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人間の心について
自分自身頭が固くなり、人間について悩んできたのでここに質問させてください。 心の狭い人間の書く文章なので気分を害されたらすみません。 自分に恋人がいると仮定します。 その恋人とデートで公園を散歩することになりました。 公園を散歩することで得られるものってなんなのでしょうか? 何か得られないと行動しないのかというわけではないのですが、 恋人とその空間を共にしたいとは思わないのです。 付き合い自体が見栄を張ることにしか今は思えてません。 自分が他人の気持ちを考えられないのは重々わかってます。 どうすれば他人の気持ちを考えていけるのか、 アドバイス頂ければ非常にうれしいです。
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- tumaritou1
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貴方は今自分自身について、或いは人生について、意識をしてずっと考え続けています。貴方のその状態の事を聖書では「アダムとイブが知恵のリンゴを食べて、天国から追放された。」と言う状態かと思います。或いは仏教においては「無明」と言って、自分自身が自分自身を悩ませていて、その原因が分からなくて、心が病んで行き普通の感情が湧き難くなっている状態、或いは生きて行く事が辛い状態「一切皆苦」と言う状態になっているのかも知れません。 人間の心が一つになって、何も見返りを求めなくてただそれだけで生きている様を「天国」と言う風に聖書には書いて有ります。それが幼子が天国に一番近い存在と言う意味になります。貴方の場合は、分別する心が働いています。貴方は分別で人生を見ています。 是は貴方が大人になって「知恵のリンゴを食べた」と言う事になります。この意味は、貴方にはもう子供時代のようには生きてはゆけない、と言う事を意味しています。分別で世の中を見ていると言う事は貴方とおなじょ事を考えていると言う事です。 何か行為をする時に見返りを求めると言う事になります。一つの事実が二つになってしまいす。是が二元論の始まりとなります。心が二つになってしまいます。天国に行くのか?地獄に行くのか?常に自問自答が始まると言う事です。心が二つになったと言う事になります。この事から何時も心が「漠然とした不安」に悩ませられるようになります。 今の貴方の状態はこんなものでしょうか? この状態からの脱出方法が在ります。それは「禅」というものです。心が二つになったと言う事は「意識」をして世の中を見た。と言う事です。この意識すると言う事が不安を作っています。この不安と言うものに敏感な人達が作ったものが禅と言うものです。不安な心を安心に替えてきた歴史、或いは方法が禅と言うものの中には有ります。 人間の苦しみは、今を受け入れられない事から始まります。或いは今を認められない事、と言う言い方でも良いかも知れません。それ以前に自分には今を認めているものが居ます。その以前から認めているものと、認めたくないと思っている「自我意識」との意識のずれが、人間の苦しみとして、自我意識を圧迫しています。 貴方の場合は自分自身に敏感な人と言う言い方が出来ます。自分自身が自分自身に加えている圧迫が「生き難さ」という形で表れる事が在ります。是が体に出た場合には「自律神経失調症」と言う事になります。行動に出た場合には「神経症」と言う事です。心に障害として出た場合には「精神疾患」という形になります。 この事を打破するために登場したものが「禅」と言うものです。是は人間の心の不安を解消させるための究極のものです。人間の不安は脳の機能の使い方の誤りが原因です。是が無明と言う事になります。自分自身が分かっていないと言う意味です。 禅問答と言うものが在ります、是は一見無駄の事をしているように見えますが、違います。人間の脳には二つの人格が存在しています。この二つの人格のずれを自我意識が「苦しみ、生き難さ」と感じています。このずれを解消して。元の「幼子の心」のように二つに分かれた心を一つにする。と言う事を主眼としています。 禅問答の意味する処は、脳の機能の違いを分からせるところに在ります。自我意識の機能は分別する処です、論理的に計算をして組み立てて行く処に在ります。ですが人生は論理的に計算だけでは割り切れない処が在ります。この割り切れない人生を分別脳だけを使って割り切ってゆこうとする事に「限界と苦しみ」を感じています。 この限界を打破させるものが禅問答と言う事になります。禅問答が解けた時の心持に「いまさらお前は誰か?」と聞く必要が無い事になります。それは自我意識を不安にさせていた者との出会いと言う事です。 人間の苦しみとは有限の身である自我意識を、永遠の身である仏性、或いは、神が、その有限自体を抱きしめようとして、「遮られる」事を「苦しみ」として自我意識が感じていた。と言う事が分かるからです。 自分自身を知ると言う事は「神に会って和解した」と言う事になります。自分の苦しみの解消。心の矛盾の解消。と言う事になります。ここに至って、自分が感じていた限界の打破と言う事になります。これ以後心には恐れが無くなります。この事を貴方は望んでいます。是は貴方自身が自分の手でつかむ以外は有りません。貴方に足りないものが在るとすれば、それは貴方自身が、貴方自身に聞いてみる他は有りません。 自分で自分の心を狭くしているだけだからです。それは貴方自身だけが出来る事と言えるものです。
