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何がしたいのでしょうか。もうわかりません
20歳の男です。 一人でも多く幸せにしてあげるために、 相手の気持ちを分かってげる・ネガティブを減らす・冷静さを失わない等々 それを変えないと駄目な気がしています。 中途半端じゃ人は好きになってもらえないでしょ? だから、どうしても完璧を目指してしまうんですよね。 医療の面では、精密機械がなくても、ある程度は自分でもわかるようになり、応急処置位はできますし、今はIT化が進んでいるためPCも使えないといけない、福祉にしても、いつ、誰が、どうなるかわからないので、備えておいても損はないと思います。作曲にしても、音楽は、癒しで聞く人が多いため、作りたいと思うようになりました。まだまだ求めたいものはたくさんあるのですが…。 もぅ、自分の事が、バカだとしか思えないのです。 相手の気持ちもわかってあげられないため、誤解の気持ちを認識してず分で悲しんでしまうのに、カウンセリングだか、福祉なんてやろうとしても出来るわけないですし。 ネガティブが強すぎて、応急処置をしても、すぐに悪化してしまうのだと思っています。 やりたいことやりたくないこと、全てに理由をつけて、無理でもやろうと、続けてきた結果か、夢も希望もほとんど残っていません。 自分の性格も嫌なままです。自分に自信もないし、社会交流も不安ばかりで、他人の愚痴は聞いてあげても、絶対に自分のことは話しません。 何がしたいのか自分でもわからなくなってしまっています。 夢はエネルギーになるくらいです。 一度、全てを捨てられたら良いんですけど、 自分が、そういうことができないのはわかっています。 我儘で甘ったれた質問ですがどうにかできないでしょか?
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質問者が選んだベストアンサー
人には、人それぞれの幸せの形があります。 けれど、共通していることがあります。 「自分らしく生きたい」 あなたは、自分らしく生きたい気持ちがあるのに、 他人の望む自分を生きようとしていませんか? 優等生な人ほど、他人の望む自分を生きたり、完ぺき主義になりやすい傾向があるような気がします。普通の人は、 できないと分かっているし、楽したいので、そういう道へは行きません。 他人の評価より、自分が喜びを感じるように生きることで、 自分らしく生きられます。 赤ん坊や小さい子供は、まだ他人の顔色を伺って自分の行動を決めるなんてことをしていません。純粋に、自分の喜びのために生きています。 社会の役に立ちたい気持ちがあるのですね。 その中に、社会の役に立って、純粋に人の役に立ちたい という気持ちと、評価されることで自分の価値を確認したい という気持ちがあると思います。 自分の価値は、誰かに認めてもらって初めてあるものではありません。 自分に喜びを与えていけば、自分がどんなに大切な存在か、 自分が幸せであることで、周りの人にも初めて幸せのおすそ分けが出来ることが、わかってゆきます。 他人は、あなたから何かしてもらうことで、一見幸せになるように見えますが、あなたが何かしてあげることが辛ければ、長い目で見て、それは不幸です。 まず、あなた自身に喜びを与え、幸せであることで、満杯になってあふれ出した幸せが、他の人の心も満たしていきます。 こういうおすそ分けは、みんなが幸せになれます。 経験者ですので、お気持ちお察しします。 人の相談は聞くのに自分のことは一切言わないとか、 以前の私とそっくりなことを言っておられるので・・ 私は31歳ですが、あなたは20歳、早く気づかれた方だと思います。 私は28歳ぐらいが節目で、大きく変わりました。 それから約3年で人生大きく変わりました。 こういう経験は、無駄ではなく、自分の役に、人の役に立ちます。 あなたも、まだまだこれからです。大丈夫ですよ。
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- youchan37
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再レスありがとうございます。 失礼候、メサイア的、位のニュアンスです。本当にメサイアの人なら、とても今の貴方のような状態ではないでしょう。 >この世のすべてを取得したいって →これもニュアンス的心情ですよね、それに対応したものです。 まずは、質問文の印象に忠実に回答するのが本来です。すると私は境界性的と感じました。 しかして >僕も理想の自分はかなり強いですね。 という、後に頂いたお礼の一文で、そうかー、と。 >自己愛型防衛に失敗した自己愛性人格障害の患者が、境界性人格障害様の状態を呈した例も報告されている。 ↑Wikiの "自己愛性人格者" にある一文です。 