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インターネットもパソコンも昔と変わちゃったよね

5年以上パソコンかインターネットお使いのかた、 「インターネットもパソコンも昔と変わちゃったよね」 と感じること教えていただけませんか? 私は、2000年ころニフティに入っていました。 フォーラム(掲示板)では、会員ID(メールアドレス)が強制表示され、さらに本名を表示されている人も居ました。 それでもみんな普通に雑談したり、PCユーザーフォーラムなどで議論したりしていました。 今ではそんな掲示板信じられないです。

質問者が選んだベストアンサー

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  • okweb-goo
  • ベストアンサー率29% (283/952)
回答No.10

特に大きく変化を感じるのは、通信速度でしょうか。 もともとパソコンはスタンドアロン前提だったが、草の根ネットができ、どうしても参加したくて確かFM-16βのRSを「音響カプラ」を受話器にくっつけて300BPSくらいで通信していましたが、1行ずつでも相手の文字が自分のPCに表示されてくるだけでどきどきしたものです。 そのうちこれがムーブメントになりニフティなどの大手が一気に参入してきましたね。あのころは、ハンドルネームと本名をうまく使い分けていました。 そうそう、情報交換はもちろん文字中心でしたが、「NAPLPS」が出てきたときはずいぶんびっくりしました。

Ensenada
質問者

補足

草の根BBSというと、パソコンにモデムを1台とか多いときは10台くらい接続して運営する掲示板みたいなものですね。 現在、光回線の主流が100Mbps=1億bpsですもんね。

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その他の回答 (12)

noname#111860
noname#111860
回答No.13

> 5年以上パソコンかインターネットお使いのかた まぁ、利用暦が、5年、10年で語られても困るけれどさ、 Dosやパソコン通信のときと比べて、 利用している人の質は落ちたね。昔は、もっとストイックだった気がする。 教えてクンが増えすぎて、 同じ感覚で技術的な討論や議論が出来る人間が圧倒的に少なくなってきた。 Windows世代にはわからないことかもしれないけどね。

Ensenada
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 確かに昔のパソコン通信のフォーラムの様な高度な議論が交わされる場所は容易に見つからなくなったかもしれませんね。 う~ん、教えてクンが増えるのは、教える人がいるからだと思いますが。長い経験を持っている人には質が落ちたように感じることもあるんですね。

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  • kita33dr
  • ベストアンサー率32% (86/268)
回答No.12

WIN98が登場した頃、インターネットなるものに初めて接続しましたが、 当時はダイヤルアップの56k。 従量制でしたから、1日2時間やっていただけで、 一ヶ月の電話代とプロバイダー代合わせて何万と掛かって、請求書を見て青ざめました。 反省して、電話代はテレホーダイに申し込みましたが、 テレホタイムは回線込みまくりで、なかなかサイトのページが開けず、 睡眠時間をずらして2時頃からネットしてましたね。 プロバイダーも50時間5000円のコースに申し込みましたが、 月の最後のほうになると残り時間とにらめっこでした。 いかにテキパキとサイトを見て回るかが大切でした。 常時接続環境が整った今、もはやあの頃のようにギラギラとしながら ネットをすることはなくなりました。 ネットが当たり前に存在し、自由にゆっくりと見ることができるのはありがたいことです。 ただ、あの頃の苦労して未知なる領域に突き進んでいくワクワク感は、今はもうありません。

Ensenada
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 56Kモデム。K56Flex, x2, V90どれを選ぶかが大変でしたね。 確か3種全部サポートしていたモデムはなかたっと思うので。 いかに接続時間を節約するかのワクワク感わかります!

