#2にいただいたお礼を拝見しました。そういうことですか。もちろん、海外を拠点としている(例えばアメリカで暮らしている)評論家などの場合は、物理的に字幕版を迅速に入手しにくかったり、日本への配給前に作品を鑑賞できる点が付加価値だったりするので、字幕の付いていないヴァージョンを観て評論を書くことは多々ありますよ。そういう人が書いた文章の訳語や表記は字幕と違っていたりします。例えば、わかりやすく言うと、字幕では「メアリー」になっている主人公の名を「メリー」と書いているとか。
ただ、「私は日本で試写を観ましたが」という前提の評論を書く場合、あまりにも字幕とちぐはぐなことを書くと話が通じなくなるので、字幕や日本語の資料を、ある程度読んでおくのはプロとして当然ですよね。
>日本語字幕について不満を抱くのはいつも一般鑑賞者の方からばかりなのに比べて、評論家の側からの不満が出るのが滅多にないのは何故なんだろうという疑問を持ってもおります。
字幕への不満を連載したウェブサイトを作っていた評論家もいますよ。同様のテーマで書籍も出しています。その人が繰り返し書いていた言い分はこう。「字幕ではこうだが、実際のニュアンスはこう。しかし、実際のニュアンスを、条件が限られた字幕に表わし切るのは無理に等しい。だから、原語で映画を観られるよう語学力を養うのが大切」ということでした。
ただ、同じ映画業界にいる以上、字幕翻訳者を真っ向から批判するのは、何かと人間関係上、支障があるわけですよ。批判した字幕が誰が訳したものなのかは、調べればすぐにわかりますからね。また、字幕翻訳家にはファンがいますし、そういうファンの夢を壊すのもかわいそうです。くだんの評論家もなかなか抜け目なくて、字幕翻訳家の大家を名前をあげては繰り返し誉めたたえながらも、批判している字幕が実はその大家の訳だったりしました。
ついでに言うと、そもそも日本の映画評論家は、映画を大して「批判」はしませんよね。基本的には、いいことを並べて、興行収入に貢献するよう心がけています。字幕に関しても、扱いは同様でしょう。
余談ですが、蔭ではプロによる字幕批判はたくさんおこなわれています。「こういう字幕は、よくない。それを私はさんざん、字幕を採用する側に言い続けている」と、私的に繰り返し豪語していた業界関係者も知っています。
お礼
>>ただ、同じ映画業界にいる以上、 まさにお聴きしたかったご回答でした。 勇気ある情報ありがとうございました。 ファンの夢を壊すのもかわいそう・・の一文にだけは個人的に異論がありますが、凡そ想像していた通りでした。 ここまでハッキリと明言された意見を拝読する機会がこれまでありませんでしたので非常に嬉しく存じます。
補足
もしよろしければ、この人の評論は信頼してもいいと思われる方を挙げて頂けませんでしょうか。支障があれば、関連URLでも結構です。 私が見ようかどうしようか迷ったときに参考にするのは、中野翠さんと小林信彦さんです。海外ではポーリン・ケイル。 又、普段常用的な映画コメンテーターではありませんが、横尾忠則さんが推したものはいつも一見の価値ありと信じています。余談ですが、脚本なら脚本ではレスリー・ディクソンのもの(絶対に字幕スペース外)が好きです。