患者とか障害というのは、勿論もっと深刻な場合の話ですが、要はこのような転換もあるということです。 メサイアのスタンダードらしきカタチは、「劣等感を優越感で補おうとする」です。これが先告の加藤さんの本にあった。 例えば、ある年齢に達して、軽くでも人生に挫折をし、劣等感が強まり、 それを自己愛性人格的な優越感で補おうとする。自身は気づかずに。「人を幸せにしたい」です。 勿論貴方がそうであると決めるものではありませんが、私個人の率直な感想としては、一つの流れを感じざるを得ないものです。 但しこれらは要は「基点」です。無理に貴方を分類学に当てはめただけでは、本質的な解決には至らないでしょう。 しかし「基点」である故、今自分が樹海の何処にいるか、これで知ることができる、というようなことはあると思うのです。 私の場合は、数年かかりました。 最初に自己愛性人格というものを知ったときには、まるでピーンときませんでした。 数年後に紆余曲折を経て、愕然とした。「ああ、私はこれだ」 …それから自分が変わり出した。 なるほど、と。自己愛性は最も自覚し辛いタイプと云われているのはもっともだな、と。 よって、私の経験においては、なかなか即時に判断するのは難しいであろう、と。 これは私の能力の低さ故かも知れませんが。 とにかく貴方はまだ若い。たっぷり時間がある。 結論を急がず、ある程度時間をかけてご自身を見つめてみることをお薦めします。 だからといって私の述べたことが必ず全て当てはまるであろう、という うぬぼれはありません。 まぁ何かのきっかけになるかも知れない、という程度のアドバイスです。 さて。ついついしつこくなってしまう性格なので、キリがありません。ケジメをつけます。 このしつこさは私の第二の特徴たる強迫性人格によるものです(苦笑)。 長くお付き合い頂いて本当にありがとうございました。私も本当に大変勉強させて頂いた。 それでは、お元気で。 参考 "パーソナリティ障害がわかる本" 岡田 尊司 著
お礼
なかなか難しい話になってきましたね。苦笑 劣等感はすごく持っていますが、優越感はに浸ったことはありません。自己愛性人格障害について調べてみましたが、どれも、優越感に近いものをもっているみたいな気がします。 >それを自己愛性人格的な優越感で補おうとする。自身は気づかずに。「人を幸せにしたい」です。 「人を幸せにするのは、まず自分から」です。 今は、自分を好きになりたいと必死に思っているんですが、中々難しですよね。後、優越感に浸りたいから「人を幸せにしたい」わけでなく、明るくしたいからですので、あしからず。 >最初に自己愛性人格というものを知ったときには、まるでピーンときませんでした。 数年後に紆余曲折を経て、愕然とした。「ああ、私はこれだ」 …それから自分が変わり出した。 なるほど、と。自己愛性は最も自覚し辛いタイプと云われているのはもっともだな、と。 なんだかそんなこと言われると、すごく不安になってきます。 ちょっと記憶をたどってみます(もちろんわかる範囲ですが)笑 何度もご回答ありがとうございます
- 1037502
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#8です。 お礼を見ていると、あなたは私が回答しなくても立派にやっていける方だと見受けられました。 お礼の中に少しだけ気になったことがあったので、その補足だけさせていただきます。 割に合わないことで死に掛けたと言うのは、割に合わないから死にたくなったと言うことではないです。 例えば、誰かのために不眠不休で働かなくてはならず、体を壊してしまったりとか、自分には何のメリットも無いのに危険なことをしなくてはならなかったりとか。 時には、相手が喜んでくれなくても、嫌な思いをさせて恨まれることになっても、相手のためにしなくてはならないことも出てきます。 他人のために、比喩ではなく本当に命を賭けなくてはならないこともありました。 そして、それを実際にやってしまいますから、私って馬鹿ですよね。 あなたは周りを心配させてまで無茶をするような方とは思えませんので、大丈夫かとは思いますが、その気持ちの強さのせいで、本当に大切なものを失ってしまうのではないかと心配です。 背負うものが多くなりすぎると、本当に大事なときに動けなくなることがあります。 大切なものを捨てられなくて、さらに大切なものを失う羽目になることもあります。 いざと言うときのために、いくらかは捨てることを、頭の片隅にほんの少しだけ入れておいたほうが良いかと思います。 とはいえ正直なところ、あなたには何でも出来そうですね。 少し不安定になってこのような質問をしていますが、あなたならきっと全て出来ますよ。 必要なのは休息と活力、あと相談相手だと感じました。 応援していますので、頑張ってください。
お礼