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noname#163889
noname#163889
回答No.11

25歳男です N88ベーシックを使い始めたのが、最初でした。フラッピー、楽しかったですね~^^ やはり、ネットですかね~。異国の人と、ネットの翻訳機を使いながらチャットが無料で出来るなんて、考えたこともなかったです。

Ensenada
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 チャットと同時に翻訳なんて考えて見ればすごいです。 10年前はCD-ROM一枚分の辞典+百科事典に数千円か1万円以上払っていた時代でした。 ↓こういう製品 http://web.archive.org/web/19990508072710/www.microsoft.com/japan/reference/bookshelf/spec.htm

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回答No.9

ダイヤルアップのピーガラヒャーが聞けなくなって寂しいです。

Ensenada
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 いかにも通信の準備してますよって感じの音ですね。 最近、電話回線でのデータ通信音が聞けるのは、FAXをオンフックにしたときくらいでしょうか?

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noname#140045
noname#140045
回答No.8

いつ頃だったか忘れてしまいましたが、私は8ビットマイコンのMSXの頃からやっていました。 でも、その頃から掲示板(BBS)のようなものはありましたし、ハード的には高速化や大容量などで変わったのでしょうが、ソフト的に(利用の仕方として)変わったと思うのは、データベースでしょうか。 データベースと言っても一般の人が使っていて「これがデータベースだ」とは実感できませんが、たとえばこの質問も質問者さんのIDなどで検索すればたぶん出てくるのではないでしょうか。 やはり、この辺の大量に情報を保存し、また高速に検索して蓄積された情報を取り出せることは凄いと思ってしまいます。 (高速化や大容量は予想がつくことなので、さほどの驚きは感じません)

Ensenada
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 データベースといえばニフティで新聞の記事データベースをキーワードで検索するのに、接続料金が1分10円、利用料金3分で数十円、さらに市内電話料金3分10円だったような気がします。

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noname#128382
noname#128382
回答No.7

真ん中の子が生まれる前からだから~、 1997年くらいから使っています。 そういえばあの頃は、いろんなメーリングリストに参加していました。 今はSNSのコミュには参加するけれど、メーリングリストは参加していませんね。 あくまで個人的な事でした。

Ensenada
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 メーリングリスト。 検索してみたら今でもそういうサービスあるんですね。知りませんでした。

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  • kendosanko
  • ベストアンサー率35% (815/2303)
回答No.6

YMO(イエローマジックオーケストラ)がデビューしたころに刺激を受けてから、PC(当時はマイコンといいました)にのめり込み、それ以来パソコンを使っているおっさんです。PC歴はもう30年近くになります。#2さんの紙テープリーダーも知ってますよ。8インチの片面フロッピーディスクとか、カセットテープにゲームプログラムを記録していたこともあります。 でも、こう一度便利になると、もう古い環境に戻るのはまっぴらですね。 たま~に、WindowsのDOS窓を開くと、使いにくくて使いにくくて話になりません。そんなDOS環境でパソコン通信をやっていたのがいまではシンジラレナイね。 特に女性ユーザーが増えたのは、当時と環境が大きく変わったって思う点。昔は男性、特にエンジニアの人や男子学生しか、パソコン通信やってなかったんですよ。パソコンやっていると女子にいうと、オタクぽっく見られ、いい反応返ってこないので、あまり趣味としては口にできませんでしたね。 パソコン通信のフォーラムには本名もでてましたね。でも、今と同じで、延々と言葉のケンカしている人もいましたよ。そのパソコン通信のフォーラムも、2000年ごろまでにはほとんど閲覧することもなくなりました。ひっそりと閉鎖されたっていう話をあとで聞いたぐらい。感慨?うーーん、なくなるべきものがなくなったという感じ。 パソコン通信は1200ボー(1.2kbps?)の時代から使ってます。1文字1文字がカタカタカタっと、順番に表示されるのがわかるぐらいのスピードですよ。今、こんな調子なら、静止画像さえ、数分表示にかかるので、大ブーイングものでしょう。

Ensenada
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 接続速度、1200bps!今一番遅いADSLが1Mbps = 1024kbpsなので焼く900分の1くらいの速度でしょうか? 800文字くらいの文章を読むというかダウンロードするのに2~3分かかるのかな?という感じです

