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おばあちゃんの心配・小言・注意を慎んでもらうには?
4歳半の男の子の母です。 おばあちゃん(私の母)と同居して半年ほどです。 おばあちゃんの心配からきている注意・小言が多く、困っています。 「ごはんは食べたの?」 「さむいからなにかきたら?」 「早くねないとね」 というのを子供に言います。 言うだけいって、言いっぱなしで無責任、子供の返事を聞いていません。 普段から、どうでもいい心配・注意を繰り返しているので、本当に聞いてほしいことも聞いてもらえなくなっていると、私は思うのですが、どうなのでしょうか。 おばあちゃんに言っているのですが、「心配しているだけ。注意しただけ。小言じゃない。」と、まったく、取り合いません。 私としては、本当に実行してほしいことだけを言ってほしいとお願いしています。 おばあちゃんとしては、心配しているだけで、本人が『大丈夫だよ』といって、よいならよいみたいで、確認したいだけのようです。 それを言いたいのを我慢して、子供をもっとよくみて、必要なことだけを言ってほしいのですが、ムリでしょうか。 子供も最近は無視するだけでなく、自分で反論するようになってしまいました。 「今、やってるんだよ!ばーか。うるさい。」 「さむくねーよ。ばーか。」 のように、非常に悪い暴言を使うので(まだ、ことばをうまく選べない)、おばあちゃんは、言い負かされて言葉に詰まってしまいます。 私自身がおばあちゃんに「うるさいなぁ」と思ってしまっているのですが、でも、そこでぐっとこらえて、私がおばあちゃんに、「いつも心配してくれてありがとう。でも、○○ちゃんも、自分でできるようになってきているから、心配しなくても大丈夫だよ」と言って、安心させてあげれば、言わなくなるのでしょうか?
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そうですね…。 うるさいと思えばうるさいでしょうね。 質問者様の肝心な事だけ言ってもらいたいという気持ちはよくわかります。とてもよくわかります。 とてもよくわかるけどあえて言わせていただくと、 子供はやっぱり親を見て育ちます。 悪い言葉を言えば、うまくこ言葉を選べなくとも言葉がわからなくとも叱らないといけないと思います。 そしておばあちゃん。 年を取るとね、やっぱり頑固になります。 自分が一番正しいと思ってきます。相手を変えるのは大変な事です。 相手を変えるよりも自分が変わる方が私は簡単だと思うのです。 自分を変えるのもやっぱり大変な事ですが、無理に我慢、無理に心なしで言葉で合わせているのでは これは変わったとは言えないのです。 自分を変えるには感謝が大事です。 贅沢な悩みというか、考え方を変えてみれば、お祖母ちゃんは心配してくれてるのですよ。 ありがたいことなんです。 それを親のあなたが、うるさいなーと思っているようでは子供が思っても当然。 子供がうるさいなー=私も思うんだから子供も思っても当然だわ じゃなくて、子供がそう思わないようにしてあげなければならないのではないでしょうか? ご飯食べたの?=おばあちゃん心配してくれてありがとう、先ほど食べさせましたよ♪ 寒いから何かきたら?=心配してくれてありがとう、子供は元気だから私よりも薄着で良いくらいなんですよ♪大丈夫ですよ♪ と、常に心配してくれてありがとうと、心から感謝して態度で表わす方が子供の教育には良いのではないかと思います。 逆に言葉なくともお祖母ちゃんに対してうるさいうるさいと思っていては子供は心配してくれてありがとうなんて自分から発想出来るでしょうか…。 年寄りは心配性だし、頑固だし、自分と同じだと思ってしまいます。 自分が寒ければ子供も寒いと思ってしまうのです。 年寄りは本当に厚着ですからね(^_^;) まずはご自身から、素直に感謝をされて見る事を私はお勧めしたいと思います。
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- name135790
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うちの母も細かい上に心配症です(^_^;) うちは別居なので、昔からの性格で、仕方ないと思いスルーしてますが、同居ならイラっとしてしまうこともありますよね。 ちなみに、私の場合「大丈夫、大丈夫」と笑うというのが対処法です。 母からみたら、私の大雑把さがイラっとくると思いますが、そこのところはお互い様ということで(笑) ただ、ちょっと気になったのが、お子さんの言葉です。 もしかして、家庭内の序列に問題があるのかなと。 実のお母さんということで、質問者さんの中で、家庭内のおばあちゃんの位置づけを、一番下のしているってことはないですか? 犬と一緒にすると気分を害されてしまうかもしれませんが、子どもや動物というのは、こういう序列を敏感に察知してしまうところがあると思うんですよ。 この人は舐めてかかってもいいと判断してしまうんですよね。 年長者を立てる、尊敬するという態度を親がとっていると、少なくても馬鹿よばわりはしないようになるのではないかと思います。
