将棋のルールは徳川時代も改変されていなかったのでしょうか?
日本将棋のルールの一つに相手から奪った駒を味方として利用するという物があります。元々の将棋の原型ではこの持ち駒の再利用は認められていなかったようです。これは日本で新たに加わったルールのようです。
味方だった者が、相手方について自分を攻撃する(表現は悪いですが裏切りです)。日本人にとって、江戸時代を除いてこのような考え方は別に不思議でも何でも無かったようであり、恥ずべき行為とも認識されていなかったようです。ですから戦いのゲームである将棋に採用されたのでしょう。
江戸時代将棋は幕府の庇護があって大いに発展したようです。しかし裏切りを公然と認めるルールを江戸幕府が容認したとはとても考えられません。庶民生活の隅々まで縛り付けた江戸幕府が将棋のみ自由を与えたとは考えにくいのですが… 江戸時代、将棋における駒の再利用のルールは禁止されていたのでしょうか?
将棋に詳しい方宜しくお願いします。私は駒の動き程度しか分からない素人です。将棋の駒の再利用が世界史的に見て特異的なルールであると知り大変興味深く思っています。