- ベストアンサー
昔のつばさ号・いなほ号
こんばんは、アラフォーの女性です。 昔の上野発着だったつばさ号やいなほ号は同じ秋田行きでもどちらのほうをご利用になられましたか? どちらのほうがルートとして好きでしたか? もちろん、お住まいや乗車駅にもよると思われますが・・・。 先日、社内の鉄道の好きな同年代の男の子と話したのですがそんな話題が出ました。 私は中高生の頃、家族と秋田方面に旅行に行ったり親戚の家に行ったりしたときに乗りました。 私は谷川岳の峠の区間や笹川流れの海岸線付近が好きでした。 また福島を出てしばらく行ったところの大きい上りカーブで眼下に街並みが見えてくるところも良かったしほか新庄を過ぎた後の峠の付近も趣きがあったような気がします。 私は年に何回か列車で旅行に行くことがあるくらいで詳しくは分りませんが彼いわく昔はある意味、遠距離特急は贅沢で高嶺の花だったそうです。 現在は首都圏近くの特急はあまり特急らしくなく価値観が下がったような気がしませんか?
- みんなの回答 (10)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
#3です。 感想は「補足」ではなく「お礼」に書いて頂いたほうが、回答者あて メールが飛ぶので反応しやすいんですが・・・。 「津軽」ですが、寝台車に乗っちゃうとあんまりそう言う事はなかった んですけど、向かい合わせの普通車に乗ると、大概上野出発時点では、 皆さん静かに酒を飲んでいるんですが、黒磯で機関車が変わる頃になる とツマミを交換したりし始めるんですね。東北の人はシャイですから、 打ち解けるまで時間がかかるんです。 で、隣同士近くからの出稼ぎだったり、そこまで行かなくても地元の 何かを知っていたりすると、段々打ち解けて酒が進むんです(東北人 は酒に強いですし)。で、徹夜で飲んだりすると降りる頃にはすっかり 友達、「よってけ、メシ食ってけ」という話になります。少なくとも 降りるときにはお互いに手を振ったりしましたね。 一度だけ、大館の人に本当に自宅で昼飯と風呂、奢ってもらいました。 名前、忘れちゃったですけど・・・。
その他の回答 (9)
- EASTBIRD
- ベストアンサー率36% (56/153)
こんばんは。#6です。 >当時の駅弁はいかがでしたか? この「いなほ」でのことではありませんが、高崎駅の「だるま弁当」(当時600円)やスキーシーズンで越後湯沢の「笹団子」(お弁当ではありませんが)北陸本線は富山駅「ますのすし」(当時850円・1600円)おなじみの弁当でした。また上越新幹線開業後、未だ越後湯沢と犀潟(直江津)を結ぶほくほく線(北越急行線)が出来る前の長岡駅は北陸方面の乗り継ぎ客を当て込んだ駅弁が花盛りで首都圏の新聞にも紹介されたものでした。 またもや当時の時刻表に紹介されている上野駅駅弁を見ると うなぎ御飯(800円)・牛めし弁当(600円)・とんかつ弁当(500円)・チキン弁当(500円)道中割子そば(350円)・・・昭和55年10月号(交通公社)時刻表から。・・・ いまの上野駅ではどうでしょうか分かりませんが29年前の物価と比較するのも一興ですね。
- hatsumoude
- ベストアンサー率17% (7/39)
当時の「いなほ」も「つばさ」も乗ったことはありませんでしたが、学生時代に、福島⇒秋田・鈍行10時間、新津⇒秋田・鈍行8時間で踏破したことはありました。 前者は、山また山続きで長く感じました。秋田で下車しホームを改札に向かって歩いていたら、乗ってきた列車の車掌さんが「よく乗ったね♪」と、背後から優しく声を掛けて下さったのには疲れも飛びました。 後者は、羽後本庄付近で見た日本海の夕景に感動し、乗り合わせた学校帰りの女子高生がみな秋田美人の卵の様だった事に、さらに感動しました。 「日本海縦貫線」は、その後も急行「しらゆき」や特急「白鳥」で踏破しましたが、車窓から眺める日本海の荒波は素晴らしいですね。 当時は「東北ワイド周遊券」というのがありまして、東北6県を20日間 乗り降り自由という太っ腹な切符でした。 青森の恐山へ行った帰りの気動車内にショートパンツ(当時はホットパンツ)の似合う可愛い子を見つけて、終点の野辺地に着いたら声をかけようと思って気合を込めていたら見失ってしまい、ようやく見つけたときには私と彼女は東北線の上りと下りの鈍行列車でした。 いまの「銀色電車」には色気が無いですね・・・嗚呼。
- ultraCS
- ベストアンサー率44% (3956/8947)
秋田での上りのつばさといなほは同じような時刻に発車していたため、自由席(それ以前は全席指定)があった頃は、ホームで空いている方に乗ると言うこともありました(新潟、福島どちら経由の乗車券でも相互に乗車できた)。大概、いなほの方が空いたような記憶があります。なので、つばさは上りで一度使っただけです(山形までは数回)。 気動車の時代には秋田駅は完全同時発車でした。当時の鉄道写真で、秋田駅を同時に発車し、羽越線(左)に向かういなほと奥羽線(右)に向かうつばさが左右に分かれていくという有名な光景があります。 東北から戻るときは、気がせくので特急に乗りましたが、東北に向かうときは夜行が多かったですね奥羽経由の津軽、東北経由の八甲田、常磐経由の十和田などがありました。 特急の価値観が下がったのは、国鉄の列車種別の整理に伴うものです。昔は、有料列車として、特急、急行、準急がありました。準急が廃止され、急行についても、有料の特急と快速に吸収して消滅というのが方針でした。現在では、急行自体が消滅寸前で、夜行の「はまなす」「きたぐに」「能登」だけが残っています。