そんなことないですよ。 回答してくるれるのは本当にありがたいことだと思いますし、ためになっています。 >相手が喜んでくれなくても、嫌な思いをさせて恨まれることになっても、相手のためにしなくてはならないことも出てきます。他人のために、比喩ではなく本当に命を賭けなくてはならないこともありました。そして、それを実際にやってしまいますから、私って馬鹿ですよね。 バカなんかじゃありませんよ。そこまで出来る方なんてそんなにいるもんじゃないでしょうし、時には大切なことだと思います。 回答者様のそんな行動は僕のちょっとした憧れ的な行動の1つなんですよ。 >あなたは周りを心配させてまで無茶をするような方とは思えませんので、大丈夫かとは思いますが、その気持ちの強さのせいで、本当に大切なものを失ってしまうのではないかと心配です。 本当に大切なもの…人間関係ですか? そうだとすると、まだ、完全にはなくしてはいませんね。でもあまり深い付き合いは疲れるので、浅い付き合いばかりですけど…。 >正直なところ、あなたには何でも出来そうですね。 少し不安定になってこのような質問をしていますが、あなたならきっと全て出来ますよ。 必要なのは休息と活力、あと相談相手だと感じました。 まだ僕は何もできないです。 回答者様も書かれている通り、自分の気持ちをはっきり言えるような相談者がほしいとずっと思っています。 探すと見つからないんですけどねぇ…。 再度ご回答ありがとうございます。
- youchan37
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レスありがとうございます。稚拙な長文に目を通していただいて、これもありがとうございました。 結局ザックリと捉えれば、私の言ったことはblazin様の仰っていることに極めて近いのです。 …もっともこれは私の側が勝手にそう思っていることであり、blazin様には失礼にあたるかも知れません。 その節はお詫び申し上げます。ご容赦下さい。 やっぱりかー、とこれは言い訳になりますが、もしかしたら貴方も私に近いタイプかも知れないとは、 ボンヤリ思ってはいたのです(苦笑)。ただ質問文だけ拝見した範疇においては、なのでした。 自己愛性も境界性も、要は双方自己愛に傷がついたものであり、まぁ同じと言えば同じなのであり。 両者はよく混同されるのです。又、絶対にこれというものでもなく、交互に現れたりとかすることもあるらしく。 それで、これも又あてずっぽうではありますが「メサイア・コンプレックス」も実はアタマに思い浮かんでおりました。 >早い話が完璧主義者だから、この世のすべてを取得したいって思ってしまう自分がよくわからないってことです。 ↑この一文なども、何かそういう傾向があるのでは、と思ったのです。 加藤 諦三さんの "運命のうけいれ方" に少しこのことが書いてあります。 もしご興味がおありでしたら、立ち読みなどしてみることをお薦めします。(第三章の2) それから私は決して、人様を「パターン」に当てはめてガチガチにしようとするつもりはありません。 この点もし誤解があればと、老婆心ながら念を押させていただきます。 元より世界中に(過去に亡くなった人をも含めて)全く同じ性格の人などいるわけがありません。 それは私も重々承知しております。全く同じ顔の人が存在しないのも又然りです。 ただ、傾向というのはある、と。ソース顔系とか日本人とか何とかです。 PCのディスプレイ等でご承知とは思いますが、三色でありとあらゆる色が作れる。 パーソナリティ障害の基本は七因子論です。七つの色です。 個の個性は絶対です。貴方は貴方で天下唯一です。 それを踏まえた上で、「自分の座標」を知る「基点」のように捉えると、 これはこれで役に立つものだ、というのが私の経験です。 まだお若い貴方です。決してあせらずに様々に試行錯誤して下さい。 今は苦しいかも知れませんが、真剣に悩めば必ずそれが活きる時がきます。 これだけは経験上言い切れます。月並みですが、がんばって下さい。
お礼
メサイアコンプレックスの傾向はないくないような気がします。 小さな幸せならいくつも感じますし、現実と夢の先がわかっているうえで自分の理想卿を出しています。世界を変えたいとかそんなことも言いませんよ。世界の皆を幸せにしようとしたら、体の破滅は目に見えています。伝言ゲームみたいなことができれば別ですけどね。笑 完全に否定できなかったのは、ちょっと自分中心的な部分があるためです。「この人は自分が好きじゃないんだ、じゃぁ、僕が頑張って自分を好きになってもらおう。」と勝手に解釈してしまう点があるからです。 再度、ご回答ありがとうございます。
- aeromakki
- ベストアンサー率36% (870/2378)
座禅組みに行っては? いっそ、二、三年、禅寺で修行したほうがいいかもしれない。 迷いがとれるかもです。 完璧癖あるようですし、雲水修行がいいんじゃないかな?
