• 締切済み

なぜそうなってまで働くのでしょうか?

「なぜ働くの?」は、もう何年も何十年も問われ続けてきました。 そして、決まって「幸せになるため」と言う答えが用意されています。 果たして本当にそうなんでしょうか? 「幸せのために働く」とは言葉ばかり。 過労で倒れる人 残業が多くて家族となかなか会えない人 不眠、食欲不振、体力低下など、体が蝕まれている人 こんなになってまで働いて、将来幸せが約束されているのならばまだいいですが、決してそうではありません。 リストラの不安もあり、それを乗り越えて定年を迎えたとしても今度は生活苦に陥る人が多いです。老後の苦労もお金に限らず絶えません。 どうして、こんなになってまで働いて、そして、将来の幸せなんて約束されていないのに「幸せになるために働く」と言われ続けているのでしょうか? もしかして、そうでも言っていないとやってられないからでしょうか。 僕も、職場では小さなことをつつかれ、押しつぶされ、言葉をなくし、はっきり言って楽しくは無いですね。それでも働かないと自宅でも安らげませんよね。 本当は職があるだけで幸せに思わないといけないのに、職があってもそれで体を壊す。 何のために働いているんでしょう? そんな人生楽しいはず無いんですが・・・。 「人生は苦労も多いけれど、小さな幸せもある」とか言われますが、1つの幸せのために1000の苦労をしなければいけない、しかもそれが無限ループするなんて、誰が考えてもばかばかしいですよね。 100円と引き換えに10万円をドブに捨てるようなものです。 皆さんはどう思いますか?

みんなの回答

回答No.16

僕も中学生くらいの頃、似たような疑問をずっと持ってました。 働き始めても暫くは分かりませんでした。「必要だから」「死んじゃうし」 と良く分からない言い訳で誤魔化していました。 最近思ったのは 「苦労」と「幸せ」は別物ではありません。セットで同じ物です。 紅白饅頭のような物で、同じで種類が違う物です。 理由は上手く説明できませんが、宗教のように苦労も有り難がれみたいな話ではありません。 仮に働かない自分を想像してみると、そこには苦労は存在しないでしょうか?いえ、やはり苦労は存在します。苦労は仕事に付いてくる物じゃないんです。 やっぱり上手く説明できませんね。

gakkacho3
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 なんとなく言いたいことは分かりますが、やはり明確な説明がないと説得力に欠けますね。 働いても働かなくても苦労はついてきますが、少なくとも働いているよりは苦労は少ないと思います。 お金さえあればですけれどね。

  • sakura-333
  • ベストアンサー率10% (952/8905)
回答No.15

>「幸せのために働く」 幸せは自分の価値観や考え方次第の部分もあるけど、生きていくのはもちろん何をするにもお金が必要だからなぁ・・ この言葉は家庭を持ったお父さんが言う言葉じゃなかろうか? 程良く働けばいい仕事と馬車馬のように働かなければいけない仕事、楽しく働ける環境とそうでない環境、体力のある人とない人、そんなのが個性に合わせてバランスよく出来ればいいのだろうけど、そうもいかないから多くの人は苦を感じるのかも。 皆がやりたくない仕事をする人もいないとまわらないしね・・ でも体を壊すと100円と引き換えに10万円をドブに捨てるようなものになりますよ。 あまり自分を追い詰めず程々に・・

gakkacho3
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 たぶん、幸せのために働く、といっていないとやってられないからだと思います。 お金があってもどうなる、とはいえませんが、心の余裕は生まれないですからね。 昔から「職業に貴賎なし」と言われますが、殆どの人は心の底ではそんなこと思ってはいないと思います。 ありがとうございます。 もう、何が起こってものれんに腕押し状態なので、堪えたりはしませんね。

