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幼児の死の概念

3才くらいの子供が、おじいちゃんなどが死んだりして悲しむのでしょうか? 親がいなくなれば当然悲しむでしょうが、よくなついてはいるが、月に一度くらいしか会わないお爺ちゃんの家に行って、お婆ちゃんしかいなかったとしても、たいして気にしないのでしょうか? ちなみにお婆ちゃんにも良くなついています。

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  • michael-m
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回答No.4

3歳児だと両方の反応があります。ただ、悲しまない事が死の意味を解さないのか、死を素直に受け入れる為なのか判りません。 逆に悲しむ子がどこまで理解しているかも判りません。大泣きしたのに翌週には「お婆ちゃんちに行く」と言い出したりもします。 もちろん、現実的に会えないという寂しさから泣く事は絶対的にあるでしょうね。でもそれは死とは関係なく、自分が不安になったり会いたいと思ったからです。一人で遊んでいる時にはお母さんが傍にいても見向きもしませんから。 宗教家や霊を信じる人の中には「3歳頃までは生まれる前の記憶が残っており、死と生との流れを知っているから悲しまない」と言う人や、「3歳くらいまでは肉体を見ているのではなく魂を見ているから、死そのものは悲しくない。但し、その魂がすぐにあの世に旅立つ姿を見たときは、その別れに泣き、しばしこの世にとどまる時は泣く事がない。」という人もいます。 私自身は(祖父でしたが)病室から追い出された記憶があり、なぜか悔しい思い(あるいは悔い?)だけが残っています。私の場合は悔し泣き…ですね。

GONZO101
質問者

お礼

どうやら悲しくはないようですね。良かったです。

その他の回答 (3)

  • 2009ken
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回答No.3

ぶっちゃげ、記憶がないですねー。葬儀の後の昼食会で、精進料理だったので、肉が食べたかったという思い出しかありません。(当時五歳ぐらいです) 気にするかどうか、どこまで理解できるかは、結局その子次第ですね。3歳ごろの記憶は、数年で消滅することも多く、大人になっても継続性がありません。(多くの記憶のようなものは、親が話した内容や、ビデオなどを見て、後日増幅されて刷り込まれたものがほとんどです。だから、そのばあちゃんの思い出も、ほんとに体験したものなのかどうかは、怪しい)数年前の中越地震で、親子で車で生き埋めになって、小さなお子さんだけ助かった事故があったじゃないですか。その子はお母さんが亡くなったというのではなく、お母さんがいないので会いたいと言う感情で泣いていたようです。(ニュースでそういう画像が流れてました)

noname#146943
noname#146943
回答No.2

こんにちは。 私が幼稚園に通っていた頃、祖母の姉が亡くなりました。 たまーに家にお邪魔したり、うちに来てご飯を作ってくれたりして、 よく懐いていたと思います。 本題ですが、祖母の姉は病院で亡くなったので、 母に連れられて遺体に会いに行きました。 私には、ただ眠っているようにしか見えなかったため、 母に「ねーちゃんばーちゃん(と呼んでいました)起きないの?」 と聞いて、困らせていました。 やっぱり「人が死ぬ」という概念はなかったのだと思います。 でも、帰りに、母が運転する車の中で、 大声で泣きわめいていたのを覚えています。 理由は覚えていませんが、なぜか悲しくなって泣いていました。 頭では全く理解できなくても、なんとなく「もう会えなくなった」と 分かったのかな~と思います。 私の場合は、実際に遺体を目にしたからかもしれません。 いきなりいなくなっただけだと、難しいかもしれませんね。

  • trajaa
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回答No.1

>たいして気にしないのでしょうか? 3歳児ぐらいであれば、そうでしょうね。 そのころだと、「死」という概念さえも希薄でしょうから長期の不在と然したる違いは感じないでしょう。 お爺ちゃんという人の存在自体が時間の経過と共に失われるでしょうね。 ウチの長男が3歳前の頃、彼の曾祖母(私の祖母)が亡くなりましたが 暫くの間は、寝込んでいた寝室を指さして『ねんねバーバ居ない』なんて言ってたけど 暫くすればそれも口にしなくなりましたし、恐らく写真を見せたとしても記憶にないと言うでしょうね。 コレばっかりは仕方の無いことですけど。