お礼
2 3年ですか…それなら とりあえず学校は卒業くらいしておいた方が 良いかもですね
- vansancan
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再度です。 #6です。 すいません。補足させてください。 無知を知りなさいじゃなくて、質問者様は無知をすでに知っているんですよ。と、思ってください。だから悩みすぎないで。という意味なんです。
お礼
無知を知っているですか? だとすると自分で気が付いていないだけと言うことですか。 う~ん、ちょっと難しそうですけど 探してみますね。
- 1037502
- ベストアンサー率42% (21/49)
中途半端でもいいと思いますよ。 完璧を目指すのもいいですが、広く浅くの人のほうが多くの人は好きだと思います。 全てが中途半端だと問題ですが、極める分野はそんなに多くなくていいと思います。 人は一人で生きているわけではありません。 たとえば作曲にしても、現在は良い曲を作る人はたくさんいます。 そして多くの人がその曲を聴くことの出来る環境になっています。 あえてあなたがしなければならないことではないですよね。 一人でも多くの人を幸せにしたいという気持ちは素晴らしいですが、あなたの幸せにしたい人というのは、自分では何も出来ない人なのでしょうか。 困っている人も自分で判断できます。 困っている内容によって、それぞれの専門家の所へ行きます。 病気なら病院に、お腹がすいたら飲食店にといったように。 あなたにそんな気はないと思いますが、幸せにしたい相手の人間性を少々軽んじているように見受けられます。 自分で手に負えないときは、その道の専門家に頼ればいいんです。 もう少し周りの人を信用してあげてはいかがでしょうか。 自分の軸になるものを決めて、その周りのことはそんなに気負わずに頑張って行けばいいと思います。 色々やりたいことがあって気が重いときは、優先度の低いものから捨てていくと楽になりますよ。 気持ちではなく、物理的に本や資料、道具などを捨ててしまうと、案外あっさり気持ちの整理もつきます。 決断は一瞬ですので、勢いで捨ててしまうのもひとつの手かと思います。 それと既に身をもって知っているかと思いますが、人の幸福のために行動すると割りに合わないことが多くて辛いですよ。 まぁ、私もその割に合わない生き方しか出来ず、何度か死に掛けてますが。
お礼
人間関係は広く浅く付き合っています、もちろん全部というわけではありませんが、趣味的なものも浅いものと深いものに分けているつもりです。 >人は一人で生きているわけではありません。 たとえば作曲にしても、現在は良い曲を作る人はたくさんいます。 そして多くの人がその曲を聴くことの出来る環境になっています。 困っている人も自分で判断できます。 困っている内容によって、それぞれの専門家の所へ行きます。 病気なら病院に、お腹がすいたら飲食店にといったように。自分で手に負えないときは、その道の専門家に頼ればいいんです。もう少し周りの人を信用してあげてはいかがでしょうか。 確かに貴方の言う通り、信用していないのかもしれません。 信用したら甘えてしまいそうで怖いのです。 「甘えてもいい」という人はいっぱいいますが、甘えたら自分が自分で無くなってしまって、人に嫌われそうで怖いんです。 >一人でも多くの人を幸せにしたいという気持ちは素晴らしいですが、あなたの幸せにしたい人というのは、自分では何も出来ない人なのでしょうか。あなたにそんな気はないと思いますが、幸せにしたい相手の人間性を少々軽んじているように見受けられます。 軽んじて見ているつもりはないんですけどね。 皆、僕には出来ないことを出来るし、僕とは違う考え・価値観を持っています。でも、やっぱり人間は欲が深いですからね、病院で、誤診ならまだいいんですが、医療ミスなんかにならないように、自分の身は自分で守るっていうんですか?それくらいの知識くらいは持っておきたいんですよね。 経験に勝るものはないですし、独学じゃ、専門の授業を受けた人にはかないませんから。 >色々やりたいことがあって気が重いときは、優先度の低いものから捨てていくと楽になりますよ。気持ちではなく、物理的に本や資料、道具などを捨ててしまうと、案外あっさり気持ちの整理もつきます。決断は一瞬ですので、勢いで捨ててしまうのもひとつの手かと思います。 優先度の低いものだからいつかやるんだろうと思って捨てられないんですよね。だから溜まっていっちゃうんですね。整理整頓の時、ドバッって捨てるんですけど、その時、一緒に大切な何かも一緒に捨てるにゃじゃないでしょうか?だからスッキリするのかもしれませんね。
