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アスペルガーの人の症状って・・・これからどうしたら
私の弟の職場(小学校)に、一つのことをすると普通の人がとてもできないだろうというほどの仕事をする人がいるそうです。聞くと、その人は仕事は確かにできるが、対人関係がうまくとれないんだ、と言っています。間違っても謝れない、いつも人を上から目線で見ている、必要なこと以外ほとんど話さない、子供には大きな声で怒鳴り言うことを聞かせる(この段階で教育ではなく恫喝ですよね)できの悪い子供たちをここまで育てたのは自分だと言わんばかりにふんぞり返って自慢げに歩く、子供の前を歩くときはポケットに手を入れて歩く、頼んだ仕事をしてもらえないので催促に行くと、「そんなことは頼まれていない」ともいうそうです。上司は、以前うまくいかなかったことを本人に注意したら怒り出して仕事をしなくなったので、それ以降起こるのをしなくなったと何とも情けない上司です。しかし仕事はてきぱきこなすのでうまく「使っている」のでしょう。迷惑なのは周囲の人だと言っています。やれていない仕事まで周囲のものが背負うので当然でしょう。私の見立てではこの人「アスペルガー」ではないかと思うのです。(ちがうかもしれませんが) 弟に適切なアドバイスをしてあげたいのですが、どう言ってあげればよいのでしょうか。 特にこういった症状に詳しい知識をお持ちのカウンセラーさんからの意見も聞きたいところです。
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私は別にカウンセラーではありませんが、正直、ここに書いてあることだけでは「違う」ともいえませんし、「そう」だとも言い切れないと思います。確かに、アスペルガー症候群は対人能力の障害ですが、対人的な部分でちょっと奇異に映るものをすべて「アスペルガー」と判断してしまうのは危険なような気がします。そうした症例については、むしろ弟さんのような職場の人のほうが詳しいのではないでしょうか。今の教育現場ではアスペルガー症候群の見立てと対応抜きにして、教室は成り立たないほど身近な問題だと思います。 また、百歩譲ってこの人がアスペルガー症候群だとして、そういう見立てに意味があるとは正直思えません。アスペルガー症候群の生き難さを理解した上で、その人が少しでも生きやすくするための方策はいろいろと考えられると思います。たとえばアスペルガー症候群の特徴としては、因果が正常に結びつきにくいという特徴がありますが、この原因と結果を丁寧に結びつける作業をしてあげることが大切です。なるべく、不必要なファクターを排して、原因と結果を単純化してやることです。また、こうした症例をもつ人は、一応に対人関係に自信がなく、自己肯定感が低いので、そこの部分のケアも必要になってきます。この自己肯定感の低さは様々な問題行動の引き金となりやすいですし、また、これが低いと投げやりになりやすく、なかなか問題解決の方向へ気持ちが向きません。 しかし、本人がその生きにくさを認めないのであれば、そうした方策は取りようもないわけです。逆に、そうした病名をつけることによって、さらに自己肯定感が下がる可能性も考えられます。せいぜい、周りの人がその人の行動がアスペルガー症候群によるものだから少しおおめに見ようと思えるのが利点かもませんが、逆に、その人に対する差別感を不必要にあおる可能性だって多分にあります。 要は、病名のあるなしではなく、その人その人に応じた対応をわれわれがどうしていくかということなのだと思います。それこそ周りの人たちの対人能力が試されているのでしょうね。
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- ayaayahana
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弟さんがストレス貯めないか心配ですね。 文面からではアスペルガーでないように思います。 何らかのコミュニケーション能力の障害はあるのでしょうが、先天性のものか後天的なものかこの情報だけでは判別できません。 どの職場にも程度の差はあれ、こういう人もいます。 迷惑しているのは周囲の人だとの事ですが、一番迷惑しているのは子どもではないですか。 その人が子どもに対して教育上悪影響を与えていないか、他の職員の方と協力して、問題があれば具体的に上司(当てにならないようならもっと上の上司)にきちんと報告すべきだと思います。 その人自体を変える事は残念ながら出来ないので、弟さんが上手く付き合っていくしか仕方ありません。 その方は、自分自身に自信がないためそういう行動を無意識にとっていることが考えられます。周囲が冷たい態度をとると、尚更硬化すると思います。 人間誰しも得手・不得手がある事を認識し、偏見を持たずに自然体で付き合う他ないと思います。
お礼
早速の回答をありがとうございます。私の文章能力もたいしたことがないのですが、読み解いていただき感謝いたします。一番の迷惑は子供。まさにその通りですね。自分自身に自身がないために、というのは、まさにそうだと弟が申しておりました。だから、うまくいったときには「どうだ、おれはこんなにできるんだ」と言わんばかりに胸を張って「ふんぞり返る」ようにして歩くんだ、と言っていました。 上司とはこの学校の「校長」のことで、それ以上と言うことになると「教育委員会」という事になりますね。どんな手はずで委員会に申し立てればよいのか、私にはよくわかりませんが、一つの方法だと思います。専門家としての意見と言うことですが、少ない情報にもかかわらず的を射た回答に、感謝いたします。もう少し時間をおいて(時間の許す限り)意見を求めてみたいと思います。
お礼
詳細なご意見をいただき、ありがとうございます。「その人」と弟は3年の職場づきあいになるそうですが、その人が来た年は担任を持っていたのですが保護者とトラブって「つぶれた」(休職)そうです。その後担任は持たせられないと、担任外(総務というのでしょうか)になりました。仕事がうまくいったときには「自分はこんなことまでできるんだ」と言わんばかりに胸を張ってみんなの見ている前をふんぞり返って歩くそうです。今まで周囲のものがどれほど気を遣ってきたかを本人は認識をしていないようですし、弟はもうこれ以上気を遣った生活を続けていけば自分の方が変になりそうだと言っているのです。周囲のものがどれほど気を遣ってもその認識がないのも変だと思いますし、なにより教員としての資質が問われてもおかしくないと、私は思うのです。教員として仕事をしている以上基本的な道徳的なことは「当たり前のように」行動で示すことができないとおかしいと、私は思います。そんな意味で「さらなる上司」は教育委員会ですから、そちらの方にもの申す事もいいかなと思っています。しかしその方法は私はアドバイスができないので弟に考えてもらうことになります。弟は「知っている」ようなので、検討してみると言っていました。私が当事者ではないのがなんとも歯がゆいのですが、それにしてもいろいろと考えさせられるご回答で私自身が勉強になるものでもありました。私のお礼が意見付きだったり意味不明な点があったらごめんなさい。ありがとうございます。