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亡念のザムドの最終話について解説お願いします
プレイステーション3にて独占配信されているボンズ制作のWebアニメ『亡念のザムド』の最終回について質問です。 (1)最終回Aパートでアキユキが、扉の閉じた胎動窟の上部で石化してしまいましたが、アレは何故ですか? ナキアミとの別離に我を忘れて石化したとも考えられるんですが、ヒルケンに名を与えたアキユキには記憶がなさそうだし、そうでなくても、胎動窟にナキアミが閉じ込められた事情をアキユキは知らないように思うのですが。 それとも、ナキアミとは全く関係なく石化したのでしょうか? だとすれば、何故ですか? (2)胎動窟で石化したはずのアキユキと思しきザムドが、9年後のBパートでは、先端島で苔むしていたのは何故ですか? アレは、誰かが石化したアキユキを先端島まで運んだと言うことですか? アキユキが石化したことを知るのは、ヤンゴだけだと思うのですが、ヤンゴとアキユキって面識ありましたっけ? また、ハルはアキユキが石化したことを何故知っているのですか? そこら辺のつながりがよく分かりませんでした。 どなたか説明お願いします。 (3)これが一番の疑問ですが、最終回Bパートの最後で、石化したアキユキが元に戻っていましたが、アレは何故ですか? いきなり復活してた理由がさっぱり分かりませんでした。 ハルの思いが通じたと言うことなのでしょうか? 石化したザムドは思いが通じると石化が解かれて普通の人間に戻れるのですか? そういう設定はこれまでのストーリー上、見られなかったと思うのですが、見落としたんでしょうか?(もし、伏線があれば、何話にあったのか教えてください) あるいは、アキユキが元に戻っていたのは、現実ではなくて、ハルのイマジネーション上の出来事なのでしょうか? ハルにとっては、アキユキは心の中で生き続けている、みたいな感じなのでしょうか? シリーズ序盤は、面白かったんですが、中盤以降、よく分からない展開で、最終回に至っては、エヴァ並に納得のいかないモノでした。 つまらないとは言いませんが、どうも釈然としません。 当方、アニメは初心者ですので、詳しい方がいらっしゃいましたら何卒、わかりやすい解説お願いします。
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とりあえず25話、26話(最終話)を2回見てみました。 その上で(2)の質問に対する回答をします。 (2回見てもそれしか分からなかったです・・・) えー、最終話でザンバニ号が胎動窟の上から手紙をばら撒いて、その後伊舟(生きていたのか!)が言ってます。 「船を胎動窟の上につけな、あの石を故郷に持って帰るよ」 みたいな事を。 だから先端島に持って帰ったのはザンバニ号の面々ですね。 そこでハル達とのやり取りがあったのだと思います。 ここからは自分の意見です。参考程度に。 (3)の質問についてですが、アキユキが戻ったのは現実でしょうね。アニメの表現とは珍しい実写使用してましたし。そこまで気合入れるなら、本当に戻ったのだろうと考えてます(戻った理由は分かりません)。 ザムドについては中々難解で自分も途中からちょっと分からなくなってきました。 あと、フルイチの扱いとか、クジレイカの扱いとか、最終話でミカンをくれるおばあちゃんがオヤジにミカンをあげた直後にはカバンにミカンが入っているのに、フサにあげる場面になると空になっていたりとか納得いかない場面は多々ありました(最後のは揚げ足取りですが・・・)。 まぁ最初から見直したら、分かる所も出てくると思いますし、これから色々解説も出てくると思いますよ。 以上、失礼致します。
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- ANN0
