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「できるかな」のノッポさんがしゃべらないことをどう解釈してましたか
「できるかな」のノッポさんがしゃべらないことをどう解釈してましたか? 私は幼心に主人公がしゃべらないというのを理解できなくて、 違和感を感じながらもナレーションがノッポさんだと解釈してた記憶があります。 皆さんはどうでしたか?
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こんにちは。私はきっとあなたと同世代だと思います。 すごく良いご質問を、有難うございます。 かのノッポさんですが、あれは手の動き、手作り、物作りを 子供に見せて発見させる、素晴らしい、いわば「人間的教師」でした。 知性は、子供にとって最大の成長剤のように思います。 今でこそ言語としてこれを説明できますが、 物作りをプロセスとして魅せることに、言葉はその演出を阻害するのですね。 「ものを言わない」あれが何とも良かった。 動きだけを観るので、プロセスに集中でき、 「何ができるかな」と想像を膨らませ(この想像心がとても大切)、 そして、視覚的に、「理解」するのです。 この高度な求心力。その演出方法。 先を知るには着目し続けるしかない。この緊張感。 今思い返せば、この番組がいかに高度であったか、本当に感慨深いです。 いわゆる、このことが、 「できるかな」というタイトルのゆえんですね。 「できるかな」に、皆ドキドキ期待した。そして「できた」のをその場で視認した。 一切、タイトルからぶれていない。 まあ、ここまでは今の私の齢で、分析したり、説明できることです。 で、本題の、「子供時代」の観点ですが、 今のような分析はできないまでも、本能的にドキドキ感だけは感じていました。 違和感はなく、個性的な番組、という捉え方をしていましたよ。 あの緊張感、緊迫感はすごかったです。 そして、「できた」瞬間、本当に自分が何かを作った達成感のようなものを 共有することができました。 子供は左脳分析はせず、右脳的な感じ方だけを受け取るので、 とにかく「緊張感がすごい」感じだけありましたかね。 すでに刷り込みの中にピエロとかのキャラクターも知っていましたし、 異質な感じはなかったように思っています。 で、この複線があって、 最終回に喋るのが、また斬新でした。 この番組には頭が下がるばかりです。
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私も子供だったし、ゴン太くんもろくにしゃべってなかったので、ああいうものだと思っていました。 ナレーションで全部説明してくれるんだなあと。
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回答ありがとうございます。 素直に受け止めてらしたんですね。
- yasuhiga
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パントマイムでしょ。 後に歌ってらっしゃいます。 グラスホッパー物語。 http://archives.nhk.or.jp/chronicle/B10002200090605060030060/
お礼
回答ありがとうございます。 グラスホッパー物語の情報もありがとうございます。
はじめまして。私はのんきなのでなんにも不思議にも思わなかったです。ノッポさん好きでしたがなんでしゃべらないんだろうとも思いませんでした。笑、ナレーション=ノッポさんと思っていたのかもしれません。
お礼
回答ありがとうございます。 子供の頃は、あるがままに受け入れることもありますね。
- 2009ken
- ベストアンサー率21% (769/3580)
違和感はなかったですね。トムとジェリーや、ミッキーマウスなどの短編海外アニメは、台詞がないか、極端に少ないものも多く、そんな感じと思ってました。 それに、「ノッポさんは最終回のラストではじめてしゃべった」というのが定説ですが、それ以外に肉声を披露してた?ことはるのです。私が見たのは、屋外ロケで、子供たちを指導するという「特別バージョン」の回。子供たちと普通にしゃべってました。だから、しゃべれない人という決め付けもなかった。で、そのころはまだ「初代ゴンタくん」のころだったような気もしますが、こちらは定かではない。
お礼
回答ありがとうござます。 そういえばトムとジェリーなんかもしゃべりませんね。 ただ、私の住んでるのは地方だからなのか、 NHKでやってた「できるかな」は2~3歳位から見てたと思うんですけど、 トムジェリは小学生、ミッキーは見たことがありませんでした。 「特別バージョン」のふつうにしゃべるノッポさん、当時見てたら衝撃だったかも!
お礼
回答ありがとうございます。 子供の頃、本当にドキドキしながら見ていました。 魔法使いのようでしたね。 思い返すにつけ、すばらしい番組だったんだなと思います。