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葬儀や法事の帰りに職場へのおみやげはNG?

今日、親戚の葬儀に参列のため、一日仕事の休みを取ったので、職場へのお土産用にその地方の名菓を買いました。また先日も法事で地方に行った時に休みを頂きました。ところが、葬儀や法事の帰りにお土産を買うのはよくないことだという話を聞きました。私は、一日休みを頂いたので、お土産の一つも買って持参するのは当然(とまでは言わないにしても一応の礼儀)だと思うのですが、如何ですか?

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  • Domenica
  • ベストアンサー率76% (1060/1383)
回答No.4

愛知県在住の者です(40歳代です)。 私もお気になさる必要はないと思います。 また、私の周囲では「葬儀や法事の帰りにお土産を買うのはよくないこと」という話は耳にしたことがありません。 ただ、幼いころ、父や母から「初詣の帰途に『お店』に寄ると、初詣をすることで自分が受けたご利益をその『お店』に置いてくることになるので、『お店』に寄らない方がいい。」という話は聞かされたことがあります。 尤も、この話は、お店(飲食や買い物)に寄るとお金を使うことになるので、それをしたくなかった父母がそう言っていただけの話かもしれませんが(笑) 葬儀や法事に関しては、私の職場では、お土産を別途買ってくるどころか、葬儀や法事にお供えしたお菓子やお饅頭を「家では食べきれないから~。」と言って持っていらっしゃる方もいます。 葬儀や法事をケガレだというのならば、こっちはもっとケガレていますよね。 でも、私の職場では、誰も特に気にすることもなく「ごちそうさまです。」とお礼を言って、美味しく頂いています。 別途、「休暇をもらったから」という理由でお土産のお菓子を持ってこられたら、「大変な時にそんなに気を遣っていただいてなくても…。かえって申し訳ないです。」と言いながら、これまた「ごちそうさまです。」とお礼を言って、美味しく頂くと思います。

oozora2000
質問者

お礼

「葬儀や法事の帰りにお土産を買うのはよくないこと」という言い伝え(?)が成立した理由として考えられることと、気にする必要がないだろうと思わせる理由の双方について説得性のあるご回答有難うございます。もはや葬儀や死を穢れたものとする考え方はマイナーのようですね。理由はどうあれ有難く頂いて頂ければ、差し上げる方も嬉しいです。

oozora2000
質問者

補足

そろそろ回答も出尽くしたようなので締め切ります。 皆さんありがとうございました。

その他の回答 (3)

回答No.3

 葬式に行った人を「ケガレ」だ、という人は、 翌日、出勤しても「一緒に仕事をしたら穢れがうつる」、と言いそうですから、 お土産を持っていっても、どうせ近寄ってこないでしょう。  気にせずにお仕事される皆さんで、「大変だったねー」などと、励ましをうけながら、お茶菓子にしたら宜しいんではないでしょうか。

oozora2000
質問者

お礼

こだわる人がいたとしても、そんな人は捨てて置けばよいですね。 まあ、・・・実は、この話を聞いたのは、亡くなった祖母からで、職場で文句を言われたことはないのですが、人の考え方も時代とともに変化するものと思いますから、もう私流で行くことにします。

oozora2000
質問者

補足

結論は出ているのですが、全国にそういった慣習や風習があるのかもう少し伺いたいので、もう少しオープンにしておきます。 回答いただける方は早めにお願いします。

  • KEKEKO2008
  • ベストアンサー率37% (506/1353)
回答No.2

職場をお休みして、貴女の気持ちでお土産を持っていくのですから気にしなくてもいいでしょう!!私なら、気にせずありがたく頂きます!!

oozora2000
質問者

お礼

もう気にしないことにします。 ありがとうございました。

  • QES
  • ベストアンサー率29% (758/2561)
回答No.1

最近ではそうではないと思いますが、以前は葬式から帰ってきたら 玄関の前で体に清めの塩を振りかける人が多かったと思います。 つまり葬式から帰ってきた体は穢れているという考えがあり、 それを塩で清めてから中に入ることにしていたのでしょう。 今でも葬式に行った体は穢れていると思っている人もいるわけで、 その人にとっては穢れた体で買ってきたおみやげとなり嬉しくないわけです。

oozora2000
質問者

お礼

なるほど、葬式帰りは穢れている、という例の発想から来てるのですか。 そういえば、今回は、会葬御礼のパックの中には「仏教では死を穢れたものと考えていないので、清めの塩は同封しない。」というコメントが入っていました。従来のこの発想を明確に否定したものと受け取れました。 もはや、こだわる必要はないと考えることにしたいと思います。