  • kazukun-z
  • ベストアンサー率13% (24/175)
回答No.14

今から20万年くらい前、 人類はマンモスを追いかけ、仕留め、食べることが「生きる」ということでした。 そして、それに「生きがい」を感じていたかどうかは分りませんが、 仲間と一緒にマンモスを仕留め、雄叫びを上げ、火をおこし、みんなで踊り狂っていたのです。 なんか、楽しそうですよね? でも、狩りの不安定さから、人類は農耕を始めます。 使う人間と使われる人間、貧富の差の始まりです。 古代文明からつい最近まで、奴隷という身分がありました。 エイブラハム・リンカーンによって奴隷制度は廃止され、 近代憲法によって、国民の権利と義務が歌われましたが、 使う人間と使われる人間の本質は変わっていません。 労働派遣社員・日雇い労働者は奴隷です。正社員だって、平は奴隷です。 奴隷は働いているのではありません。働かされているのです。 現在はまだ、人間の仕事があるから奴隷も生きていけますが、 100年後200年後、現在の人間の仕事のほとんどを機械が行うようになります。 使われるだけの人間は必要がなくなります。 さて、1000年後、増え過ぎた人類はどうなっているでしょうか? (1)仕事がない人は何もしなくてよく、社会保障だけで生活していける。 (2)犬や猫のように使われるだけの人間は去勢され、生殖ができないようにされる。 (3)いん石が地球に衝突、あるいは新型ウィルスにより、増え過ぎた人類は絶滅。 (4)生き残った人類は文明を捨て、自然と共に生きる。 (5)科学は発達を続け、スペースコロニーが建設され、人類は宇宙世紀に突入する。 (6)資本主義に替わる新しい制度が発明され、みんな仲良く生きていける。

gakkacho3
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 全部オートメーションでやったら誰も働く必要なくなりますね。 そして、いろいろなところが退化していくでしょう。 僕としては、人間なんていても益になることは何もないと思いますし、むしろ有害だと思いますので、いっそのこと滅んでしまった方がいいと思います。そうすると、苦しめる存在もいませんが、苦しみを味わう存在もいなくなりますし、地球ももしまだ存在していれば静かで平和になると思います。

  • dai-ym
  • ベストアンサー率22% (848/3824)
回答No.13

ちゃんと自分で考え、自分で行動を起こせる人はワーカーホリックの人以外は質問文にあるような人生は歩まないですね。 結局、幸せになるためという答えも自分で考え出した答えじゃないし、そこまでして働くのも本当に自分の幸せのためになっているのか考えたことがない人が多いのだと思いますよ。 本当に幸せのために働いている人は仕事もプライベートも充実させていますね。 過労死するような働き方はしないし、働いた分の見返りがちゃんと帰ってくるような仕事をします。 今の仕事が楽しくないのなら、どうすれば楽しく仕事が出来るのかを考えてみれば良い。 どうやっても楽しくならないのなら、転職してみても良い。 今の仕事をつまらない、嫌だという想いで続けているから仕事もストレスになるし、効率も悪くなる。 自分でちゃんと考え行動できれば少なくても99の代償で100の幸せを手にするレベル以上にはなれますよ。

gakkacho3
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 おっしゃるとおりだと思います。 電車の中で疲れた顔を俯かせている中年男性も、みんな惰性で働いているのだと思います。 別に過労死するような働き方をしたくてしているわけではなく、そうならざるを得ないのではないでしょうか。 家族のため、と言う方もいらっしゃるでしょうし、その他の理由もあるのかもしれません。 今の自分の状況に、満もなければ不満もありません。 なので、転職するような切羽詰った状況でもないんですけれどね。 アドバイスありがとうございます。 行き詰ったら努力してみようと思います。