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最近、最終話を見ました。ザムドファンでもなくただ見てた感じです。 個人的意見です。 (1)に関してですが、石化してしまった理由としては、本能のままザムドの力をフルに使ってしまったのが理由だと思いました。 ヒルケンに名前を与え自我を失った(思い出はある)アキユキは、ヤンゴに従い扉を開けようと手伝いましたが、ヤンゴの悲しい感情からくる行動にアキユキの同じザムドとしての本能が揺さぶられお面の石が光ったのだと思いました。 なぜ本能かというと、二人が扉を開けようとしている間のヤンゴの台詞に「ナキアミ」が含まれていないからです。 もし「あいつらがナキアミの変わりにみんな~」とヤンゴが言えば、アキユキの行動がナキアミを思っての行動と解釈できるのですが、自我を失って小さい頃の思い出の中で迷子になり、ナキアミに名前を聞いて教えてもらったにも関わらず、自我を失った状態でヤンゴの傍に空から落ちてきた事を考えると、ナキアミは関係していないのではと思いました。 ヤンゴもザムド化して扉を開けていますが、アキユキと違いナキアミを思っての「自分」で考えての行動なので石化が起きなかったと思います。 しかしアキユキは感情や本能に従って完全にザムド化ではないですが、自我を失った状態にも関わらず羽まで作り持てる力を使った代償として全身石化したと思いました。 (3)に関してですが、元に戻れた理由としては、旅を通してアキユキとヒルコの共生が「ザムドとは?ザムドは何を求めるのか?」という問いの答えとして自我を忘れ石化したとしても元に戻れる事を可能にしたのだと思いました。 ヒルケンに名前を与え自我を失い小さい頃の思い出の中でアキユキはナキアミに「お前の名前を呼んでくれる人が現れる。待っていろ」と言われた事から間違いなく自我は取り戻せると考えます。(このナキアミはアキユキの思い出なのか、胎動窟内からのナキアミからの作用なのか、色々考えさせられる描写があるのですが今回は関係ないので置いときます) 過去の話で、石化してしまった母を持つ親子(最終話も登場していた)の女の子に「撫で続けろ、かかは取り戻せる」的な事を言っていたので石化は解けなくても心を取り戻せると解釈出来ると思います。 ナキアミはヒルコに関わった人達を大事に接していました。そしてアキユキに「ザムドは何を求める?」と問い続け、 それを見つける為にアキユキは旅に出たいうストーリーだったと思います。 幼馴染との対立からの心境から仮面を着けるに至り、ハルに名を呼んでもらってまた前に進んでいきました。 旅を通して、ヒルコと体内に宿すことで巨大な力を得てザムドになったとしても、ヒルケンのように自我を失ってまで力を酷使するのでは無く、自分を特別と思わず本能や感情に左右されず、周りの人の思いを受け入れて行動する事で、アキユキに宿ったヒルコになった人の無念も満たせていたのではと思います。 その結果自我を忘れても周囲の人が、石化しても魂無き無念を満たせて貰ったヒルコが、ザムドとなった人を助けていくのではないかと考えます。 ラストの石化が治って実写のような表現をするシーンですが、ハルの服装がスーツだったのに対しアキユキの服装が最後に石化した時の服装のままなので現実だと思いました。(石化時に石造があった場所に大量の花が存在する所がちょっと不安ですが・・・) アキユキが「ずっと聞こえたいた」という台詞から、ナキアミの予想通り自我を取り戻したのはハルの語りかけであると解釈でき、石化が解けるまでにかかった時間は自我を取り戻すのにかかったのか、または自我とは別に石化が解けるためにかかった時間だと考えます。 母が石化した女の子(成長していました)親子が再登場した時、母は石化したままだったので、宿ったヒルコの成長が石化を解く時間に影響するのではと考えています。(母の石造は元に戻るのかは分かりませんが) 忘年のザムドの感想としては、主人公が変身して戦いまくるヒーロー物ではなくてよかったです。 ストーリーも色々解釈が立てられるので何も問題ありません。解釈が立てられないと映像作品は感想すらないです。 忘年のザムドはあえてラストを解釈の多くなる(考えさせる)描写を多様したのかもしれませんね。 アキユキの石化の解除にヒルコが関わっていると推測するとエンディングの最初のシーンが印象的でした。 忘年のザムドの最終回は賛否両論みたいですが、感情移入して作品を見ている人が多いと感じます。 「こうあって欲しい、納得いかない」と思ってしまうと、解釈を立てるのは難しいです。 エヴァ並に納得いかないとのことですが、自分はエヴァも自分なりの解釈が立てられたので納得の終わりでした。 長文本当に失礼いたしました。