人によりけりだとは思いますが、私の場合は恋人と何もしないことをしている時には以下のように考えています。 「こんな意味のない時間を共有できるのって、この人だけなんだよな~。」 赤の他人であればちゃんとした理由がなければ会ってすらもらえませんし、友達でも疎遠な仲であればそれなりの場が必要です。親しい友人でもせいぜい一夜を飲み明かす程度で同棲するわけではありませんし、親兄弟だって子供の時と違って何時間でも顔を突き合わせているわけではありません。 なのに、それなのに目の前の人、一応この人も、夢も仕事もある一人の人間なのに、こうやって意味もなく一緒にいてくれる。意味がなくても私と一緒にいたいといってくれる。 自分自身だって、やるべきことはあるわけだし、読みたい本も見たい映画もあるし、疲れだって完全に取れているわけじゃない。はっきり言ってやってること自体は単なる散歩で、別段楽しくもなんともない。てか無駄。 でも一緒にいたい。お互いにそんな感情になれるのは、この人しかおらんなあ。いつもそんな風に思います。否定されるのが基本の世界に生きていると、意味もなく自分を肯定してくれる自分以外の人間の存在は本当に支えになります。人生がうまくいっている、すべてはうまくいくと自分では思い込んでいた時にはなかった発想です。 さて、肝心の「どうすれば他人の気持ちを考えていけるのか」についてですが、他人の気持ちを考えるには、とことん自分のために生きてみることが大事だと思います。 矛盾しているようですが、昔質問者様が大切にされていたもの、例えば小さい頃大事にしていたおもちゃのことを思い出してください。 そのおもちゃに対して、質問者様はきっと特別な扱いをしていたと思います。人形であればティッシュで布団をつくってあげたりとか…。 さて、ここで考えてみてほしいのですが、そのおもちゃを大切にしていたのは何故だったのでしょうか。そのおもちゃを大切にしていたら成績が上がるから?いい就職先が見つかるから?いい恋人が得られるから?ボーナスが増えるから?老後が安心になるから? …当然、そういったことではなく、質問者様自身が大切にしたかったからこそ、自然とそのおもちゃの気持ちになっていろいろな施しをしていたのだとおもいます。もの言わぬおもちゃの表情に、数多の感情を感じ取っていたはずです。 それが、とことん自分自身のために生きることが相手の感情を考えることにつながる、ということです。 情けは人のためならずなんて言葉もあります。意味という世間体はひとまず置いておいて、自分自身の気持ちを大切にしてみてください。
- blazin
- ベストアンサー率50% (20251/40149)
だったら、無理に人との親密な繋がりを求めなくても良いんじゃない?早晩相手が貴方から離れてしまう。 付き合い自体に意味を見出せてない貴方がそれを無理に求めてもね。 得るものとかさ、頭で考えて打算的に関わる関係ではないんだよ。 愛しい人と過ごす時間や空間、景色、その一秒一秒が素晴らしいもの。 何をするからとか、何を持っているからとか、そういう価値観ではないんですよね。そこに余計な考えは入らないはずなんです、本当は。 貴方の場合はどうしてそういう考えに至ってしまったのか、それなりの過去はあると思うんです。 ただ、現実にはそういう貴方とは当然相手も空間を共有したいとか、楽しく過ごしたいなんて思わないし思えない。それだけは確か。 貴方が自分のようなパートナーを相手にしたらどう感じるか? そこが麻痺してしまうと相手を見れなくなってしまう。 心の狭さだけの問題ではない気がするんだよね。 そういう貴方自身に至った部分のプロセス。そこに貴方の解決のヒントがあるかもしれない。過去は過去であって、今は今だから。 まずは貴方自身が自分としっかり折り合いをつけていかないと。 他者を受け入れられない貴方になっているとすれば、やはり自分を好きになれない人が他者を好きになる事はとても難しいですから☆
お礼
回答ありがとうございます。 <愛しい人と過ごす時間や空間、景色、その一秒一秒が素晴らしいもの。 こう考えられればいいなと思います。 世の中のカップルの何%がこのように感じれているんですかね? 私自身楽しく人生すごしたいと思ってます。 ただ無理に他人と共有する必要性はないかなと思ってます。 例えば同棲していて自分は読書、恋人はテレビ、そのように自分の好きな事をお互い出来るのが理想です。 過去ですか…省みてみます。
