こんにちは。
ワーグナーの音楽は「毒」「麻薬」などと例えられることもありますね。
果たして他の作曲家たちとそんなにも違うものなのかどうか,私にもなんとも言えないものはありますが,ワーグナーの特徴と私が個人的に感じている部分を,細かくは私も説明する能力がありませんが,私の適当な理解を適当に説明してみます(笑)
技法的な部分でいうと,調性の極限までの拡大。
「調性」とは,古典派~ロマン派のクラシック音楽の最も基本的な「お約束」のひとつで,あまりにめちゃくちゃに大雑把に(ぉぃ)言うと,「ソシレ」の和音が「ドミソ」の和音に進むことによって解決・安定をもたらす,ということです。ハイドン,モーツアルト,ベートーヴェンといった作曲家は,これでもかというくらいにこのお約束を使いますが,ワーグナーは実はあまり使いません。(主に後期作品での話ですが)
それは,調性を使っていない,ということでは決してなくて,そのルールを熟知し巧妙かつ徹底的に使った上で,一番肝心かなめの「ソシレ」⇒「ドミソ」の部分(だけ)を絶妙にじらしたりはぐらかしたりします。
それにより,独特の「終わりそうで終わらない」という不安感や陶酔感を作り上げます。この手法は「無限転調」「無限旋律」などと言われ,「トリスタンとイゾルデ」がその代表的な例とされています。
楽劇全部だとかなり重く&長くなるので,まずはさわりだけ,という場合は,「前奏曲」「愛の死」などから入るのがよいかもしれません。(「愛の死」はオリジナルでは歌が入りますが,管弦楽曲集のCDなどでは「前奏曲と愛の死」という形でほぼ一曲のオーケストラ作品として扱われることも多いです)
歌劇・楽劇の内容で言えば,独特な人間観。
ワーグナーの歌劇・楽劇の登場人物は,常識的な倫理観から見ると,「ええっ!?」というような行動を取ることがしばしばあります。
もちろんイタリアオペラでも不倫や三角関係は定番中の定番なのですが,あくまでも道を踏み外しているという背徳感(?)がドラマのベースになっています。一方,ワーグナーの場合,特に「タンホイザー」や「ニーベルングの指輪」では,より確信犯的に行動しているというか,我々の知らない倫理体系があるというか,そうした特異なドラマ展開の中から,ある特定の価値観(≒キリスト教??)によらずに根源的な人間のあり方,愛と性のあり方,生と死のあり方,などを抉り出そうとしているようにも私は感じます。
なお,「リエンツィ」「さまよえるオランダ人」「ローエングリン」などの初期作品では,上記のような特徴はそれほどは感じられず,より一般的なロマン派風の響きがしますが(ベルリオーズ,ウェーバー,リストなどの影響があるとされています),もちろんこれはこれで,重厚・華麗・ダイナミックな管弦楽の響きやロマンティックな旋律などは十分に魅力的と思います。
ワーグナー独自の魅力(魔力?)は,「タンホイザー」あたりからちらほら出はじめ,「トリスタンとイゾルデ」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」「ニーベルングの指輪」「パルジファル」などに強くあらわれているように個人的には思います。(「マイスタージンガー」は,後期作品としてはまとも(?)な方ですが)
作品としては,上に挙がっているのが代表的なもの,というか,これでほぼ全部と思います。初期の普通に理解しやすいものからはじめるか,いきなり後期の魔境(笑)に突入するか,どちらでもよいと思います。
信奉者,と聞いて私がまず思い出すのが,作曲家のアントン・ブルックナーです。交響曲をワーグナーに献呈したり(交響曲第3番),ワーグナーの訃報を聞いて,自分の交響曲の中に葬送の音楽を入れたりしています(交響曲第7番第2楽章の終わりの部分)。
実はフランスの作曲家には意外と多くて,一時期のドビュッシーの他には,フランク,オネゲル,ショーソンなどもそうだったのではないかと思います。(どのくらい熱烈だったかは分かりませんが・・・)
作曲家以外はよくわかりません。小泉純一郎??(笑)
長文失礼いたしました。
お礼
ありがとうございます! 凄く分かりやすいお答えで感動いたしました! 小泉さんがお好きだとは・・・リーダーが好む音楽家なんですかね^^