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あなたのバレンタインの思い出を教えてください。
あなたのバレンタインの思い出を教えてください。 おもむろな時期。 どうしようかなぁ・・と思っていた時期。 おおよその決心をしたとき。 決心をしたとき。 準備の期間。 渡す日の朝。 渡す数時間前。 渡す直前。 渡す(もらった)瞬間。 渡した(もらった)時。 渡して(もらって)から数時間の気持ち。 渡した(もらった)日の夜。 渡した(もらった)次の日。 それからの日々。 そして今。 心で感じたこと。 心で思ったこと。 女性の方は、どのように、渡すことを相手に伝えましたか? 伝える前の気持ち。 伝えた時の気持ち。 伝えた後の気持ち。 とりあえず場面場面を例として、書きましたが。 これにとらわれず、あなたの文章で書いていただくと、なおいっそう良い御回答になりそうです。
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弟が高校時代にカッコイイ男子コンテストみたいな 物が行われ堂々一位を獲得しました。 バンドのボーカルもやっていてポイントが高かったん だと思いますが、当時弟に想いを寄せていた子が多く その中でプレゼントを必死で手作りしてくる女の子が いました。 弟の反応はと言うと天狗になっていたのか、プレゼント 類は一切放置状態。 その中で彼女の手作りチョコレートケーキはさすがに 始末に困ったらしく手も付けずに私にくれました。 要らないなら捨てると言うので、作った女の子が可哀想で 文句を言いながら取り返しました。 箱を開けると扱いの難しいチョコレートを必死でコーティング したらしい無様なケーキが。 薄いパリパリチョコではなく板チョコくらいの厚さのチョコが グダグダになったイチゴと共にスポンジに乗っていて、間の クリームもゾンザイな扱いで崩れかかっていました。 でも気持ちはこもってるんだ~と複雑な心境で私1人で 大半を平らげました。 それ以来、人気のある男の子に手作りのものがあげられなく なりました。 弟にしてみれば受け取っただけマシだと言うのかもしれませんが なんだか人事に感じなかったんですよね~。 毎年バレンタインと言うとその切なさを思い出してしまって なんだか素直になれませんでしたね。
- blazin
- ベストアンサー率50% (20298/40238)
学生時代。 皮膚があまり強くなく、甘いものを食べると痒みが出るので チョコは元々制限されていた。 だから当然付き合っている彼女にもそれは伝えていて、彼女にバレンタインは要らないからと既に事情を話していた。 でもバレンタイン当日。彼女はチョコが身体に負担にならないように 工夫してお母さんと一緒にチョコチップのマフィンを焼いてプレゼントしてくれた。その相手の気配りや自分の事を親身に考え抜いてプレゼントをしてくれた彼女の気持ちには本当に感激しましたね。 ちょっと涙腺がやばかったです☆
お礼
ありがとうございます。 >お母さんと一緒にチョコチップのマフィンを焼いてプレゼントしてくれた なんて優しいんだ。 感激じゃないですか。
- usokoku
- ベストアンサー率29% (744/2559)
製菓業界の宣伝で現在の慣習が成立したのですが、子供が生きていた頃は、ちょうど走りで、青少年向け雑誌に掲載され積極的な宣伝がされていた頃です。青少年向け雑誌なんて私たち夫婦は絶対に読みませんので、「バレンタインデー」なんて慣習はまったく知りません。 投薬の副作用で何も食う気になれない子供に、何でもよいから、食わせることが仕事で、とにかく食べ物を見つけて回る日々でした。 女子中高生の集団を見つけて、この子達の食い物ならば子供も食うかもしれない、と、百貨店内をついて歩きました。 行き先が、特設チョコレート売り場で、女の子達に結構売れるものだから、「子供も食うかもしれない」と、適当に何箱か購入しました。 子供は見向きもしませんでした。 一週間後、結局食べることなく残ったチョコレートを家にもって帰って、現在も生きている子供から、バレンタインデーの慣習を聞かされました。 製菓業界の特需、なぜ、米国が戦争直後にパンを日本に配ったか、を思い出した日でした。
お礼
ありがとうございます。 >子供が生きていた頃 >現在も生きている子供 お子様は御病気なのでしょう。か。
お礼
ありがとうございます。 人気の背中は、結構、情に薄いということです。か。