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回答No.5

最初はパソコンじゃなくてマイコンでした。 秋葉原でそれ風のキットが売ってて、当然表示もLEDとか液晶じゃなくて数字の出る真空管や点滅するランプでした。今考えると電卓のお化けみたいなもので、プログラム書いて表示が正しいだけで、喜んだものです。 次いでMS-DOSが出たのが先か、日本語変換が実現したのが先か忘れましたが、「とうとうコンピューターも日本語が分かるようになったか」と吃驚。 沖・富士通・シャープと総なめにして、お決まりのパソ通にどっぷり。モデムも受話器を突っ込むタイプだったので、今思うと繋ぐだけで何か儀式のようでありました。 メモリーだってMD-DOS独特の四畳半生活が長かったので、2MBの増設をしたPC98はスーパーハイテクPCで、何でもこれでやりました。 何だかんだで、昔はパソコンを支配していた気がするのですが、最近はブラックボックス化していて、逆に支配されている感がありますが、PCしかり、ネットしかり、こんなに短期間で目まぐるしい変化となった事に驚いています。

Ensenada
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 コンピュータが日本語を理解するようになったのもつい最近のことなんですね。 一番印象に残っているコンピュータの日本語は 「コマンドまたはファイル名が、正しくありません」です。

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  • cooci
  • ベストアンサー率29% (1394/4779)
回答No.4

変わったなと思ったときはWindows 95が発売されたときですね。 パソコンがマニアやビジネスマンだけでなくだれでも使えるレベルになったなと思いました。 それと、今と比べてですけどパソコンのパーツの相場がかなり変わっていますね。 Intelが初のローエンド向けCPUブランドのCeleronをだしたとき3万円を超えていましたが当時は安く感じました。 今のCore i7 920の価格より高かったのですけどね。 グラフィックボードもGeForce2 MXの登場で相場が下がるまでは高価でした。 今思えばパーツいじりはSocket7の時代が一番楽しかったです。

Ensenada
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 Windows 95の発売。 確かそのころから 履歴書の趣味・特技欄に「パソコン」とかけなくなったような気がします。

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  • trgovec
  • ベストアンサー率52% (2538/4879)
回答No.3

あらゆるものが大容量、単位当たりの低価格化されたこと。 メモリーが「256MBは車が買えるほどの値段」と言われたり「2GBで100万円超」だったり今では考えられません。HDDもGBオーダーのものが出た頃は触るときに何となく緊張したものです。 パソコン本体にしても昔のある入門書の冒頭に「まずはPC-98シリーズのご購入“おめでとうございます”」、祝辞を言われるようなものだったのです。 ハードウェアもソフトウェアも分厚いマニュアルやリファレンスが何冊もつくのが常識で、ソフトウェアの箱の重さのほとんどはマニュアルでした。しかも専門家でなければ理解できないようなことが書いてあり本棚を無駄に占拠していました。まだ使い手が普通の人という前提がなかったのですね。 ネットに接続するにしても、まず接続自体の敷居が高く、いざつないでも接続料金をケチりにケチっていました。上手くケチるためのソフトもたくさんありました。またそれに関連して、以前は「ディスクブック」というオンラインソフトやデータをおさめたCD-ROMがついた本が多数出版されていました。中には10枚以上ついているものがありネットにつなげない人や接続料金を切り詰める人には好評でしたが今はすっかり見ません。ソフトのアップデート情報も雑誌付録のディスクで知るのが普通で、オンライン自動アップデートなど考えられませんでした。常時接続様様です。 そういえばこういうQ&Aサイトも常時接続ならではでしょう。時間を気にしていたら回答なんて書いていられないし、そのために情報を集める気になんてなれません。

Ensenada
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 常時接続というのもつい最近ですね。 そういえばNT3.51のアップデートは 雑誌の付録CD-ROMから入れたような気がします。

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