補足
お礼に入りきらなかったのでこちらに続きを… >自分の軸になるものを決めて、その周りのことはそんなに気負わずに頑張って行けばいいと思います。それと既に身をもって知っているかと思いますが、人の幸福のために行動すると割りに合わないことが多くて辛いですよ。 まぁ、私もその割に合わない生き方しか出来ず、何度か死に掛けてますが。 がんばるのは自分のためじゃない、周りのために頑張るんだって思うから、がんばれないんでしょうか。 割に合うことはなんだか、見返りを求めているみたいで、なんだか複雑じゃないですか? 僕の場合は、割に合わないから死にたいと思うことはないですね。 どちらかというと、ちゃんと喜んでくれたのだろうか、嫌な思いをさせていないだろうかっていう不安が過剰すぎて死にたいと思いますね。 でも、自分が死んだら、悲しんでくれる人がいる。って思えるだけで、生きていけるんです。その小さな幸せだけで生きているんですから、人は強い生き物なんです。 ご回答ありがとうございました
- youchan37
- ベストアンサー率37% (248/669)
ご質問文を拝見した限りでは、丁度私と正反対の、境界性的性格の方だな、という印象を持ちました。私は自己愛性です。ハッキリと貴方がそうだという確信までには至らないのです。よって仮定ではありますが、そういう前提でお話を差し上げたいと思います。 貴方は標準よりも自己愛が小さめなのです。私は反対に大きめなのです。だからそれをいつも念頭に置いて、それを前提として捉えていく。ライフルの弾が当たる場所が本当の場所です。貴方はスコープが下にズレているのです。だから軌道修正的に、スコープで中心に見える場所より上を狙うと丁度良い。私は反対に上にズレているので、下を狙うと丁度良い、というようなイメージでしょうか。 どうしてスコープがズレたのか、即ち自己愛の大きさが本来より大小してしまったのか、それは幼児期に親(若しくは周辺の人)に自己愛を傷つけられたからです。殆どの場合これが原因です。幼児はある時期カラ元気を出すのです。カラ元気を出さないと重苦しくて生きていけないからです。これは躁的防衛心、全能感、誇大自己と呼ばれる心です。そしてこれが自己愛の原型です。私の場合は自己愛を傷つけられて、このカラ元気にしがみついたのです。例えば親に褒められなかった。だから「褒めて貰えなくても、本当はオレは凄いんだぞー」と思い込んで、この幼稚な自己愛がますます肥大化してしまった。反対に貴方は、例えば親が言うことを聞かないと見捨てるぞ、という脅しをかけ続けた。だから自己愛の広がりを押さえ込んでしまった。オレは凄いんだと思って親に立てつくと見捨てられる。それが怖くて、それで良い子を演じるようになってしまった…。今のは例であり、他にも様々なカタチがあるのですが、とにかく何かのカタチで私は自己愛が肥大化し、貴方は萎縮した。 私も自己嫌悪がある。貴方もです。そしてお互い完全主義的なのです。私は理想の自分が強くある。これは肥大化した自己愛です。だから理想の自分と現実の自分・ありのままの自分とのギャップに苦しむ。理想の自分に比べたら現実の自分は余りにも貧素だ。だから貧素な自分に自己嫌悪を感じる。反対に貴方は自己評価が低過ぎるのです。本当の貴方は、貴方が感じている以上に素晴らしいのです。偉いのです。凄いのです。なのにスコープが下にズレているので、正当な評価ができないのです。それで自己嫌悪に陥ってしまう。 私は空想的な理想の自分に追い立てられ、ありのままの自分を粗末にし、完全主義であろうとする。貴方は良い子を演じなければ見捨てられるという恐怖に追い立てられ、完全主義であろうとする。 だから貴方は本当は、もっと自分を素晴らしいと思っていいのです。