お礼
ありがとうございました。 ディーゼルカーの頃は乗った記憶がありません。
- EASTBIRD
- ベストアンサー率36% (56/153)
こんばんは。 上越新幹線の開業前のことですが、上野から鶴岡までを出張で「いなほ1号」を利用したことがありました。早朝7時代の発車ですから、朝食は駅弁で済ませます。途中の各駅では通勤客でごったがえす上りホームを尻目に悠然と「いなほ」駆け抜けます。大宮・高崎・水上・長岡のみ停車の正に特急列車でありました。乗車したのが10月もまもなく下旬のころでした。高崎を出ると右手に赤城を見ながら高度を稼ぎつつ、上越国境の長い清水トンネルを抜けると時雨の世界。後に紀行作家の宮脇俊三氏の著書にも紹介される文節を目にしたとき我が意を得たりと膝を打ったり。快晴の関東からトンネルを抜けるとさきほどまでとは別世界の気候風土の描かれるところが「いなほ」の素敵な車窓でありましたね。このさき目的地まで曇天の世界が続きました。 この時代の時刻表を改めて読み直すと新幹線開業前だけあって高崎・上越ともに特急街道。「とき」「あさま」「はくたか」「白山」「いなほ」急行も「佐渡」「よねやま」「信州」「妙高」「草津」「ゆけむり」と名を連ねるところは翳りをみせたとは言え鉄道の時代でした。 ご質問に便乗して、おじゃまさんでした。
補足
ありがとうございます。 停車駅が少ない、つまり質問した「高嶺の花」ということを意味しているのでしょうね。 色々な名前があったのですね。温泉地、山、旧国名、鳥など・・・。 やはり皆さんは上越線経由のほうがお好きなようですね。 当時の駅弁はいかがでしたか?
- river1
- ベストアンサー率46% (1254/2672)
#2です。 捕捉について 最初に夜行急行「津軽」号の編成 先頭 郵便荷物車、1号車A寝台(解放型二段式)、2・3号車B寝台車(対面解放型三段式)、4号車グリーン車(リクライニング2人掛け)、5・6・7号車指定席普通車(対面4人掛け)、8・9・10号車自由席普通車(対面4人掛け)の10両編成が閑散期の基本編成でした。 閑散期以外の時は、これに4号車グリーン車の直後にB寝台車が1~2両と普通車2~3両増結して12~14両編成で運行していたようです。 この中で乗っていないのは、1号車A寝台に乗った事が無いだけです。 なぜこんなに詳しいのかといえば、幼き頃交通事故にあい、脳外科の病院通いの為、東京に何度もこの列車で往復したので覚えているのです。 寝台特急「あけぼの」は、便利です。 東京に朝こっ早く着いて、その日の晩遅くに乗って帰れますので、ホテル代をかけるより安く上がります。 他人のいびきで寝れないたちですので最近は、個室B寝台ソロに乗るか、秋田新幹線「こまち」利用かな。 比内鶏より地鶏の放し飼いを特別に分けて売ってもらって食べています。 なべ料理には、放し飼いの地鶏のガラときのこの畑シメジで取る出汁が最高ですね。 ご参考まで
昔キハ181系気動車での運行だと聞いています 今現在は大阪~浜坂間特急はまかぜで活躍していますが 近い内に引退が決まっています のでキハ181系気動車乗られるのでしたらお早めに
お礼
ありがとうございます。 ディーゼルカーでしょうか? 私が乗ったのは肌色に赤いラインの入った列車です。 ディーゼルカーの時代は知りませんでした。 浜坂といえばブランドになっている蟹で有名な地区ですよね。 どうもグルメ系のほうに私は話が行ってしまいがち。(笑) 電車でないほうが田舎に来た感じです。
- FEX2053
- ベストアンサー率37% (7991/21371)
とりあえず、その頃乗り歩きをしまくった現役「鉄」としては、 ですね。 景色だけなら「いなほ」方が良い、という点は同意します。 ただ、「つばさ」はどことなく「東北の列車」という独特な雰囲気が ありましたね。板谷峠を越えると、車内に「帰ってきた」感が横溢し ましたし。また、まだキハ181が運用されていた頃は、機関車が補助に 連結されたりして、運転的にも面白く、乗っていて楽しい列車だった ことは確かです。 でも、そういう点では「津軽」の方がもっと乗っていて面白かった ですけど・・・。 今は長距離のバスに、案外そういう「雰囲気」があったりします。 ニーズが個別化しちゃった現在、昔の鉄道のように「全員まとめて 面倒を見る」的な交通機関は成り立たなくなってきてるんですかね。
補足
ありがとうございます。 津軽はどのような魅力がありましたか? 夜行列車でしたよね? 私は北海道出張のとき部長と先述の鉄道好きの彼が北斗星で帰ろうなんて言って私にだけ普通個室を取ってくれて男性陣3名はカーテン仕切りの一般寝台でした。 やはり気を使ってくれたのでしょうか?