- mokemoke_z
- ベストアンサー率25% (56/218)
恋人と公園を散歩することの意味 ケース1 自分が公園の散歩を楽しみ、その楽しみを恋人と共有できる ケース2 恋人が公園の散歩を楽しみ、その楽しみを自分も共有できる ケース3 恋人と一緒にいることにより、おしゃべりなどを楽しむ ちなみに自分的に公園散歩の魅力はほのぼのしたりまったりしたりすることですね。あと土や草木の臭いとかも好きですし。 まあ散歩なんて一人でもできるし、嫌なら無理に付き合わくても良いと思います。恋人がものすごい散歩好きなのであれば、たまにサービスのつもりで付き合う程度でよいのではないでしょうか。 自分が楽しめない公園の散歩だが、一緒にいくことで恋人は喜ぶかもしれない、だから行く。これは立派に他人の気持ちを考えた行動だと思います。自己犠牲にならないように自分なりに楽しむ方法を見つけたいですね。
お礼
回答ありがとうございます。 ほのぼのしたりまったりするのは自分も好きです。 よく温泉を利用してますし。 ただその横に恋人がいなくてもと思うので。 サービスでの付き合い…それもいいですね。 ただ努力が必要になりそうです。
>公園を散歩することで得られるものってなんなのでしょうか? 公園の散歩で得られるものではなく失うものが無いのではないでしょうか。 まぁ時間を費やすということはありますが、何十時間も公園にいるわけじゃないですからね。(公園生活者なら別です)
お礼
失うものがないって発想全く思いもしませんでした。 確かにそうですね。 いつも何かを得ようと行動している自分がいます、さもしいですね。
- Tori_30
- ベストアンサー率27% (653/2415)
得られるものは何もないよね。 ただ一緒にいたいだけ&恋人の笑顔(とか反応)が見たいだけ。それらの欲求を満たしたいが為の安価な言い訳とか道具ってだけなのかもしれないね。←公園を散歩 >恋人とその空間を共にしたいとは思わないのです。 それならば、貴方にとってはやはり「公園を散歩」という行為は何のメリットもないって事になるよね。 (今の)僕にとっては公園を散歩する事にメリットがある。(今の)貴方にとってはない。ただそれだけの事。 どっちが良いとか悪いとか、他人の気持ちが考えられる云々には殆ど関係のない事だよ。 人それぞれ事情は違うんだもん。その人の中でだって”場合による”ってのがあるし。それはそれ、これはこれ。 強いて言えば、「他の人にとってはメリットはあるんだよ」って事を想像出来るかどうかなのかな?←「他人の気持ちを考えられる」
お礼
回答ありがとうございます。 他の人にとってのメリットをお聞きできればと思います。 先日恋人と温泉旅行に行ったんですが、その帰りに恋人が桜を見たいと言ったので、公園に行きました。 ただ私は疲れてたので、「桜見てきていいよ」と言って車で寝てました。 この行為について私は間違ってたのかなと思って今回は質問してます。 ちなみに温泉旅行の私なりのメリットとしては 好きな温泉に浸りながら、温泉の効用を堪能しつつ、仕事等を忘れゆっくりリラックス出来る。 といったところです。
- matusyou
- ベストアンサー率6% (13/192)
男と女が付き合い、結婚をして、子供が出来て、子供が成長して自立する。 その後、出会った当時と同じふたりっきりになり、年老いて亡くなる。 人生って単純な生活の延長ですよ、公園を歩く理由は何故とか、家族で公園に行くのは何故とか考えるほど、生活のなかの過程って重要な目的があるわけじゃないと思います。 あと見栄とかって、付き合ってることをみんなに見せる為に公園を歩くと思ってるかと思うことが変だな、郊外をふたりで歩くことは健康的と思ったほうがいいですよ。 屋内でゲームやったり、テレビ見るよかよっぽど開放的。 あまり深刻に考えず、彼女でも作って花見でもしてみてはと思います。
お礼
アドバイスありがとうございます。 私が考えすぎなんですかね。 まずはその人といれる瞬間を幸せに思っていかないといけないのかな。
- zorro
- ベストアンサー率25% (12261/49027)
公園散歩は目的ではありません。恋人といることができるなら場所は問いません。見栄を張るためではありません。
お礼
回答ありがとうございます。 恋人といれる時間が一番と思えればそれが一番なのでしょうが、 私にはお互い自分の時間を大切にしたいと思ってしまってます。
お礼
回答ありがとうございます。 こんな私にも一緒にいたいと思える人はいますが、いつでも一緒にいたいとは思わないのです。 いつでも一緒にいたいと思える人といつの日か出会えるのでしょうか? 昔大切にしてたものの一つに人形(消しゴム)があります。 布で拭いたり、確かに見返りを求めず大切にしていたと思います。 いつの日からか見返りを求める人間になってるんでしょうね。