お礼
詳しく教えてくださってありがとうございました。 自分とは少し意見の違うところもありますが、まあ、こういうのは個人個人の感じ方が大事ですからね。 でも、とっても参考になりました。 ザムドが戦闘三昧勧善懲悪物語じゃなくて良かったのは、自分も同感でした。 まあ、ラストに関しては、良くも悪くも解釈の幅はありましたね。 これを制作者が解釈の余地を残したと見るべきか、それとも、大風呂敷を広げちゃって結局まとめきれず曖昧なストーリーになっちゃったと見るか、意見の分かれるところでしょうね。 自分としては、色々と中途半端と思える設定やエピソードが見られて、結局のところ、後者に感じたんですが、もしかしたら読み込みが甘いのかもしれませんね。 というか、自分は、アニメは深く考えるよりも単純に楽しさを提供してもらいたいって思ってる方なので(つまりはエンターテインメント作品が好きなので)、もしかしたら受動的な視聴姿勢の自分にはこの作品は合わなかったのかもしれませんね。 途中までは、文句なく楽しかったんですけどね。 とても詳しいご意見、本当に参考になりました。 ありがとうございました。
- pii0101
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全て私の意見なので参考程度に見てください (1)に対してなんですけどアキユキが前に名前を思い出したとき飛び降りる前は、色々な大切な人たちの名前は覚えていました。それは、きっとアキユキの心では覚えていたのでハルという大切な人に出会って思い出したので完全に別人になったのではないと思います。 それと同じで名前をヒルケン皇帝に名を与えたことで記憶をなくして しまいましたが心を失った訳では無いので胎動窟が閉じてしまいナキアミと会えなくなることが感覚的に分かったのではないでしょうか? それと胎動窟が閉じるときに無理にこじ開けようとしてザムド化しました。今までも見てきたように無理にザムドになると石化が始まります。ナキアミに会えなくなったことと無理にザムド化してしまった事が重なり一気に石化してしまったんじゃないでしょうか。 以上が私の考えです
お礼
ご意見ありがとうございます。 アキユキが石化したのは、仰る通り、ナキアミに会えなくなることが原因なんでしょうね(それ以外に理由もないし)。 ナキアミに会えなくなるのが、『何らかの理由』で分かったんでしょうね。 それで、考えることを忘れてしまって、石化してしまった、という感じなんでしょうね。 ただ、そこら辺の『理由』も、視聴者に分かるように作って欲しかった。 うーん、せっかくの面白い作品なのにちょっと緻密さが足りないような……。 まあ、でも、最終回が終わってからもこうやって色々な解釈で楽しめるので、これで良かったと言うことにしときましょう。 とても参考になりました。 ありがとうございました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 (2)、確認しました。 なるほど、アキユキを先端島に連れて帰ったのは、ザンバニ号の人たちだったんですね。 見逃してました。 ナキアミは胎動窟に閉じ込められるし、アキユキは石になってしまうし、雷魚は死んじゃうし、ザンバニ号の人たちにとっては散々な結末でしたね(伊舟が生きていたのがせめてもの救いですね)。 (3)はやっぱり現実なんですかね。 確かに、ハルの心的風景って感じはしなかったから、自分も現実だと思います。 でも、何で復活したのか、今でもさっぱり分かりません。 ある意味、一番重要なところでもあるわけだから、分かるように描いて欲しいところでしたね。 さもなくば、潔くバッドエンドで締めくくるとか。。。 この作品、序盤はすごく面白かったんですが、自分も途中から分からなくなってきました。 面白かったとは思うんですが、幾分、中途半端というか、ストーリーを煮詰められていない印象がちょっと残りましたね。 面白かったんですけどね。。。