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今はなき映画会社の大映のワンマン社長・永田雅一のエピソードを集めたく知っている方教えてください!

今はなき映画会社の大映のワンマン社長・永田雅一のエピソードを集めたく知っている方教えてください!

質問者が選んだベストアンサー

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  • nekoirazu
  • ベストアンサー率65% (23/35)
回答No.3

1)昭和31年の大相撲夏場所初日、永田の寄贈した大映マークの化粧まわしを4横綱が全員つけて土俵入り。昭和天皇の耳に届いたという話を聞いた永田ラッパは「どうや、宣伝はこうやってするもんやぜ」と得意満面に吹きまくった。   2)業績と関係なしに大映のボーナスは映画業界トップでないといけないというのが永田ラッパの信念であった。昭和30年代はじめ、業績では松竹が稼ぎ頭。それで大映では松竹の労使交渉妥結を待って、松竹より上回った金額でボーナス支給を決めていた。松竹より先に妥結して、大映のボーナス金額が下回った場合は、後から追加支給された。これでは経営が傾いても仕方ない?   3)昭和30年、日経新聞対談記事で永田ラッパは「パリが大嫌い」「フランス人は真心がない、舌先三寸で世界を牛耳ってやろうと思っている」とフランスの悪口を延々と述べた事により、カンヌ映画祭組織委が激怒、大映から出品されていた「近松物語」「千姫」は落選。特に「千姫」は審査対象から外され上映すらされなかった。   4)昭和12年、所属していたプロダクション解散で行き先に困っていた森光子を新興キネマに迎えたのが永田ラッパ。後の文化勲章女優にとっては恩人の一人である。

imperialho
質問者

お礼

初めて聞く話ばかりです。特に2)の回答は面白かった。事実なら倒産しますね。

その他の回答 (4)

  • wasuregai
  • ベストアンサー率47% (149/315)
回答No.5

>今は無き新東宝の故・大蔵貢社長の言葉でなかったでしたっけ? 大蔵さんも艶福家でしたね、私の思い違いでした。

imperialho
質問者

お礼

ですよね。

  • wasuregai
  • ベストアンサー率47% (149/315)
回答No.4

「俺は女優を愛人にしたんでは無い、愛人を女優にしたんだ」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E7%94%B0%E5%BA%B7%E5%AD%90

imperialho
質問者

お礼

今は無き新東宝の故・大蔵貢社長の言葉でなかったでしたっけ?

  • lions-123
  • ベストアンサー率41% (4360/10497)
回答No.2

>今はなき映画会社の大映のワンマン社長・永田雅一のエピソードを集めたく知っている方教えてください!                ↓ 思い出すのは、プロ野球「大毎オリオンズ」のオーナー時代、金も出すが口も出す:永田ラッパとしての熱血エピソードです。 ◇投手力・打撃陣から見て→絶対に優勝・日本一と言われていた大洋ホエールズとの日本シリーズ、フタを開けて見ればまさかの4連敗! 激怒、スクイズやバントが自慢のミサイル打線に相応しくないと作戦の消極さ、用兵に苦言→西本監督とバトル、引退に追い込んだ事です。 私は、西鉄ライオンズのファンであり、三原マジックの心酔者だったので、素直に相手側の大洋ホエールズ三原監督の手腕と選手の掌握用兵→采配の妙だと感動し思っていたが・・・。 永田オーナーは、まさかの敗退を悪夢を見てる思いだったのでしょう・・・。 ご自慢の強力球団・何処にも負けない戦力を以ってしても→悲願の日本一に結び付けられなかった残念無念、悔しさで、感情が一気に暴発したのであろうと思います。 それだけに、球団・選手・野球への愛情も熱意も思い入れも強烈な、数々のエピソード、熱心な応援振りと名言(迷言・失言・過激発言)も多い、情の人、名物オーナーだった記憶が強くあります。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%9C%AC%E5%B9%B8%E9%9B%84#.E5.A4.A7.E6.AF.8E.E7.9B.A3.E7.9D.A3.E8.BE.9E.E4.BB.BB

imperialho
質問者

お礼

そうか、プロ野球球団のオーナーでもありましたね。

noname#101787
noname#101787
回答No.1

これは有名な話ですから御存じかも知れませんが、あの黒澤明監督が大映で撮った「羅生門」の試写を見た永田社長は「訳わからん」と憤慨し途中で席を立ったのですが、その後ベネチュ亜でグランプリを獲得するや、今まで知らんぷりだった社長の態度が一変し、さも自分がプロデュースしたかのように本来のプロデューサーの名前を削除しタイトルに自分の名前と差し替えてしまうというあくどい真似を平気でやってのけ「儂は最初から世界に自慢できる名作を作ったんやからグランプリを取れたんわ当然のこっちゃ」と得意のホラ話を周囲にブチまけて御満悦だったそうです。

imperialho
質問者

お礼

それは聞いたことがありますが、本当だったんですか? 「黒澤グランプリ、永田知らん振り」とか言う皮肉ですよね? こんな社長の元では大映もつぶれてしかるべきだったのかな---?どう感じますか?

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