  • ap10
  • ベストアンサー率33% (453/1356)
回答No.12

仕事をしながら生きている人は多数いますが、そのうちの一部の人について当てはまる話かな まぁ、自分に言わせると「費用対効果を考えないアホ」ですけど ご質問者様の認識されているような仕事の仕方は、自分に言わせりゃバカ ちゃんと考えて、幸せの為に仕事という手法を使ってね そんな感じでしょうか >「人生は苦労も多いけれど、小さな幸せもある」とか言われますが、1つの幸せのために >1000の苦労をしなければいけない、しかもそれが無限ループするなんて、誰が考え >てもばかばかしいですよね。 幸せと苦労は個数で数える物ではなく、質でその価値を判断すべきもの その1つの幸せと1000の苦労はどちらが価値あるの? たった1つの幸せといっても1000の苦労よりかちがあるなら全然問題ないでしょ 例えば、5年間毎日1円ずつ貯金するという苦労があったとします 達成できたら1000万もらえるという状況であれば、誰でも努力するでしょ 個数換算なら、365x5回の苦労で、報酬をもらえるという1回の幸せ 質換算なら、365x5円の苦労で、1000万円の報酬をもらえる幸せ どっちがいいですか? それに同じ物(幸せ)を得れるとしても、苦労するほど得れるものの価値は高まるしね さてさて、ここでポイントになるのが費用(苦労)対効果(幸せ)だよね つまり還元率とでもいいましょうか 還元率を高めるのはその人の能力です 能力が高ければ、少ない苦労でより多くの幸せが手に入りますし、能力が低ければ同じ苦労でも得れる幸せが少なくなります だから言わせりゃ、能力を高める努力をしたらいかがですか? 今の職場が嫌なら転職すればいいし、転職できる能力がなければ能力を磨くしかない その辺りをご理解されてれば、今回のご質問は出てこないと思いますよ 頑張って下さいな

gakkacho3
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 確かに、僕の質問にあるような働き方をしている人はバカです。ちゃんと考えて幸せのために仕事を使えばよい。 正論です。これ以上ないほど正論であり、理想論です。 そしてそれに押しつぶされる人間がいます。 >例えば、5年間毎日1円ずつ貯金するという苦労があったとします >達成できたら1000万もらえるという状況であれば、誰でも努力するでしょ もちろんです。それが確実ならば誰でも努力します。 ですが、そうではないのが現実世界です。 まあ、僕としては今の仕事に満も不満もないです。 今がどうであろうと、これが自分の選んだ生き方ですからね。 今回の質問はYahoo!Japanの記事を見てふと思いついたので、別に自分の立場は関係なかったのですが、励ましてもらってどうもです。

noname#84328
noname#84328
回答No.11

働く=端を楽にする  ことだそうです。 周りの人の為に、貴方の仕事が人のお役にたって 喜ばれる為に仕事はするのだそうです。 介護職の人が お給料は安いけど「有り難う」といわれると、辛いというこ気持ちがなくなる、、、と良く言ってますよね。 貴方の仕事は、直接 「ありがとう」と感謝されるお仕事でしょうか? 仕事の基本は「人の役にたってるかどうか?」です。 心に喜びがあれば 生き甲斐も出てきますよ。 宇宙銀行に徳を積み立てましょう。 普通の銀行にはお金を積み立てますが、宇宙銀行にの場合には、人を喜ばせたり、尽くしたり、社会に役のために役立つようなことをすると、それが徳となって積み立てられ、満期になると積み立てられた徳だけの恩恵を授かることができるということです。 実際、運がいい人や、成功者といわれる人をみてると宇宙銀行に“徳の預金”を沢山してる人が多いですね。 この宇宙銀行というのは何処にあるかというと、潜在意識の中にあるのです。私達の潜在意識の奥底までいくと、心の大海原みたいなところがあって、そこではすべての人間の心が一つにつながってる。 だから人に対する感情や行いは、良くも悪くも、めぐりめぐって自分に跳ね返ってきます。 「人を呪わば穴二つ」という格言がまさに潜在意識の働きをよくあらわしていて、人を恨んだり、妬んだりしてると、自分の運命も悪くなっていくということがありますし、逆に他人の幸せを願い、人に喜びを与えていると、それがやがて恩恵となって自分のもとに返ってくるということです。 また、そうした人に与える生活をしてると、心がどんどんポジティブになって、毎日が楽しくイキイキとしてきます。 自分の表情や性格や行動が明るくなれば、誰に対しても好意的に接することができるようになりますから、その分、人からも好意をもたれやすくなり、ラッキーなチャンスに出会う確率も高くなるわけです。 プラス思考を心がけていると、願望が実現しやすくなるとよく言われますが、プラス思考に徹していても、いっこうに状況が好転しない人がいます。 それは何故かというと、徳積みが足りなかったりして、宇宙銀行の貯金がマイナスになってるからです。 工場にたとえるなら、いくら良質の材料や作業員を集めても、工場の設備が整っていなければ、優れた製品を生産することができないようなものです。 宇宙銀行に徳の預金を積み立てるということは潜在意識というマインド・ファクトリーの設備を整えるということです。 私たちは、人を助けたり親切をしてあげたりすると、相手から感謝やお礼といった見返りを求めがちですが、徳積みの行為をしても、その見返りを期待する打算的な気持ちがあればあるほど、宇宙銀行に積む預徳の量も低くなってしまいます。 ですから人の見てないところでよいことをする「陰徳」(陰でする徳積み)はそういう下心が少ないので預徳の量が高いです。 自分の運を高めるには、宇宙銀行に徳積みという預金をすることですね。