もっと偉いと思っていいのです。もっと凄いと思っていいのです。もっと自分を許してあげていいのです。もっと自分を好きになって慈しんであげるべきなのです。本当の貴方は、もっと愛すべき貴方なのです。 たとえ少しずつでも、ありのままの自分を慈しむことができれば、劣等感から抜け出して、もっと自分を愛せるようになります。すると幸せを感じることができるようになります。そしてその「誤差」を知ることが、人の本当の心を知ることに繋がるのです。自分の評価が低すぎていたことにより、苦しんでいた自分。あーそうだったんだー、と、本当の自分の姿を見出すことができる。すると同じように苦しんでいる人の心を分かってあげることができるようになる。そうやってどんどん拡がっていくのです。 自分を愛することができるようになるためには、自分で自分を分かってあげないといけない。自分で自分を理解してあげないといけない。それができれば自分を愛せる。自分が愛せれば、同じような他人も愛せる。そして更には稚拙ながらも私が「対極の人」として貴方のことを少しは理解できるがごとく、私のような図々しい人間のことも(苦笑)、貴方は理解できるようになる。すると貴方は、沢山の人から愛されるようになる…。 偉そうに言っている私に照らし合わせないで下さい。私とてまだまだ修行の身なので(滝汗)…。 ”自分で自分を愛せない人が、どうして人から愛されようか ” 良く云われる言葉です。元々はエーリヒ・フロムの言葉のようです。その真意を垣間見ていただけましたでしょうか? どうか幼児の頃の自分に戻ってみて下さい。どんな幼児時代でしたか? 見捨てられ不安がありませんでしたか? 隠された正当な怒りがそこにありませんか? 幼児の貴方は、まだそこに取り残されたまま、誰かが助けに来てくれる、誰かが自分を分かってくれる、誰かが自分を慰めてくれることを祈って、今でもその場所に留まって待っているのです。たった一人ぼっちで。たった一人ぼっちで。 私自身、ある時それに気づきました。その時、泣きました。泣けました。 幼児の自分を思い出して、その小さな体を膝に乗せて抱っこしてあげて下さい。そして「辛かったよねー、悲しかったよねー、苦しかったよねー」と声をかけてあげて下さい。その辛さを、その悲しみを、その苦しみを分かってあげて下さい。「キミが悪いんじゃないんだ。キミは本当は全然悪くないんだ。キミは実はぜーんぜん悪くなんてなかったんだよ…」。そう声をかけてあげて下さい。気づいて下さい! そしてどうかまず、ご自分が幸せを感じて下さい。貴方は実は何ら、自分を責める必要なんてなかったのですよ。
お礼
貴女の言う通りかもしれません。僕は自己蔑視しているのかもしれません。今の自分は嫌いです。この世のすべての人の中で嫌いです。 人の気持ちもわかってあげられず、人に誇れるものが何もない人なんですから。 >貴方は、例えば親が言うことを聞かないと見捨てるぞ、という脅しをかけ続けた。だから自己愛の広がりを押さえ込んでしまった。オレは凄いんだと思って親に立てつくと見捨てられる。それが怖くて、それで良い子を演じるようになってしまった…。今のは例であり、他にも様々なカタチがあるのですが、とにかく何かのカタチで私は自己愛が肥大化し、貴方は萎縮した。 僕は、幼稚園のころ?それより前か覚えていませんが、「やる気になればなんだって出来る」と言われて、がんばってきました。(部活を退部したこともありますが)それでもほめてくれるのは、テストなどでいい点を取ってくれた時だけ、普段は特別なことをしない限りやって当たり前っていうもでした。もちろん今も学校や バイトには将来性のエネルギーよりただのやる気の気持ちだけでやっている状態です。対人関係は普通だと思います。 >私も自己嫌悪がある。貴方もです。そしてお互い完全主義的なのです。私は理想の自分が強くある。これは肥大化した自己愛です。だから理想の自分と現実の自分・ありのままの自分とのギャップに苦しむ。理想の自分に比べたら現実の自分は余りにも貧素だ。だから貧素な自分に自己嫌悪を感じる。反対に貴方は自己評価が低過ぎるのです。本当の貴方は、貴方が感じている以上に素晴らしいのです。 僕も理想の自分はかなり強いですね。病気に負けない(病気にならない体は誰にも出来ないので、逆に病気になっても負けない精神力)で誰にも迷惑をかけない自分がほしいと思ってもいます。さすがに怒られたのが、インフルにかかっている状態でバイトに行ったり、体が疲れきっている状態で無理をし続けていたのか、自転車の上で意識が飛んだりしたこともありますが、自分に言わせれば、インフルは感染するので仕方ないにしても、意識が飛ぶのは、まだ自分が未熟だからだと思っているくらいです。