お礼
すごく、具体的な対処策を教えていただき、ありがとうございます!!! まさに、ご指摘の状況にありそうです。 私が、母を尊敬できなくなっていました。 (同居するまでは、本当に尊敬できていたのですが。。) 愚痴になってしまいますが、本当にえらそうなことをいうんです。 でも、全然、実行できないのです。私が独立して家をでてから10年ほどたっていて、母のことを理想的に思っていすぎたようです。 現実を受け入れたいと思います。 ・「大丈夫、大丈夫」と笑う ・母をやはり、尊敬する(できないところばかりみないで、できるところをみるようにする) を肝に銘じ、実行するようにしたいと思います。 母も、調子がよいだけで、意地悪なんかでは絶対ないし、普通のとてもよい人なので、人間的に嫌いなどではないので、なんとかなるような気がしてきました。
- RXH7
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>子供も最近は無視するだけでなく、自分で反論するようになってしまいました。 「今、やってるんだよ!ばーか。うるさい。」 「さむくねーよ。ばーか。」 のように、非常に悪い暴言を使うので(まだ、ことばをうまく選べない)、おばあちゃんは、言い負かされて言葉に詰まってしまいます。 言葉を選べないではなく、あなたの躾の問題です。 「感謝と思いやり」この言葉からは、遠くかけ離れた人格ですね。 このまま育つと、将来とんでもない苦労をしますよ。 あなたがどれだけの子育てを経験したかわかりませんが、 おばあちゃんと言うのは、仮にも子育て経験者です。 先輩経験者の意見を、真摯に受け止めることはできないのですか? まぁ、あなたがここに書いているような価値観なら、 おばあちゃんの子育ても失敗なのかもしれませんが・・・
お礼
非常に厳しいご意見ありがとうございます。 確かに、とんでもないことになる予兆ですよね。 本気で心を入れ替えないと大変なことになりますね。 しつけは家族のなかでは私が唯一している状態で、「「ばーか」はだめだよ」と言葉ではえらそうにしかっていますが、そんなのではだめなんだなぁと本当に思いました。 (主人は、激怒して叩き、やはりどこかへ言ってしまうため、「たたかれた~」と泣いてしまい、まったく子供に届きません。) 母である自分がしっかりしないとだめですね。 子供は親の背中をみて育つといいますので、たぶん、母である私のおばあちゃんへの態度をあらためない限り、改善されないと思いました。 私もおばあちゃんの子育ては失敗というか、完全ではなかったと思っています。一人目を肺炎で1歳半で死なせてしまった、トラウマが私に全部きていたんだなぁと今やっとわかってきました。おばあちゃんのそのときの気持ちを思うと、本当にどんなに心が痛かったことだろうと、涙がでてきそうに思います。なので、風邪をひくことに関しては、異常に心配します。 自分は本当に小さいときは、言いたいことがまったくいえず、泣いてばかりいました(悲しくて泣いているのではなく、今思えば、言葉にならない思いが出てこなくて泣いていました。) 頑張りたいと思います。アドバイスありがとうございました。
- ijnkan77
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性格は変えられません、、、 嫌なら別居しかないですよ。 ちなみに私は、心配性なんで、将来私が姑になったらうるさい小言ばばぁになってしまいそうです。性格ですよ。 ま、それだけ見てくれている、と感謝してあげたら、ほっとしてくれると思います。あなたが心を入れ替えて接し方を変えないと子供に伝わってしまうのでしょうね。 物はいいようで、「子供は暑がりだから薄着でも平気です」と言い返すのではなく「ほんとにねぇ、寒いですよね。でもうちの子は、パパに似て(あるいはママに似て)暑がりで、すぐあせもになってしまうから一枚少ないくらいでいいみたいなんです」と言ってみてください。「あぁ自分とは違う血が混ざっているんだな」と思わせたら、ちょっとは距離をとってくれるかもしれません。 でも、他人に期待するのはお門違いです。どこでもそうだとは思いますが、自分が考え方や接しかたを変えるか、できないなら離れるしか手はない、というのは人間社会のお約束でしょうね。たぶん。他人に何かを変えてもらおうというなら、いったんその人の気持ちに寄り添って、同じ立場だってわかってもらえたら案外素直に聞いてもらえたりしますが、まぁ嫁姑とか上下関係はっきりしてる世界では通じない話ですよ。 念のため。