- river1
- ベストアンサー率46% (1254/2672)
秋田の県北出身です。 私が学生時代に利用したのは、特急「いなほ」号です。 好きな区間は、羽越線区間の海沿いです。 東京からの帰りの時は、食堂車でコーヒーを飲みながら海を眺めるのが好きでした。 特急「つばさ」号は、秋田止まりで利用勝手が悪く使いませんでした。 特急「いなほ」号以外で利用したのは、寝台特急の「あけぼの」号と夜行急行「津軽」です。 今でも当時の列車の編成は全て分かっています。 特急「つばさ」号には、小学生の時に朝こっ早く起きて家族乗った時があります。 その当時は、まだ電車ではなくジーゼル特急の時代です。 最近の特急は、走る区間も時間も短く、昔の急行列車に毛が生えた程度と感じています。 最近の上京の時は、秋田新幹線の「こまち」号です。 貴方の質問で昔の事を思い出させてくれてありがとさんでした。 ご参考まで
補足
お礼ありがとうございます。 羽越線区間は素敵ですよね! 皆さんはどうも津軽に思い入れがあるようですね? でもあけぼの号はレディースカーや個室が付いているので安心ですよね。 県北といえば大館方面ですよね。 比内地鶏で有名ですが地元でも結構召し上がりますか?
- EF8195
- ベストアンサー率44% (100/223)
私は当時小学生、某旅行会社のパックツアー(東北地方周遊)で家族と秋田から「つばさ」に乗車しただけです。もし今選ぶとしたら、「雪国」(川端康成の小説)の世界を堪能できる上越国境・日本海に沿う笹川流れ・庄内平野にそびえる鳥海山‥車窓風景だけで「いなほの勝ち」でしょうか。「つばさ」だと、板谷峠(福島~米沢間)以外は景色が比較的単調だと思います。 >遠距離特急は贅沢で高嶺の花 特急でも上野から秋田まで8時間くらい、朝出発しても到着するのは夕方。高速道路は東北地方北部へは到達しておらず、当時の飛行機はさらに「高嶺の花」だったので、夜行列車の需要が多かった時代です。秋田方面への観光や帰省等で、寝台特急「あけぼの」(これは辛うじて1往復現存)や急行「おが」「津軽」に乗車した方も多いと思います。 >特急らしくない、価値観が下がった 「特急」は「特別急行」の略で(英語名もLimited Express)、長い編成(11両とか12両とか)で長距離を走破し、食堂車が付いて当たり前‥当時は文字通り「特別な急行」でした。それに比べれば、確かに今は「特急」と呼ぶには相応しくないような列車ばかりです。 「特急らしくなくなった」のは、社会情勢の変化によるものでしょうか。長距離旅行は飛行機や新幹線が主役になり、在来線は各地の都市圏輸送や新幹線とのフィーダー輸送が主体になりました。ほぼ同時に急行列車の車両が陳腐化し、設備的にも料金面でも中途半端になったので、特急に格上げするものと快速や普通列車に格下げするものに二分化した‥というのも現実です。もう1つ原因を挙げるなら、私鉄の特急みたいに定期券+特急券で通勤客も乗車できるようになった事でしょう。
補足
ありがとうございます。 鳥海山の残雪を残したそびえたつ美感は素敵ですよね! 津軽号の感想を聞かせてください。 特急の価値観が下がった感じは回答文の後半の内容でなるほどと思いました。
お礼
ありがとうございます。 <福島⇒秋田・鈍行10時間、新津⇒秋田・鈍行8時間> これって、茶色い古びた列車ですか? 私も現地で乗ったこと有りますよ。♪ 「東北ワイド周遊券」・・・大学時代に使ったことあります。 フリーエリアが広くてバスも乗れましたよね。 なぜその切符は廃止になったのでしょうか?