方が実績は残してますし、セリエAよりレベルは落ちますが中村俊輔の方がチームに貢献していると思います。ただ彼は未だにローマでは英雄扱いされてますし、ユベントスに強いなど要所でインパクトを残してるので知名度が高いと思います。 世界的に並の選手ではという意見についてですが、並の選手ならタレントが豊富だったローマで出場機会は全く無いでしょうし、こういうチームに移籍出来た事はレベルが高い選手だったと思います。中田氏がローマに移籍した理由については日本企業のスポンサー絡みではなく、当時のカペッロ監督が中田氏のボランチとしての能力を期待し、絶対的エースのトッティのサポートが出来ると考えたからです。結局それはうまくはいきませんでしたが、出場機会が少なかったとはいえレベルが高い選手でなければこういった期待はされないでしょう。
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- ziaoshu
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いやいや、全盛期は間違いなく世界のトップクラスだったと思います。 印象深いのはセリエAの開幕戦、自身のイタリアでのデビュー戦、 名門ユヴェントス相手に2ゴールを決められる選手はそういないと思いますよ。 ユヴェントス戦には滅法強く、ローマがスクデット獲得した年には、 確か0-2と負けている時に途中出場でミドルシュートを決めました。 もう1本打ったシュートはファンデルサールに止められたものの、これも途中出場のモンテッラが詰めて引き分けに持ち込んだ時があります。 首位のローマを追いかけるユヴェントスとの、実質勝ちに近い引き分けでローマはスクデットをほぼ手中におさめました。 ベンチにいた時にモンテッラと二人で 「途中から出て二人で流れを変えてやろう」と言っていたそうです。 かっこいいです。
補足
日本企業のスポンサー料やテレビの放映料目当てという事は一切考えられず、純粋に選手の力で世界レベルだったという事ですか?