お礼
厳しいご意見ありがとうございます。 他人はかえられないというのは、本当にわかります。勤め先や主人には、そのように接しています。 しかし、「自分の母」というのだけは、本当に特別な存在で、とても期待していました。母子家庭でそだててもらってきているためか、本当に感謝・尊敬していたので、同居して、あまりにも、自分で言うことができないのに、愕然としたというか、カルチャーショックというか、びっくりしています。 おはずかしいですが、やっと親離れなのかもしれないです。 母といえども、他人なんですね。 すごい心の入れ替えになりそうです。 ありがとうございました。
- nemnatnat
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同じく同居・心配性のおばあちゃんがいます。 しかもうちは義母です・・・。 お子さんの年齢もほぼ同じです。 違う事は産まれた時から同居って事でしょうか。 一緒ですね。 心配性というか、口うるさいというか・・・。 「今日は寒いよ」 「(出掛けようとすると)今日は雨降るよ」 「今夜は冷えるよ」 「そんな事すると危ないよ」等々。 うちの場合はもう義母の独り言のようになってますね(笑) お風呂上りでも「早くパジャマ着ないと風邪ひくよ」と言われるが、 「寒くな~い」と無視する息子。 私も放ってます。 「寒くなれば自分で着ますよ。風邪ひいてしんどいのは○○(息子)。風邪ひいて幼稚園に行けなくなってもしらないよ~」 とだけ言います。 現に冬はさっさと着ますしね。 もう4歳。 寒い・暑いの感覚はあるので、私は放ってます。 「寒くない?もう1枚着たら?」とおばあちゃんに言われ、 「寒くない」と息子が答えれば、 「じゃあここに置いておくから寒くなったら着てね」と私が上着を置いておきます。 息子のいない時に「もう4歳だから寒ければ自分で着るから大丈夫ですよ」と義母に伝えてます。 心配なんですよね、きっと。 でも正直ウザい(ごめんなさい、言葉悪いですね)ですよね。 なので、基本聞いても右から左です。 義母の独り言だと思ってます(笑) 余談ですが、義母は主人(義母から見れば息子)にもうるさいですよ。 「毎日遅いけど体は大丈夫?」 「なんでこんなに遅いの?」 「(朝から)昨日は遅かったね~」 などなど、朝からうるさいだろうな~と聞いてます(笑) 主人は基本無視ですね。 義母の心配な言葉は「おはよう」の挨拶代わりのような感じです。 他にも息子・義母と一緒に公園に行き、息子が高い所(ジャングルジムの一番上など)に登って「お~~~~い」と手でも振ろうものなら、 「あ~~~、もう危ない」 「危ないからしっかり持って」 「もう降りておいで」 うるさい、うるさい。 息子は「大丈夫~~~!」と笑ってます。 義母の怖がる姿が面白いようです。 何が正しいのかわかりませんが、放っておいていいんじゃないですか? おばあちゃんとはそんなものだと思います。 ただ、息子さんの口の悪さは見逃せませんね。 そんな暴言を吐いたら私は注意すると思います。 「ばか」は余計ですよね。 「今、やってるよ」 「寒くないよ」でわかりますものね。 うまく回避できる方法があればいいんですけどね。 私もNO2さんの助言、素直に感謝を忘れない様にしなきゃな~と勉強させていただきました。 義母でも実母でも同居は大変ですよね。 (もちろん助けて頂く事もたくさんですが) お互い頑張りましょうね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 本当に、同じです!思わず、そうそうって思ってしまいました!! 全然、子供はきいていないのに、なんでそんなにこうるさくいうんだろう、という感じです。自分がいうだけいって、満足なようです。 「ばか」とかは、本当に余計で、そういう言い方はだめだよ、と私はしっかりみのがさず、しかっています。やはり、教えないとわからないと思いますので。。 しかし、おばあちゃんは、だまってしまいます。自分でしかれないようです。そんなことを小さい子供に言われたことがないので、どうしていいか、わからなくなってしまうみたいです。 お父さんは激怒してすごい剣幕で叩きます。 ちょっと、こうるささが、わかってくれた方がいて、少し嬉しかったです。 そういう方でも、感謝しかないとのことで、自覚を新たにしたところです。自分をしっかりしないとだめですね。ありがとうございました。
- hanachanpi