gakkacho3
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 僕の仕事は直接人に感謝される仕事ではないです。 ですが、社内でちょっと頼まれごとを引き受けたりして、御礼を言われるといい気分になるものですね。 う~ん、宇宙銀行ですか・・・。 本当に、人に与えた分だけ自分に返ってくるならば素敵ですね。 ですが、残念ながら世の中そううまくは行きません。人間の世界で生きて行く限りそれはありえないですね。 利用する人間・利用される人間、虐げる人間・虐げられる人間、この両者は人が社会を築き始めてから現代まで必ず存在するもので、どちらかがかけることはありません。 でも、人に与えた分だけ返ってくる、徳を積めばその分だけいいことがある、それはまやかしだと分かっていますが、そう考えないとやっていられませんね。

noname#98710
noname#98710
回答No.10

>何のために働いているんでしょう? 働くのが好きだから。 どんな仕事でも。 足腰立たなくなる日まで、働き続けます。 むろん、私の場合です、あくまでも。

gakkacho3
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 働くのが好き、と言う方もよくいらっしゃいますね。 それが生きがいならばそれはすごい境地だと思います。 周りのサラリーマン、皆がみんな、働くことが生きがいになれば良いんですけれどね。 だいたい、皆さんくら~い顔をしていますから(^^;)

noname#98329
noname#98329
回答No.9

私の場合は1つの幸せのために1000の苦労はしませんけどね。 1つの幸せのために1の苦労はしますがそれ以上はしません。 100円と引き換えに10万円をドブにも捨てません 100円と引き替えに99円までなら捨ててもいいですけどね。投資に比べてリターンの少ないことはしません。 私がそんな意味もなく辛い立場ならすぐにやめて他のことをすると思います。 私は人生幸せ感を感じることが多いのですが、それは質問者様との考え方の違いだと思います。 質問者さんは100万円持ってても100万円しかないと将来不安でいたたまれなくなるのかもしれませんが 私の場合は100万円あれば100万円もあるからまだまだ当分余裕だなとなるのです。 1万円の仕事してもこんなに怒鳴られて苦労してたった1万円かよ?とはならずに ちょっと我慢しただけで1万円も儲かっちゃったこれで何しようかな?となります。 私は会社経営しています。今のところ17年間続いてます。 といっても金儲けよりも自由を優先するライフスタイルのためいつまでたっても零細レベルです。 いい時もあったし悪い時もありました。今はとても悪い時です。 不況で運悪く倒産してホームレスになってしまうかもしれません。その時はその時です。だからどうしたの?という感じです。 仮にそうなったとしても私の場合は前向きなのでそんな退屈な環境には長くいられずに再びはい上がってくるでしょう。 自分に自信を持っているのです。どうとでも生きていける自信があるので将来不安にならないのです。 根拠なきバカなのかもしれません。しかし不幸な利口と幸せなバカなら、幸せなバカになりたいです。 だからめいっぱい楽しむし楽しむためにまためいっぱい稼ぐのです。

gakkacho3
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 まあ、程度の差はあれど幸せより苦労のほうが多いのは誰でも一緒ですよね。 何事もいいほうに考える、そのやり方は天晴れだと思います。 でも僕は、どうしても先のことを考えてしまいます。100万円あれば当分は余裕ですが、1年もしないうちにすぐ底をついてしまいます。浪費なんてしなくても普通の生活を送っていれば大体そんなものです。 先のことを考えてしまう、これがダメなんでしょうね。

