- ベストアンサー
人の年齢不相応さが妙に気になる方、いませんか?
最近、やけに人の年齢不相応さが気になるようになりました。 成人してからというもの、どうも妙な偏見が出来てしまったようで 大人なのに子供みたいな挙動の人を見ると、何だか無性にイライラしてしまいます。 少し前(中高生時代や成人前)は、大人らしくない逸脱した言動の人を見ても それはその人の個性(キャラクター)として受け止めていて、 一々目くじらを立てて「○歳で…」とか差別心が沸いたりはしませんでした。 むしろそんな様子を、可愛い人だな、憎めない人だな、 と微笑ましく見ていたような気がします。 (そういう意味では中高生の方が大人だと思う) なぜ大人になると、このような偏見に捉われるようになるのでしょうか。 こんな事で人を憎みたくないのに… 同じような状態に陥った経験のある方、いらっしゃいますか? この偏見は解消できるのでしょうか。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
>なぜ大人になると、このような偏見に捉われるようになるのでしょうか。 自分が「社会的」な存在になってきたからです。 社会人としての矜持を持つようになると、視野が拡大し、お付き合いする人との接点も拡大して行きます。 年齢層も幅広くなり、情報量は最早学生時代とは比較になりません。 そうなると「マナー違反」などが気になりだすのです。 自分が「アウトロー」として存在できなくなったことを、如実に感じる瞬間ですね。 まぁ、もう少し頑張って生きていけば、今度は自分が「法を遵守するのが困難な状況」に変化してきます。 運転ひとつ満足にこなせなくなります。 そうなると今度は「許す」ことが出来ないと、苦しくなってくるのです。 …再び人は「還る」わけですね。 今は今のままで結構ですよ。 「事実」がわからないままに、頭で理解するのは「本物」じゃないですから。 きっと理解できる日が来ますよ。
その他の回答 (4)
- rin63
- ベストアンサー率32% (74/230)
こんばんは。 私も同じような状態になった事ありますし、今もそう感じたりもします。 私の場合、私に具体的に被害が及んだ場合のみ感じますが、特に職場での出来事です。 20代後半のくせに(いつまでも人まかせ、甘えている)30代後半のくせに(仕事が全然出来ない)‥部長のくせに(人の上に立つ人物じゃない)‥と、~のくせにと年齢や立場に伴わない言動でよくいらいらしました。 私はこれらを偏見とは思いませんでしたので、質問者様が偏見とおっしゃっていたので、私のこの思いも偏見があるのかなと考えさせられませした。 私もこんな事で人を憎みたくないと思いましたが、毎日の具体的に仕事に影響があるので、なかなか平常心ではいられませんでしたし、今も出来ていません。 ただ、歳は幾つであっても人はそれぞれ。その人のそれまでのキャリアがあって、今に至る。 そう思って、あまりいらいらしないようにしています。 自分だって、出来ない事たくさんありますから。 参考になれば、幸いです。
私の場合、人の言動が気になる時は、自分の成長が止まっている証拠。 頼まれない限り、自分の言動にだけ責任を持てばいいのであって、 人のことに首を突っ込みすぎないようにして、 自分だけをしっかり、見ているようにしたら大丈夫になりました。 (他人の言動が気になる時、自分に対する責任から逃げている)
- takas223
- ベストアンサー率22% (299/1308)
実際何が、大人と定義付けるのか? そこですよね? あなたにお聞きしますが、大人といわれる年になって何か変わりましたでしょうか? 別に変わってないはずです。 変わらないんですよ。 一応制度上20って決められてますけど、自分学生のときは大人だなぁと思ってる人も自分がその年になってもそれほど変化はなかった。 そのときはそれで未熟だったのかもしれませんよね。 ある程度、社会を経験しだすと実はもっと、自分は勉強したくなる。 もっともっといろんなことを知りたくなる。 それがもうひとつの大人への階段の始まりなんですね。 精神の成人式は30歳。 私の好きなDJが行っていた言葉で僕も好きな言葉です。 実際そのとおりでした。 まだ階段が果てしなくあると気づいた年そのくらいだったかもしれません。 気づく人もいれば、そこで終わりと思う人もいる。 別に大人だからと大枠でくくってるけど、、、それは制度上の話でしょ? それは人それぞれなのでいらいらするのは勝手だけど、憎んで態度に表すというであれば、それはそれであなたは上から目線で子供っぽい、、、 と私は思ってしまいます。 自分の思いと違う人は排他的だよね? 大人の余裕、そして自分の手の中で遊ばせるくらいの精神的な強さ、もっともっと人付き合いの勉強なんていくらでもできます。 自分がしようと思えばね、、、 だから大人って真の定義は自分はないと思いますよ。
「子供みたいな挙動」だけでは何とも言えませんが、一般論として「小泉チルドレン」、最近では「小沢チルドレン」などの言葉も飛び出してきましたが、これはマスコミが「お前らはどうせ"チルドレン(子供)"だから」と見下すために使われています。 大抵「子供みたいな」と比喩する場合は、見下すために用いられるのがほとんどでしょう。 本当に「子供みたいな挙動」もあるのでしょうが、自分と違うからと否定するだけでなく、「なぜそうするのか」や(できる状況にあれば)「どう説得するのか」などを「子供みたいな挙動」と一緒くたにせずに自分も相手の立場で考えてみてはいかがでしょう。