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元も子もない答えですが、言わせなくするのは無理でしょう。 長年培った性格で、無意識に口をついて出ているのですから、右利きを左利きにしろというぐらい難しいことだと思いますよ。 それに、こういうことを言ってくれる人がいるって、子どもにとっていいことだと思いますけどね。 そのときはうるさいなあと思うことでも、大人になってから、そのときの思いやりや優しい気持ちというのが、性格形成に良い影響を与えたりすると思います。 ああ、あんときばあちゃんが毎日言ってたなあ、体大事にしなきゃなあ、とふと思い出すとかね。 核家族にはない幸せなことだと思いますよ。 また、バーカなど、汚い言葉を使うのは、おばあちゃんの小言がうるさいからではないと思います。 それは別のしつけの問題だと思いますよ。
お礼
ご回答ありがとうございます。 無意識にでてきてしまうようです。 まずは、自覚してもらって、直してもらいたい、と、本来は、自分の母はしっかりした人だと思っていたので、期待していたのですが、年をとると、本当に自己改善努力ができない人になってしまっていて、「注意しているだけなのになにが悪いの。聞き流せればいいじゃない。うまくやってよ」といわれてしまいます。 「うまくやる」というのは、母のいうことを他人のようにひとつの意見として聞いて、自分で判断するということだと思います。 他人でしたら、そういうふうに思えるのですが、自分の親だからこそ、すごくひとつひとつの言葉をどうしたら、そうできるか、必死になって考えているのに、どうして、「聞き流していいようなこと」を言うんだろう、と思ってしまっていました。 でも、「心配してくれてありがとう」と思わないといけないですね。 そんな、いつも心配してくれる人というのが親以外にもいるというのも、なんだか、大事なことのような気がしてきました。 私は、「心配する」は「信用されていない」気がしていて、イライラしていました。 今まで私にまったくなかった、新しい視点での、暖かいご意見ありがとうございました。
- eiji5620
- ベストアンサー率14% (78/538)
そんなに嫌なら別居しかないでしょ、私でもいいますよ、甥っ子に「少しは勉強したらどうとか、九州は関西より寒いからもう一枚きなさい」といって反論してきたらたたきます、親のあなたがしつけないから、お婆ちゃんをバカにするんです ちなみに小学生でもあなたのいうような生活はできていません、ちゃんとしていないからお婆ちゃんが注意をして、正しい教育をしているのに嫌ならほんとに別居を考えた方がいいですよ
お礼
ご回答ありがとうございます。 ちょっと伝わらなかったみたいで、すみません。 おばあちゃんは、中途半端にぶつぶつ、あまり子供に聞こえていないのに独り言のように言っているのです。 私は、ぱしっと、「ば~か、はダメだよ!」としっかりいうのですが、おばあちゃんは、小言をいって子供に「うるさいなぁ」と言われて、言葉につまってしまって、逃げてしまうのです。そこで、おばあちゃんも育児に自信があるように言うので(常々私に言う)、しっかり子供に言って欲しいのですが、言えないのです。 正しい教育をおばあちゃんに求めるのは、酷なのかなぁ、悩んでいるところです。 もう少し、謙虚にしてくれていると、労わる気持ちも出てくるのですが。。
お礼
ご回答ありがとうございます。 本当に、私の態度がそのまま子供にさらに増幅されて、現れているんですね。 私が、うるさいと思っていて、子供がちゃんと思うわけがないですよね。 私自信が、おばあちゃんに自分の子供が小言をいわれるたびに、自分が小さいときの不満がおばあちゃんへの怒りみたいのがどんどん思い出されてしまって、どうしてもおさえられなくなってしまうのです。 「ごはんは食べたの?」→自分が子供のとき、どんなにまずいものでも一切残すことは禁止。(全然味見しないので、まずいものをよく作る。)母(おばあちゃん)は、私の上の子が死んでしまったので、食べさせることに必死だったとのこと。私は、母に、「いやだ」と、言えない子になったのは、このためだと思っていて、小学校4年生くらいまで、本当に言葉がうまくしゃべれず、すぐ泣く子でした。 「さむいからなにかきたら?」→小さいころ、いつも、男の子のおさがりのセーターをきせられ、ウエストに全部、服をいれられ、ごろごろしていやだった。いやだということがいえなかった。いつも男の子に間違えられていて、自分はすごく醜いとおもって育ってしまった。)高校くらいになって、よい友達の影響で、やっとそういう気持ちは克服できるようになりましたが。。) 「早くねないとね」→小さいときいつも、「早くねなさい!(怒)」と、すごい剣幕で、怒られていた。一緒にねるのではなく、いつも自分だけテレビをみていた。 そういう過去のできごとを一切忘れて、「素直に心から感謝」できるようにならないと、自分の子育てが失敗してしまいますね。 やはり、結論はそこなんだ、とあらためて自覚できました。 心にしみいるアドバイス本当にありがとうございます。