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非常任理事国が6カ国だった時代
こんにちは。 非常任理事国について分からないので、2つ質問させてください 安全保障理事会の非常任理事国は今は10カ国ですが、 1965年までは6カ国だったと思います。 そこで、 1、今は常任理事国5カ国の反対なしで、9カ国の賛成票で 安保理の決議が可決される、という方式だと思いますが、 昔の、安保理11カ国体制の時代はどのような採決方法をとっていたのでしょうか?? 2、なぜ、4カ国増やしたのか。 (国連の加盟国数が増えたから、という理由は分かっているのですが、 なぜ「4」という数字なのか分かりません) データが見つからず、こちらに質問させていただきました どちらかひとつでもいいので、 ご回答よろしくおねがいします><
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- aotarou
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>改正されたのは1965年ではなかったでしょうか・・・?? ご指摘の通りです。間違えてしまい失礼しました。 >非常任理事国になるためには総会の承認が必要だと思うのですが、そのような強引な立候補が当時総会でゆるされたのでしょうか? ちょっと表現が過激だったかも知れません。また不適切だったかもしれません。非常任理事国になるには総会での2/3票を獲得する必要があり立候補自体はどの国もできると思います。 ただ同一の地域から複数の立候補があれば事前に根回しがあって調整したりしていたと思います。また二つの国が争ってどうしてもどちらも総会で2/3を獲得できないときは2年の任期を1年で分けていたと記憶しています。
- aotarou
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1.常任理事国5カ国を含む7カ国の賛成で議決していました。 2、国連発足当初の現加盟国は51カ国でした。 非常任理事国は地域別に割りあってていました。 西欧1、東欧1、アラブ地域1、中南米2、英連邦諸国1 その後加盟国が増え続け改正した1960年には80カ国になっていました。10カ国の割り当て地域・配分をみなおして 西欧2、中南米2、アジア2、アフリカ2、東欧1、アジアとアフリカで交互に1 としました。 非常任6カ国時代は割り当てられた地域から1カ国しか立候補せず競合しなかったものですが新たに加盟して増えたアジア、アフリカへの割り当てが無く、これら諸国の不満から強引に立候補して割り当て国の議席 を”奪いとる”形になりました。日本が最初に立候補したときは東欧に割り当てられていた議席を当時のチェコスロバキアと争って勝ち取ったものでした。
補足
早速のご回答ありがとうございます! 本当に助かります! >改正した1960年 改正されたのは1965年ではなかったでしょうか・・・?? 総会で決議されたのが1963年、実際に改正が施行されたのが1965年だったと思うのですが・・・ >強引に立候補して割り当て国の議席を”奪いとる”形になりました たしか、非常任理事国になるためには総会の承認が必要だと思うのですが、そのような強引な立候補が当時総会でゆるされたのでしょうか? さらに質問を重ねてしまい申し訳ありません できれば教えていただきたいです;;;
お礼
なるほど・・・! 納得いたしました。根回しがあるというのは今も同じですね。 本当に博識な方で尊敬してしまいます。 ご回答ありがとうございました!!