補足
お礼の欄に入らなかったので続きをこちらに書きます。 >貴方は良い子を演じなければ見捨てられるという恐怖に追い立てられ、完全主義であろうとする。 そうですね。こんな程度では、嫌われてしまうだろうなっていう不安がいつも駆り立てられます。もっと完璧にならないと、誰しも認める人にならないと…ってよく思ってしまいます。 >貴方は本当は、もっと自分を素晴らしいと思っていいのです。もっと偉いと思っていいのです。もっと凄いと思っていいのです。もっと自分を許してあげていいのです。もっと自分を好きになって慈しんであげるべきなのです。本当の貴方は、もっと愛すべき貴方なのです。 僕自身素晴らしいとどうしても思えないんですよね。 自分のことは偉いと思えません、傲慢な感情を僕は捨てたいです。 ずっと下っ端でいいんです、僕は、バイトでも部活でも、後輩・同じ年・年下関係なく皆から僕自身を下僕として見てほしいくらいです。 >どうか幼児の頃の自分に戻ってみて下さい。どんな幼児時代でしたか? 見捨てられ不安がありませんでしたか? 隠された正当な怒りがそこにありませんか?幼児の貴方は、まだそこに取り残されたまま、誰かが助けに来てくれる、誰かが自分を分かってくれる、誰かが自分を慰めてくれることを祈って、今でもその場所に留まって待っているのです。たった一人ぼっちで。たった一人ぼっちで。 いじめられていました。幼稚園のころは体が弱く、よく親に病院経由で幼稚園に送ってもらっていましたから。親に送ってもらっているということで、いじめられました。園児が始めたわけでなく、先生の言葉からいじめが始まりました。そして、親友は交通事故が無くなって、また別の友達は、いじめの定番というのでしょうか。上靴に画びょうを入れられて足に刺さって泣いていました。今思い出しても涙が出てきます。 正直一番思い出したくない時期です。 すいません。すごく長くなってしまいました。 すごく自分のこととして読めなかったので、僕自身が読んでいてすごく辛かったです。貴女が、幸せな生活を送れることを心か願ってお礼にさせていただきます。
- vansancan
- ベストアンサー率23% (341/1422)
心の中で反芻してください。 『無知の知』 そっからはじめましょ。
お礼
無知の知を心の中で復唱するんですね。 やってみます。 ご回答ありがとうございます
- dog-fly
- ベストアンサー率0% (0/61)
他人に影響しすぎたのかも。 ほんの少しだけ、自分の幸せを考える時だと思います。
お礼
僕の幸せですか? 僕の幸せは一人でも多く他人を幸せに出来ることです。 …って言うのが出来ていないんですけどね。
- blazin
- ベストアンサー率50% (20252/40150)
あのね、幸せにしてあげたい気持ちの原点。 それは貴方自身が自らの幸せを周りに届けていく事なんだよ。 貴方は自分で自分を好きになってない。 自分をきちんと認めてあげてない。 自分なりに良いなと思える自分を大切に、それに対して今から出来る事、改善すべき事、経験していく事。 そういう色々なプロセスを経て貴方は自分という人間を高めていく。成長させていく。貴方はそのまさに渦中なんだよ。 渦中の貴方が、全てを成し遂げた、完璧の自分として他者までを含んだ大きな気持ちの渦になんとなく何かしてあげたいという気持ちで臨んで行ってもただ巻き込まれて混乱していくだけなんだよ。 大事なのは貴方がまず自分という人間をもっと受け入れる事。 好きになること。もしそれが上手く出来ないなら。どうやったらもっと自分なりに良いなと思える自分に近づいていけるか? その為に今すべき事は何か?それをもっと自分の為に考える。 それが出来てこそ、他者のことまで意識が出来るんだよ。 貴方はまだ他者に分け与えられる程、自分自身が納得できる、毎日を悔いなく過ごしていく中での真の充実感、幸せ感を得てない。 まずは貴方自身が自分を色々な意味で成長させていく。 原点はそこからなんだよ。焦らなくていい。 貴方が自分としっかり折り合いが付いてこそ、他者に対するブレない本当の優しい眼差しを送ることが出来る。 貴方は今そのプロセスなんだよ。まずは足元から。それが明日の貴方に、そして貴方から他者へ繋がっていくんだからね☆