回答No.8

貴方は働かなくても良いための言い訳を考えています、生きて行くのを拒むための言い訳をしています。言い訳で人生は前に進んではゆきません、生きて行く先には終わりが有ります、それが楽になるものか?苦しみになるのか?誰も分かりません。 人間が幸せになれるのか、なれないのかは本人が全てを決めています。同じ境遇で幸せと感じる人と、不幸と感じる人がいます。同じ環境でもストレスとする人と、ストレスとしない人がいます。 人生を豊かに、幸せに生きて行くと言う事は、本人の力です。人生を豊かに、幸せに生きて行く力をつける以外には、人生は前には転がってゆきません。言い訳をしないで地道な努力をする以外に、どこに幸せが転がっているのでしょうか?貴方は勘違いをしています。 人間が本当に幸せになる、或いは本当に安心して生きて行くと言う事を書いてみますので参考にして下さい。 人生を豊かに、安心して生きて行くためのコツは「辛いとか、苦しい」とかの言い訳をしない人間性を育てて行くしかありません。楽を求めた場合には、何をしても「楽」は有りません。楽を求めた生き方が地獄を作っています。 地獄に落ちても良いと言う決心が出来た時にだけ「人生はどこに行こうが全てが極楽」と言えるからです。

gakkacho3
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 なぜか話が飛躍している気がしますが・・・。 同じ境遇でも感じ方が違う人もいますが、例えばイヌのように鎖につながれて餌と水だけもらえて、後はひたすらムチでたたかれる状況をどう思いますか。確かにこれを幸せと言う人もいますが、こういう人はマゾと呼ばれる変態ですね(^^;) 地道な努力を否定はしません。 ですが、地道な努力をした挙句に倒れたり体を壊したら元も子もありませんよね。それが幸せだとお思いでしょうか。 心身ともに元気に働ける間は働かなくてはいけないと思いますが、心身を壊しても働くと言うならば、それはおかしいと思います。

  • LTCM1998
  • ベストアンサー率31% (238/746)
回答No.7

こういうときは問題を切り分ける思考実験が有効です。 すなわち、「一生苦労しないような収入が確定したら(宝くじでは難しいかな…思いもよらない遺産相続とか)、働くのをやめてしまうか?」と考えてみます。 もし、「即座にやめる!」と断言するなら、いまの仕事は「目的」にすぎないことがハッキリします。 疲れている場合はとくに、これが圧倒的に出ると思います。 しかし、大学の教授などを見ていると、「なんかこの人たちは違う」と思います。 この人たちは、働くことイコール幸せなのだと思います。(雑務や会議は別だとさらに切り分けて言う方もいますが) 研究職に限らず、仕事のなかで、自己実現、イコール「自分でなければやれないという達成感」が得られるかどうかがカギだと思います。 これがないと、「どうせ代わりはいるんだろう」と思ってしまうでしょう。 とはいっても、こちらも中毒性はあって、「私がやらなきゃ誰がやる」で身体を壊す人もいます。 いますが、その壊し方というのは、「生活のために働いていて過労死」とは違います。 ここで問題がややこしくなるのは、かつては、この「生活のために働く」と「自己実現のために働く」が、ほぼ同一視されていたことがあります。 つまり、「生活のため」という現実を、うまく「君にしか頼めない」式にごまかして、自己実現だと思い込ませることが行われていたのです。 バブル前後からようやく、この二つの違いがだんだんとハッキリしてきたのだと見ています。

gakkacho3
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 僕も今、一生困らないような大金を手にしたらきっとスパッと辞めると思います。手段と言うより何より、もう息苦しい思いをしてまで働く理由が無いからです。 確かに、「自分の代わりはいるか」で働いている人もいますね。 でも、自分の代わりがいないからって、自分を殺してまでその役目を果たす必要は無いのではないでしょうか。 そこに気づけば、「君にしか頼めない」式にごまかされても無理に働くことはなくなると思います。

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