お礼
いろいろ考えているんですけどね。 やっぱり、好きになれていません。 どうしても自分が好きになれる最終点が、周りの人に幸せを振りまける人になるのです。 どうしても現実の自分じゃなくて、自分の理想をかなえられた自分に気持ちが行ってしまいます。顔を合わせて相談できる人は、ほとんどわかってくれません。それが自分に自信が持てない理由にひとつですね。 >渦中の貴方が、全てを成し遂げた、完璧の自分として他者までを含んだ大きな気持ちの渦になんとなく何かしてあげたいという気持ちで臨んで行ってもただ巻き込まれて混乱していくだけなんだよ。 そうですね、巻き込まれたら一緒に抜け出そうと一緒に考えたいですよ。ぼくがなりたいのはそういう類ですから。無理だとわかっていて「はい。諦めます。」じゃ、それこそ、後悔しそうですから。 受け入れるのは簡単なのでしょうか? 僕にとってものすごい覚悟の上なんですけど… 自分のために物事を考えるのはあんまり得意じゃないです。 自分勝手な行動を結果的に取っていたとしても、自分なりに相手のことを考えて行動しているわけですから。その失敗をどうやったら、次に相手の気持ちがいいように行動してあげられるかですね。 >貴方はまだ他者に分け与えられる程、自分自身が納得できる、毎日を悔いなく過ごしていく中での真の充実感、幸せ感を得てない。 まずは貴方自身が自分を色々な意味で成長させていく。 原点はそこからなんだよ。焦らなくていい。 貴方が自分としっかり折り合いが付いてこそ、他者に対するブレない本当の優しい眼差しを送ることが出来る。 貴方は今そのプロセスなんだよ。まずは足元から。それが明日の貴方に、そして貴方から他者へ繋がっていくんだからね☆ 分け与えられるほど、幸せを感じていないのが否定できないのはまあだまだ僕も駄目ってことですね。 いつか出るますかね?あんまり自信がないです…。 ご回答ありがとうございます
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お礼
自分らしく生きたいっていう気持ちはあります。 でも、結果的には相手の望む生き方になってしまっている気がします。 頭では分かっているんです。 人はそれぞれ違う幸せがある、自分の生き方の違いがある、同じものはないと、解ってはいるんです。でも、解っていないのかもしれません。 昨日の夜ふと、考えたのですが、本当は、僕は幸せって感じてもいい環境にいるんじゃないかと思ったんです。小さな幸せをよく考えるようにしていたところ、本当に大切なものが見えてきた気がしたんです。 それがまだ何か断言はできないのですが、何となくそう思うようになりました。 僕が大切にしたいのは、その人たちの評価じゃないんです、その人たち自身を大切にしたい。そう思うようになりました。人と接することの大切さ、接することのできること、それが幸せなのだと気がついたのです。 こんなことに気がついてもまだまだ、回答者様の足元に及んでいないのかもしれません。 >あなたから何かしてもらうことで、一見幸せになるように見えますが、あなたが何かしてあげることが辛ければ、長い目で見て、それは不幸です。 そう言われればそうですね。言われなければわからなかったかもしれません。でも、幸せなことだけを出来るかと言われるとやっぱり不安です。不幸なこと間違ったりすることが、生き物だと思いますから。 >こういう経験は、無駄ではなく、自分の役に、人の役に立ちます。 正直、自分の役にだけたてればいいです。そうしないといつまでたっても人の役に立てませんから。 ご回答ありがとうございます。